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五代ロス 鹿児島盛況 「あさが来た」で人気 銅像、記念館、関連商品 ファン 故郷に面影求め

五代友厚
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五代友厚の銅像をスマートフォンで撮影するファン=1月29日、鹿児島市泉町
五代友厚の銅像をスマートフォンで撮影するファン=1月29日、鹿児島市泉町
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五代友厚を解説した薩摩藩英国留学生記念館の展示=1月28日、鹿児島県いちき串木野市羽島
五代友厚を解説した薩摩藩英国留学生記念館の展示=1月28日、鹿児島県いちき串木野市羽島
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 NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」で脚光を浴びた実業家五代友厚(1836~1885)=顔写真=の故郷、鹿児島が五代人気に沸いている。ヒロインのあさを支えながら、大阪の再興に生涯をかける役柄をディーン・フジオカさんが好演し、ゆかりの地を巡るファンが急増。ドラマで病死が描かれた1月下旬以降は「五代ロス」を癒やそうと、訪ねる人がさらに増えた。同じ鹿児島出身の西郷隆盛や大久保利通と比べると地元でも知られていなかったが、優しさと、「私」をなげうつ生き方が多くの人を引きつけているようだ。

 鹿児島市の繁華街・天文館にほど近いビルの谷間の公園に、さっそうとした洋装の五代の銅像が立つ。付近の会社員(44)によると、見学者はこれまでほとんどいなかったが、朝ドラの放映開始後に増加。ドラマで五代が死去すると一気に増え、多い日は1時間に10人ほどが訪れる。大半が女性という。

 「銅像もハンサム。フジオカさんに似ている」。東京都品川区の三好真理子さん(62)もそんな一人だ。初の鹿児島旅行の目的は温泉と「五代さま」。「あさを見守る優しさと、いちずに仕事に向き合う姿勢に引かれた」という。五代をよく知らなかった地元ファンの姿も多く、鹿児島市の女性会社員(41)は「ドラマを見て、同じ鹿児島県人として誇りに思った」と話す。

 五代は武士。藩主島津斉彬(なりあきら)に才能を見いだされ、長崎の海軍伝習所で学ぶ。薩英戦争(1863年)では自ら捕虜になって終戦交渉に当たったとされる。西洋技術を吸収する必要性を訴え、若者の英国留学事業を藩に提案し自身も同行。帰国後は実業家に転身して大阪で活躍、大阪商法会議所(現大阪商工会議所)の初代会頭に就いた。

 五代の生涯を映像やパネルで解説するコーナーがある鹿児島県いちき串木野市の「薩摩藩英国留学生記念館」。入館者数は、ドラマが始まった昨年秋から今月にかけ、前年同期比で1・3倍。萩内伸哉副館長は「ドラマを機に、維新の功労者を多く輩出した留学事業のことも知ってほしい」と喜ぶ。関連商品も好調で、五代が輸出用に商品化を目指した味を県内業者が再現した「武士の紅茶」も同じく1・4倍を売り上げている。

 明治維新から150年を経て、現代に人気を呼ぶ五代の魅力は何なのか。「あさが来た」の時代考証を手がけた志学館大の原口泉教授(日本近代史)は「私腹を肥やさず、国の発展に尽くした高潔な生き方」と分析する。

 資金はあっても財閥をつくらず、死後は当時の金で100万円の借金を残した。ハイカラで女性に優しいエリート。大阪での葬儀は4800人が参列したという。「『武』を尊ぶ鹿児島では珍しいタイプのため疎まれた面があり、これまで紹介される機会が少なく、知らない人も多かった。戦による破壊ではなく、古いものを残しながら大阪を再建した五代の手腕は、『地方創生』が言われる今の時代にも参考になるはずだ」と指摘している。

この記事は2016年02月15日付で、内容は当時のものです。

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