総合的な学習(4)ゆとり 理想と現実のはざま

ゆとり教育導入に関わった元文科省官僚の寺脇研さん
ゆとり教育導入に関わった元文科省官僚の寺脇研さん
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かつては小学校教諭を務めた福岡教育大の津川裕教授
かつては小学校教諭を務めた福岡教育大の津川裕教授
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 個性重視、子ども主体が原点

 「総合的な学習の時間」(総合学習)は、学習内容の3割削減、完全学校週5日制を柱とする「ゆとり教育」が実現した2002年度から、小中高校で順次導入された。

 ところが、世界の15歳を対象にした国際学力調査(PISA=ピザ)で、日本のランキングは2000年代、低落傾向が一時見られ、ゆとり教育見直しの機運が高まっていく。そんな学力強化のうねりの中で、総合学習も岐路に立つ。小学校では20年度から、英語・外国語活動の新設や授業時間増に伴い、総合学習の授業時間数を削減する方向も検討されているという。

 総合学習って、そもそもなぜ導入されたのか? 目指す授業の姿は? 識者2人に聞いた。

 でも授業画一、マンネリ化

 まずは、総合学習導入に深く関わった文部科学省の元官僚で、京都造形芸術大で教授を務める寺脇研さんの話。

 「自ら学び自ら考える教育」を目指す総合学習は、国語や算数・数学といった教科の枠にとらわれず、児童生徒が時代変化に対応した「生活者としての知」を習得する狙いがあった。その源流は中曽根康弘政権下の1984年に発足した臨時教育審議会の答申にあったという。

 「『個性重視』と『変化への対応』がポイント。高度経済成長を支えたような、器用にものを覚え、みんなと同じにやる、競争に勝つ人間を育てるのは駄目だとなった。『主体的(な学び)』という言葉が初めて出てきたのはこのころだ」

 20年度から小中高校で順次本格導入される「アクティブ・ラーニング」(主体的、対話的で深い学び)につながる発想は、80年代バブル経済時代に胎動していた。総合学習は、今のアクティブ・ラーニング導入への布石だったという。

 「やっと分かったんですか、という感じですよ。リーマン・ショック、東日本大震災、原発事故があり、消滅するような市町村が出てきて、人口減、少子高齢化が思った以上のスピードで進む中で自ら学び、考える人間を育てなければいけないと」

 意外なことに、寺脇さんは総合学習削減の動きを歓迎していた。教科横断型、児童生徒の対話重視の授業スタイルが、全教科に広がっていくことが、当初の理想だったからだという。

 「総合学習は、学習の仕方、教師の教育の仕方をトレーニングする時間なんですよ。総合学習で学んだ子どもたちがいま、先生になり、指導に当たる時代になり、徹底されていく」

 子どもの発想や疑問大切に

 寺脇さんの話を、30年近く小学校教諭や教頭を務めた福岡教育大の津川裕教授(生活総合教育)に向けると、「うーん、その考え方、現場の先生たちにどれほど浸透しているでしょう」と首をかしげた。

 最近、ある小学校の総合学習の授業を見た。教員は、あらかじめ想定した範囲内に、児童の意見を集約し、学習の「めあて」だけでなく、「まとめ」まで児童に唱和させていた。「子ども一人一人で考えが違うはずなのに」。「子どもの個性重視」「主体的に学ぶ」が旗印だったのに、総合学習の多くは画一化、マンネリ化に陥っている。

 では、津川教授は小学校教諭の時代、どんな総合学習授業をやっていたのか。

 一例として「マンホールの授業」を挙げた。大きなマンホールのふたを見つけた児童が、「みんなに見せたい」と言ってきた。津川教諭は、模造紙にクレヨンでこすり出すことを提案。児童は実践を発表した。すると、新たな疑問が次々と湧いてきた。こんなに大きいのはなぜ? 丸い形に何の意味があるの?

 「たった一つの疑問から、授業は始められる。先生が準備しすぎるのではなく、要は子どもの発想をいかに引き出すか」

 子ども一人一人が考える裁量をどこまで広げられるか。それが、総合学習の醍醐味(だいごみ)なのかもしれない。

 ◆臨時教育審議会 中曽根政権下、首相の諮問機関として設置された。学者、文化人、マスコミ関係者などでつくる4部会で21世紀の教育のあり方などを検討。1987年までに4答申した。最終答申では、改革の基本的な考え方を「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」「国際化、情報化など変化への対応」という三つに集約。教育の画一、硬直、閉鎖性の打破を求めた。80年代は詰め込み教育、受験競争の激化、校内暴力などの問題に学校現場が揺れた時代。官邸・政治主導の教育施策立案という新たな流れをつくり、「ゆとり教育」実現の原動力になった。

=2017/07/23付 西日本新聞朝刊(教育面)=

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