受験ルポ(5)寄り道 ある予備校生の奮闘

予備校生のころ、自身が作成した復習ノートをミキ(手前)に見せる龍薗さん=1月21日
予備校生のころ、自身が作成した復習ノートをミキ(手前)に見せる龍薗さん=1月21日
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 九大生が運営する学習塾「九瑛舎」(福岡市早良区)=1月7日掲載=には、別の大手予備校からの帰り道、ふらりと立ち寄る女子学生がいる。

 ミキ(19)=仮名=は中学時代から飛行機に憧れ、航空整備士になるのが夢だ。前年度、国立大理工学部をAO入試で受験した。面接や口頭試問の1次試験には合格したが、センター試験の成績が届かなかった。

 お目当ては塾代表で九大3年生の龍薗一樹さん(22)。前年度の受験で指導を受けたのが縁で、今も頼りにしている。「先生とお兄さんの中間のような存在かな」。勉強でしっくりいかない点を聞いたり、おしゃべりをしたりして、帰っていく。一息つく「リセットタイム」のようなものらしい。

   ◇   ◇

 龍薗さんは鹿児島県生まれ。中学時代に父を亡くし、母は難病を患う。幼少時代から「負けず嫌いのお利口さん」だったそうだ。高校は県立の進学校へ。将来の職業を明確には描けなかったが、親や先生から言われるままに東京大理科一類(工学部系)を受験した。

 東大は受験生に得点が伝えられる。9点差の不合格だった。予備校に通った後、翌年も東大理一を受験した。ところが、得意の物理でまさかのつまずき。今度は1点に泣いた。

 「地元」「就職」「合格可能性」を考慮し、後期試験では九大工学部航空工学科を受験した。宇宙飛行士、若田光一さんの出身学科であることは、入学後に知った。

 「大学に入ったら、何かやりたいことが見つかるだろう」。そう思っていたが、モヤモヤ感は拭えなかった。ハンドボール部に入ったが、その年11月に退部。2年生のとき、学生有志を支援する「山川賞」に応募し、助成金100万円を得た。資金を元手に、同級生や後輩に呼び掛けて塾を開設した。

 「単なる勉強支援ではなく、それぞれの将来像を一緒になって考え、選択するサポート役になりたい」

 九瑛舎の「瑛」は「美しい玉の原石」をイメージした。現在は九大生16人が講師を務める。

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 ミキは本年度、前年と同じ国立大のAO入試に再挑戦。物理の口頭試問では思うように答えられなかった。

 「悔しいな。でも気持ちを切り替えて」「時間を割いてもらったのに申し訳ない」

 龍薗さんとそんなLINE(ライン)を交わし、センター試験に挑んだ。自己採点はまずまずで、首都圏にある公立大の工学系学部を第1志望に決めた。

 「めっちゃ、迷いましたよ」。というのも、兄は地元私立大、弟も私立高校に通い、父親は東京で単身赴任。両親は何も言わないが、家計を考えると「国公立大に入らなきゃ」。合格の可能性が高まる別学科の受験も一時は考えた。それでも「空への夢」を優先した。

 2人の受験は好対照でもある。将来像を明確に描きながら、受験の壁に阻まれるミキ。龍薗さんはぼんやりとした将来像の中、九大へ。

 ミキは龍薗さんによく言う。「それってずるい。何でそんなに勉強、頑張れるんですか」。でも、龍薗さんから見れば逆。「好きなもの、やりたいことがあるって、すごいじゃん」

 国公立大2次試験の前期日程(25日から)を前に、龍薗さんはミキに2冊のノートを見せた。自身が予備校時代につづった復習ノートで、表紙には「数学 基礎の極意」。「覚えておこう」「めっちゃ使える」「この考え方大事」。黒赤青緑色のめりはりある文字で、要点が整理されていた。

 「この時期、一番大切なのは自信。頑張ってきた自分を信じて」と龍薗さん。ミキは彼の歩みをたどるようにページをめくり、うなずいた。

 ◆AO入試 アドミッション・オフィス入試。学力重視の従来型入試に対し、志望理由書や面接、小論文、集団討論などを通して、能力や適性を総合的に評価する選抜方法。推薦入試とは違い、高校からの推薦が不要。大学入試センター試験の成績を加味して選抜する大学と、そうでない大学がある。米国の制度をモデルに、日本では1990年度、慶応大が初めて導入し、2017年度は計554大学が実施した。

=2018/02/04付 西日本新聞朝刊(教育面)=

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