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「ギロッポン」より「マツロッポン」 今、福岡で一番熱い街・六本松 閑古鳥からV字回復

「六本松421」(左側)が開業し、生まれ変わった六本松
「六本松421」(左側)が開業し、生まれ変わった六本松
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3-6階にある福岡市科学館の入り口。長蛇の列が連日続いている
3-6階にある福岡市科学館の入り口。長蛇の列が連日続いている
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六本松は、市民のオアシスである大濠公園に近く、天神などの都心へのアクセスも良い
六本松は、市民のオアシスである大濠公園に近く、天神などの都心へのアクセスも良い
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商店と人でにぎわっていた六本松の新道商店街(1975年8月撮影)
商店と人でにぎわっていた六本松の新道商店街(1975年8月撮影)
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往時を振り返る「光和堂」の大島達男さん
往時を振り返る「光和堂」の大島達男さん
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大島さんが持っている1965(昭和40)年の六本松周辺の地図。左下の広大な九州大の用地に比べ、そのほかの部分は住宅や店舗がぎっしり並んでいる
大島さんが持っている1965(昭和40)年の六本松周辺の地図。左下の広大な九州大の用地に比べ、そのほかの部分は住宅や店舗がぎっしり並んでいる
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 「へえ〜。六本木(ギ)じゃなくて、六本松(マツ)なんだね」
 福岡を訪れた東京の人はよく、こういう反応を示す。

 福岡市中央区六本松は今、人口150万人を突破した福岡市の中でも「最も熱い街」と言っていいだろう。東京風の俗語で言えば「ギロッポン」ならぬ「マツロッポン」だ。もともと街のシンボルだった九州大学のキャンパスは8年前に移転、景気低迷も相まって「冬の時代」が続いていたが、今年9月に再開発の核となる複合施設が誕生。転勤族の注目も高まりつつある。

年間360万人の来館目指す

 「わあ、こんなに並ぶの」。ある金曜日の午後、福岡市営地下鉄六本松駅を降りた家族連れが、驚きの声を上げていた。地上に出る階段の途中に<最後尾>と書かれたプラカードを持った係員がいたからだ。お目当ては、開業間もない福岡市科学館。「きょうはまだましな方ですよ」。係員の言葉に家族連れは「じゃあ仕方ないね」と列に加わった。

 地上には、長年親しまれた古びたキャンパスがあったかつての六本松とはまったく異なる風景が広がっている。目に飛び込んできたのは、レンガ色と白の格子柄がモダンでアカデミックなムードを醸し出す建物。九州最大級のプラネタリウムを備える科学館を核にした複合ビル「六本松421」だ。六本松4丁目2番1号という住所から名付けられたというそのビル名ひとつとっても、斬新さを感じる。

 延べ床面積約3万7000平方メートル。3階以上は低層棟(6階建て)と高層棟(13階建て)に分かれ、低層棟には科学館や九州大法科大学院が入居。高層棟には住宅型有料老人ホームがある。1、2階の商業エリアにはスーパーや飲食店、蔦屋書店の九州の旗艦店が入った。開発主体のJR九州は、科学館と商業エリアで年間計360万人程度の来館を目指す。

2度の試練を乗り越え

 「六本松」という地名は、江戸時代、福岡城の城下町に近いことを示す目印になっていた6本の松に由来するという。ちなみに東京の「六本木」という地名も、一説には6本の松の古木があったからとされており、興味深い。

 六本松が学生街としての色合いを帯び始めたのは、1921年11月、後の九州大学の一部となる旧制福岡高等学校が設置されてからだ。63年には九州大学教養部が置かれ、学生たちが肩で風を切って歩くようになった。

 「『毎日が正月の太宰府天満宮ぐらい混んでいる』と言われていたもんです」。開業して53年になる「メガネの光和堂」の2代目、大島達男さん(55)は振り返る。当時の六本松は路面電車とバス通りが交差する交通結節点。65年の地図を見ると、一帯には個人商店がびっしりと連なり、ボタンだけを売る店や、小鳥店まである。

 そんな六本松に最初の試練が訪れたのは、2.5キロしか離れていない都心部・天神に次々と百貨店などが進出した70年代中盤以降。次第に客が離れ、物販店が少しずつ姿を消した。それでも街が活気を失わなかったのは、九大あってこその話だった。

 その九大が2009年、六本松から西区に移転。二度目の試練が襲った。学生、教職員計約6000人が消えてしまったのだから、商売には「ボディーブローのようにこたえた」(大島さん)。何とか持ちこたえていた飲食店もひとつ、ふたつと減っていき、窓から漏れる明かりも消えた。

 閑古鳥が鳴く街に希望を与えたのが、九大跡地の再開発構想だった。2014年、2万1000平方メートルの土地をJR九州が落札、商業施設や分譲マンションなどが入る二つの複合施設を建設する方針を明らかにしたのだ。

 朗報に、地元の商店主たちは「あともうちょっと、がんばろう」と励まし合ったという。それからわずか3年後、六本松は「V字回復」を果たした。

地価は急騰、転勤族も注目

 回復ぶりを如実に示すのが地価だ。福岡県が発表する基準地価(7月1日時点)で、六本松421に近い商業地(中央区六本松4-9-38)は、2011、12年に1平方メートルあたり41万4000円にまで落ち込んだが、17年は59万円にまで上昇。同様に、住宅地(六本松4-5-18)も10年には20万9000円だったのが、17年には1.5倍近い30万2000円になった。

 「注目も、実際のニーズも明らかに高まっている」。地元で25年前に開業した「さくら不動産」社長の田中雅将さん(64)はそう実感している。

 学生が去った後、六本松では残されたアパートになかなか借り手が付かず、家賃が下がり続けた。例えば木造のワンルーム、20平方メートルほどの物件は、3万5千円でも借り手がない状態だったという。取り壊されたアパートは、コインパーキングなどに姿を変えた。

 田中さんは「そうした『眠らせるしかなかった』土地が、地価の上昇に伴って動き出した」と話す。地価上昇は、メーンの通りから奥に入った住宅地にも波及しており、六本松に隣接する中央区谷では、1坪40万円程度だった土地が2倍以上で取引される例もあるという。「過熱感さえ出ている」(田中さん)状況だ。

 転勤族も、六本松に注目している。来春、福岡市に引っ越す予定だという都内のIT企業の男性社員(38)は「大濠公園にも徒歩で行けるし、今、一番注目の街だと聞いている」と、すでに物件の目星をつけている。

 2020年度には、六本松を通る市営地下鉄七隈線が、博多駅まで延伸される計画だ。大手企業の支社や営業所は博多駅周辺にも多く集まっており、男性は「格段に便利になるはず」と話す。さくら不動産にも問い合わせが増えており、田中さんは「(地下鉄空港線沿いの)西新や姪浜、(西鉄天神大牟田線沿いの)平尾、大橋といった転勤者に人気のエリアに、六本松が割って入る可能性は十分ある」とみている。

さらに続くインパクト、街の将来は

 六本松の再開発ストーリーには、まだ続きがある。複合施設「六本松421」南側では、今もつち音が響く。ここには2018年夏ごろ、中央区内にある福岡地裁、高裁などの裁判所が移る予定で、さらに検察庁、県弁護士会館も順次移転。弁護士事務所などの物件探しも熱を帯びつつあるという。

 新たな一歩を刻み始めた六本松。六本松商店連合会の会長も務める眼鏡店「光和堂」の大島さんは、「明かりが漏れる街によみがえってほしい」と願う。かつて軒を連ねた商店街は夜になっても店の明かりが通りを照らし、行き交う人が声を掛け合う場所だった。大島さんにとって「六本松421」は、そうした街の風景を取り戻す「核テナント」なのだ。

 小料理店「なぎさ」の店主、名郷梅子さん(70)も「六本松もだいぶ変わったねえ。でもまだまだ変わるやろ」と期待する。1979年に開店し、40年近くにわたって学生やサラリーマンに親しまれてきた。約30年前に始めたランチは、メーンのおかずにご飯とみそ汁、漬け物、小鉢2品というボリュームで750円という"六本松価格"。かつては教官に学生が連れられて来ていたが、これからは法曹関係者らでにぎわうことになりそうだ。

 マツロッポン探索の終わりに、六本松421の東端に回ってみた。ここには制服、制帽姿で手ぬぐいを手に踊る3体の銅像がある。九大の前身の旧福岡高等学校の同窓会がキャンパスに建て、学生に親しまれていた「青陵乱舞の像」を移設したものだ。

 時代は変わっても、学生街の記憶とともに彼らは六本松を見つめ続けるだろう。

=2017/10/13付 西日本新聞=

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