福岡藩祖・黒田官兵衛の父 職隆ゆかりの古木確認 中央区・大長寺 播磨の墓所から家臣移す

お堂に納められた「古木の根」に手を合わせる河東俊也住職
お堂に納められた「古木の根」に手を合わせる河東俊也住職
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古木の根が大長寺に納められた経緯を記した書き付け
古木の根が大長寺に納められた経緯を記した書き付け
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 ●珪化木か お堂作り安置、公開

 福岡藩祖・黒田官兵衛(如水)の父、職隆(もとたか)の墓所から掘り出され、播磨国(現在の兵庫県姫路市)から福岡に運ばれた「古木の根」が、福岡市中央区舞鶴1丁目の大長寺(河東(かとう)俊也住職)に残っていることが分かった。寺に残る書き付けや古文書から確認できた。寺は福岡の礎を築いた黒田家ゆかりの品を後世に残そうとお堂を作り安置。23日に黒田家16代当主長高さん(65)を招き、職隆の433回忌法要を執り行う。

 職隆は播磨国の小寺氏に仕え重臣として活躍。官兵衛が豊臣秀吉の天下取りに軍師として活躍していた1585年に亡くなった。関ケ原の合戦の功で、孫の長政が福岡藩主となった後、大長寺が墓所となった。一方、播磨国・妻鹿(めが)村(姫路市飾磨(しかま)区)の墓所はいつしか忘れ去られており、約200年後の1783年になって再確認され、遺骨は黒田家家臣の手で大長寺に移された。

 妻鹿村の墓所を掘り起こした際に出てきたのが木の化石とみられる古木の根。こうした経緯は、古文書「播磨古事」に記されており、2014年、姫路市の播磨学研究所の関係者が寺を調査に訪れて確認。寺には「職隆の墓所に古木の根があり、大長寺に納めた」との趣旨の書き付けも残っていた。

 古木の根は五つあり、大きい物で高さ約1メートル、直径約70センチ。木が化石化した貴重な珪化木(けいかぼく)の可能性もある。詳しい由来が伝わっておらず、以前は境内にバラバラに置かれていたが、貴重な歴史的遺物と分かり、1カ所にまとめて屋根をかけお堂を建立した。

 職隆の命日は8月だが、彼岸法要に合わせ433回忌法要は23日に営まれる。檀家(だんか)や黒田家の顕彰活動に取り組む藤香会ら関係者のみの参列。河東住職は「当時の人たちは、出てきた古い根を職隆公の分身のように思ったのでは。黒田家の歴史を伝える物を広く知ってもらいたい」と話している。古木の根は境内左奥にあり拝観できる。


=2017/09/21付 西日本新聞朝刊=

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