博多ロック編<233>総合芸術への道

映画の中の1カット。東日本大震災の被災地を行く山善
映画の中の1カット。東日本大震災の被災地を行く山善
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 福岡市の芸能プロダクション「パブリックチャンネル」の下本地崇(45)は10代後半、1980年代の博多のロックシーンにボーカリストとして身を置いた一人だ。すでにモッズ、ロッカーズなどは上京していた。その空白を埋めようといった意識はまったくなかった。むしろビート系の博多ロックでくくられることへの反発心が強かった。

 「インディペンデント。いつも独立した存在でありたかった」

 独立心が強い姿勢は逆に、ひと世代離れた博多ロックの本流のバンドからの信頼を集め、その後の交流にもつながっていく。

 中学時代からバンドでボーカルを担当していた。もちろん、音楽への傾斜はあったが、高校に入ると映画のような総合芸術に興味を持つようになった。

 「映画には音楽、文学、絵画などの要素が全部、詰まっている」

 地元の大学の芸術学部に進んだのもそんな理由からだった。大学卒業後はライブで歌い、CMカメラマン、芝居のプロデュース、ポスターの制作など、あらゆるジャンルのアートを手がけた。

   ×   ×

 1996年、同市博多区にスタジオ「ハイビーム」を立ち上げた。ここを自らの総合芸術の拠点として芝居やライブや絵画展などを展開した。ただ、下本地はアンダーグラウンドな活動に徹していた。2000年という節目に「パブリックチャンネル」を起こした。

 「スタジオの役者たちを表に出してあげたいという思いと、やはり、自分自身ももっと総合芸術に踏み込んでいきたかった」

 「トラベル・ハイ」というインディーズレーベルにもさらに力をいれた。12年、交流のあったブルースシンガー、山部善次郎をデジカメで何げなく撮ったとき「映画を撮りたい」との欲求が啓示のように起こった。

 「ロックスターの山善ではなく、人間山善を描いてみたい」

 数作目になる映画は「6600ボルト」(90分)というドキュメンタリーだ。山善のライブを追い、本人だけなく親を含めた周辺へのインタビュー。監督、脚本、撮影などすべてを一人でこなした。

 東日本大震災の被災地を訪ね、復興工事中の作業員に「聞いてくれ」と突然、歌い出すシーンなど山善の世界が描かれている。

 タイトルの「6600ボルト」は山善が少年時代に電線事故に遭った電流だ。そこには自分を含めた博多の音楽の熱量も込められているだろう。現在、編集作業中で、今年の秋ごろには公開される。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2015/02/16付 西日本新聞夕刊=

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