博多ロック編<238>打ち上げの夜に

「モッズ」のベースの北里(『エンゼル・ウィズ・スカーフェイス』から)
「モッズ」のベースの北里(『エンゼル・ウィズ・スカーフェイス』から)
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 ロックバンド「ザ・モッズ」のベース、北里晃一の音楽との出合いは中学時代のラジオだった。米軍のFEN放送から流れるブリティッシュロック、アメリカンロックに毎日、耳を傾けていた。少年ながら英国と米国のロックは「どこか違う」と感じていた。

 仲間たちと物まね半分でバンドを作ろうという話になった。担当楽器はギターから埋まり、残りくじを引く形でベースになった。

 高校に進むと福岡市・西新の「ライブ」に出入りするようになった。「ライブ」はその後、「ジャジャ」と店名を変え、現在も続いているライブハウスだ。北里はギターの友達と一緒に本格的なバンドを考えていた。

 「ボーカルがいるよな。誰がいいか」

 白羽の矢が立ったのが「ライブ」によく顔を見せていた陣内孝則だった。それまで話をしたことはなかったが、目立つ容姿は印象に残っていた。北里は陣内に声をかけた。

 「ボーカルにならないか」

 こうしてバンド「シューティング・スター」が結成された。文化祭などで演奏、短い間、活動した。ある日、陣内から北里に電話があった。

 「やりたいことがあるので、ボーカルをやめる」

 北里は「もう少し、やってみよう」と言ったが、陣内はその後、「ロッカーズ」を結成する。

 ×    ×

 「モッズ」の前身は1973年に警固中学の同級生の森山達也、浅田孟がユニットで結成した「開戦前夜」だ。警固中にはこの2人の一つ上に山部善次郎がいる。75年に「モッズ」を結成し、メンバーを入れ替えて77年に2期「モッズ」が生まれる。北里が「モッズ」に加入するのはこの2期からで、森山-北里の強固なラインが成立する。

 北里はそれまで「モッズ」のライブには必ず最前列で観(み)ていた。

 「ストレートで荒々しいステージだった」

 北里は「モッズ」の打ち上げにもまぎれこんだ。ある日、打ち上げの席で森山が「お前、俺とやるか」と言った。ベースの浅田が抜け、その空いた席に北里が指名されたのだ。北里は「俺にとってマイナーリーグからメジャーリーグへのいきなりの昇格」と語っている。

 79年に2期「モッズ」も解散し、そこに映画「狂い咲きサンダーロード」のサウンドトラックの話が舞い込んだ。森山、北里コンビに、梶浦雅裕(ドラム)と苣木寛之(ギター)がレコーディングに参加した。梶浦、苣木は解散状態になっていた「モダンドールズ」のメンバーだった。この録音を機に3期「モッズ」が誕生した。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2015/03/23付 西日本新聞夕刊=

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