キャバレー編<141>親子 歌の現場に生きる

サックスを吹く深見俊二(1954年)
サックスを吹く深見俊二(1954年)
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 キャバレーのバンドマンたちに話を聞いているとひんぱんに出てくるのは「フカミ」という名前だった。この「フカミ」というのは深見俊二(85)のことだ。

 「演奏がうまい。司会ができる。だれとでも親しくなる。顔がとても広かった」

 深見の息子で、現在、プロダクション「フカミ」の代表である深見一俊(63)は父についてこのように話した。

 俊二はキャバレー「月世界」のビッグバンドのバンマスであり、プロダクションの代表であり、渡辺プロの九州支社長でもあった。歌謡ショーだけでなくプロレス興行も引き受けていた。一俊は小学校時代に自宅へ多彩な来客があったことを覚えている。歌手の水原弘、フランク永井…。

 「自宅に力道山などが遊びに来てました。力道山からもらったセントバーナード犬の大きさにびっくりしました」

 俊二は面倒見もよかった。福岡にいた高橋真梨子を東京の渡辺プロに紹介したのも俊二だった。

 俊二は海軍軍楽隊上がりのサックス奏者で、俊二率いるビッグバンドは九州を代表するバンドでもあった。

 一俊に「サックスをやれ」と言ったのは高校に入ってまもなくだった。

 「それほど抵抗感はなかった。することもなかったので、すんなりとその楽器を手にしました。おやじほどうまくはなりませんでしたが」

   ×    ×

 バンマスの息子であってもバンドマンとして出発はバンドボーイからの下積みだった。その修業の後、山口県徳山市(現周南市)の「月世界」、北九州市の「ヤマト」、福岡市の「赤い靴」、そして「月世界」とキャバレーを回る。26歳のときにバンドマン生活にピリオドを打ち、深見二世として、プロダクション業務に専念することになった。

 仕事の軸はキャバレーのバンドに空きができたときに、入れ替えの人材を送り込む。そして、歌謡ショーの九州興行だった。

 歌手、森進一の全盛時代のことを回想する。

 「本当にチケットがよく売れました。段ボール箱に札があふれ出して困ったこともありました」

 俊二は戦後の九州音楽史、歌謡史を語るうえで、欠かせない証人である。ただ、一俊にとって父親としての顔はまた違っていた。

 「顔を合わすのは1週間に1度くらい。それに、よく怒られましたね」

 一俊をキャバレーのバンドマンにしたのは父親としてのある意味、跡取りとして将来を見越しての判断が働いたことはいうまでもない。

 俊二、一俊。キャバレーを土台に、福岡、九州の歌の現場で生きている。=敬称略

 (田代俊一郎)


=2012/12/18付 西日本新聞夕刊=

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