民謡編<325>ゴッタンの世界(8)

荒武タミを顕彰する「ごったんのふるさと」の記念板(JR大隅大川原駅前)
荒武タミを顕彰する「ごったんのふるさと」の記念板(JR大隅大川原駅前)
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 ゴッタン奏者の荒武タミが母親から習った歌は、現在イメージする流行歌や歌謡曲ではない。民謡、語り物といった日本の伝統歌謡である。

 タミの最初の師匠は母親だった。といっても母親はアマチュアであり、本格的に三味線、歌をプロに習ったのは13歳のときだ。この師匠が鹿児島県・国分の内村清太郎である。内村は放浪芸の流れをくむ盲目の芸能者だった。タミは内村について次のように語っている。

 「60歳くらいの、強い人、厳しい人だった。怒られてもじっとしていた…2カ月で覚えた」

 稽古は内村の家に通うのではなく、いわゆる出稽古だった。

 「うちに5日、隣に5日…馬に乗せて頼んできてもらった」

 鹿児島の霧島地域の各集落を転々とし、拠点の家に寝泊まりしながらの出張授業だった。タミの家にはタミだけでなく近くの娘たちも集まり、一緒に稽古を受けた。稽古が終われば、決まって内村のソロライブになり、村人も集まった。タミの弟子でもあった民俗芸能研究者の鳥集(とりだまり)忠男は自著「南九州の歌謡」の中で「(内村は)夜どうしうたい聞かせた。聞く人は涙ながらで」と記している。

   ×    ×

 鳥集は内村について「弟子に、『昔物』しか教えない」人物であったことを記している。「昔物」とはなにか。鳥集は「語り物」と解釈している。

 語り物は、簡単に言えば中世に始まり、近世に開花し、明治、大正、昭和中期ごろまで大衆に支持された口承文芸、口承芸能のことだ。薩摩琵琶、筑前琵琶、浪曲などもその系統で、「平家物語」に代表されるように、歌詞は物語性、事件性に富んだ内容になっている。

 語り物の演目は主に江戸、大坂発だった。それが地方に伝わる中で歌詞や調べに土着性が加味された。

 タミが後年、脚光を浴びた一つは近世歌謡の語り物を正統に引き継ぎ、記憶した最後の芸能者であった点だ。その意味では師である内村との出会いは不幸の連続の中での幸運な出来事だった。

 タミは演目のレパートリーについて「かますいっぱい」と語っている。つまり、数え切れないほどある、との含意だ。内村は物覚えの早いタミの才能を見抜いて、母に「3年預けてみよ」と言うほどだった。

 一度、聞いたら忘れないような、研ぎ澄まされた記憶力。そして、艱難(かんなん)辛苦の生活に裏打ちされた豊かな表現力。独り立ちの条件が整った。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2017/03/06付 西日本新聞夕刊=

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