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民謡編<327>ゴッタンの世界(10)

荒武タミ
荒武タミ
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 荒武タミが芸能者として一歩、踏み出した門付けは、現在のようなライブハウスや特定の野外ステージでの演奏ではなく、路上や家々を回るスタイルである。門付けの発祥は中世といわれ、その背景には季節に応じて神が祝福に訪れるという民間信仰があった、という。

 近世に入ると芸能色も強くなり、門付け芸の風景は戦前まで全国各地で見ることができた。その芸能の一翼を担ったのは視覚障害者である。民族音楽研究家の小泉文夫は「日本の(音楽の)歴史では特に、盲目の音楽家が果たした役割は大きい」と強調している。

 箏(そう)の宮城道雄、津軽三味線の高橋竹山などが知られるが、九州・沖縄でも荒武と同時代に生きた盲目の芸能者列伝を編むことができる。荒武を含む3人の芸能者と伴奏楽器を次のように並べてみた。

 【荒武タミ】(1911~1992)=ゴッタン

 【山鹿良之】(1901~1996)=肥後琵琶

 【里国隆】(1918~1985)=奄美竪(たて)琴

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 この3人は明治末から大正中期の間に生まれた。荒武は鹿児島県の霧島山麓、山鹿は熊本県北部、里は奄美、沖縄を中心に活動した。3人は互いに交流、接することがなかった。それぞれの風土の中で杖(つえ)をつき、手を引かれ、楽器を背負い、抱えながら門付けして回った。

 荒武は5歳、山鹿は4歳、里は生まれてまもなく視覚障害者になった。3人はいずれも幼少期に失明し、弦を張った郷土の民俗楽器を伴奏に使った。共通点が多い芸能者たちだ。

 荒武のゴッタンについてはこの連載で触れている。山鹿の肥後琵琶は薩摩琵琶、筑前琵琶に比べて小さく、山鹿が使用した琵琶の中には三つに分解して持ち運ぶことができるものもあった。その素朴さや響きはゴッタンとも重なり合う。里の奄美竪琴は自作のもので、二つ折りにできる工夫も施され、これもまた、携行性に優れ、歩いて弾き語るのに便利だった。里は主にシマウタをメインに歌っていたが、語りに近い歌い方だ。残された音源に聴く3人の声はハスキーで、一種ソウルフルである。

 門付けは複製装置のマイクやアンプもない、まさに純粋な「生」である。ごまかしはきかない。歌、語り、伴奏に魅力がなければ聴衆から生きる糧-金品をもらうことができない。聴衆との真剣勝負の厳しい世界がこの3人の芸能者を生んだともいえる。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2017/03/27付 西日本新聞夕刊=

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