民謡編<328>ゴッタンの世界(11)

「山の駅」で売られているゴッタン(鹿児島県曽於市)
「山の駅」で売られているゴッタン(鹿児島県曽於市)
写真を見る

 鹿児島県南九州市の知覧で育った元鹿児島大学教授(民俗学)の下野敏見(87)は、少年時代、門付けのために家々を回って、弾き語りをするごぜ(瞽女)の姿を何度も見たことがあった。ごぜは「宿」を拠点にしながら芸能を披露した。「宿」は旅館のことではなく、ひいき筋の民家である。そこは寝泊まりする場所であり、ライブ会場でもあった。下野は言う。

 「芸を見たい人は入場料としてお金や米を持って、その家に行った。ゴッタンや三味線、そして歌の上手なごぜさんの所はたくさんの人が集まっていました」

 荒武タミが門付けをするのは18歳ごろからの1年間である。タミの門付けはごぜの多かった知覧ではなく、霧島山麓の村々である。場所は違うが、下野少年が見た風景と重なる。ただ、タミの回る地域には「宿」の制度は整ってはなく、「お宮の軒下に泊まった」などとも語っている。子守奉公の経験もあることから「子どもに好(す)かれ、家に泊まってくれ」とせがまれることもあった。芸の報酬として「お前(まえ)は上手だから」とお金をもらった。米をもらうことも少なくなく、それを米屋さんに売った。「子守の1年分の給金を1カ月で稼いだ」と語っているように、タミファンは多かった。

   ×    ×

 「器用ばかりで心のない芸は上手ではない」

 このタミの芸能論を象徴しているエピソードがある。得意な演目の一つ「荷方ぶし」を弾き語ったときだ。

 〈西は西方の弥陀釈迦(しゃか)如来 拝もとすれば雲がかり 雲に邪心はなけれども わが身の邪心で拝まれぬ…〉

 人は邪心ゆえに弥陀釈迦如来は拝めないという宗教色の強い伝統的な語り物だ。タミはゴッタンの小さく低い音を伴奏にして、人々の祈りや救済を求める心に響くように歌う。

 「(聴いていた)百姓さんが念仏をとなえた。なんまいだぶ。なんまいだぶ。仏さんの歌ですから。自分でも涙をでてきちょった」

 タミは聴衆の反応をこのように回想している。

 タミの芸は聴衆に思わず念仏を唱えさせる力があった。それは心ある芸だったからだろう。タミの「荷方ぶし」について民俗芸能研究家の鳥集忠男は自著「南九州の歌謡」の中で「タミの人生の苦行から生みだされた、聞きあきない本調子の名曲である」と記している。

 短い期間の門付けだったが、タミの芸は行き先々で評判を呼んだ。19歳で弟子を取る若き師匠として独立する。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2017/04/03付 西日本新聞夕刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]