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民謡編<329>ゴッタンの世界(12)

荒武タミを語る下野敏見
荒武タミを語る下野敏見
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 荒武タミが門付けや弟子への教授料などをためて、鹿児島県財部町(現・曽於市)に家を建てたのは23歳のときだ。この若さで新築の家を構えることができたのは、タミの芸の実力であることはいうまでもない。家は「ごったんのふるさと」との記念板があるJR大隅大川原駅からほど近い。死去するまでこの家に住んだ。タミの養子だった近くの荒武行雄は「タミさんが住んでいた家は今、借家にしています」と言った。

 このタミの家を1977年に突然、訪問したのが元鹿児島大学教授(民俗学)の下野敏見(87)だ。

 「絶対に記憶していると思いました」

 下野がタミへの聞き取り調査をしようとしたのは昔話だった。「昔話を知りませんか」。下野はこう切り出した。タミは「少しなら」と言った。その遠慮がちな言い方から、下野は「少しの数倍は知っている」と確信した。これまでフィールドワークからの経験だった。下野の勘は貴重な昔話の発掘につながる。

   ×    ×

 〈むかし、なあ、何処(どつ)かそん、兄弟三人おっ所(とこい)があったっじゃしと。ところがそん、上二人の兄達ゃ、焼酎好っでなあ、働いた銭な、いつも飲代(のんで)に、消ゆったしと…〉

 タミは方言で、昔話を語り始めた。下野はその後、何度もタミの家に通い、30の昔話を収集する。その成果は「鹿児島ふるさとの昔話」(南方新社)の中に収録されている。

 タミが近所のおじさんや眼科病院の待合室で患者さんから昔話を聞いたのは7歳から15歳ころまでだ。その昔話も基本的には一度、聞いたきりである、と下野に語っている。タミは一度聞いた昔話を記憶し、その語り口のままに数十年後に再現した。その間、だれにも昔話を語ったことはなかった。下野は「本当に頭のいい人。記憶力のいい人。驚きました」と回想する。

 日本全国の放浪芸を訪ね歩いた小沢昭一(故人)は自著「日本の放浪芸」の中で視覚障害者の芸能にも触れている。

 「暗記力…技芸力、それは、まさしく超人的です…何かを切り捨てた苦しみの中から、かえって一つの事に深く打ち込めるということ」

 タミもまた、小沢の言う「超人的」な一人であった。それは民謡、語り物といった音楽だけとどまらず昔話といった口承文芸まで及んでいた。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2017/04/10付 西日本新聞夕刊=

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