民謡編<332>ゴッタンの世界(15)

警備会社の金庫室に保管されている荒武愛用のゴッタン「太郎」
警備会社の金庫室に保管されている荒武愛用のゴッタン「太郎」
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 荒武タミは長年、愛用していたゴッタンを「太郎」と名付けていた。タミは1992年に死去した。没後、周辺の人は「太郎はどこにあるのだろうか」と行方を知りたがっていた。

 宮崎県都城市の警備会社の金庫室。厚さ20センチ超の金属扉を開ける。その中にあるロッカーの一つに太郎は眠っていた。

 「おやじが師匠からもらったと話していました」

 同市の経営コンサルタントの鳥集寿一はこう言った。おやじ、とは南九州の民俗芸能研究家の鳥集忠男で、師匠はタミのことだ。タミの弟子だった忠男も2002年に死去した。太郎は忠男の自宅に置いたままになっていた。「保管を考えなければいけない」。こう思った寿一が4年前に金庫室に預けていた。

 太郎は歳月の中ですすけ、黒ずんでいた。ただ、弦の下の板の部分は生木の色を伝えている。ゴッタンは三味線のようにバチで弾くのではない。主に人差(さ)し指で弾く。板に残されたその爪痕が演奏の激しさを物語っている。また、横に割れた筋が1本、入っている。

 鹿児島市の元鹿児島大学教授の下野敏見は、タミの家へ昔話を聞き取りにいったときに印象に残ったことがあった。

 「ゴッタンの板に刻まれた白さが生々しかった」

   ×    ×

 タミの晩年の弟子だった同市の会社員、橋口晃一(58)が1984年ごろに録音したテープの中に太郎などについて語る部分がある。

 「(ゴッタンには)太郎、次郎、花子など名前を付けた…太郎ばかり弾いていると次郎が…。太郎は自然に割れた」

 太郎ばかり使っていると次郎が焼き餅(もち)を焼く、といったニュアンスで語っている。橋口は「タミさんはよく擬人化して語っていました」と言う。

 実子がいなかったこと。ゴッタンへの愛が強かったこともあるが、タミの自然観をよく表している。

 タミはアルバムの中で次のように語っている。

「(ゴッタンが)かわいいから話しかける。私はなんにでも、草木にも話かける。ニワトリでも話しかける。人の心にならにゃなにもできんでしょう。一つ心にならなくては、ネコやってもトリやっても育てていけんでしょう」

 全てのものの中に命がある。タミのいわばアニミズムは自然に囲まれた霧島山麓での、目の不自由な生活から身についたものだろう。そこから生まれた素朴で力強いゴッタン芸が脚光を浴びる日が来る。使ったゴッタンは太郎だった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2017/05/01付 西日本新聞夕刊=

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