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民謡編<336>ゴッタンの世界(19)

橋口晃一と荒武タミ(1984年、荒武の自宅で)
橋口晃一と荒武タミ(1984年、荒武の自宅で)
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 ゴッタン奏者の荒武タミは1977年の国立劇場での演奏によって一躍、その名前が知られるようになった。一種のタミブームが起こり、弟子も増えた。一人で10人以上を同時に教えることもあった。その一人として鹿児島県曽於市のタミの自宅に訪れるようになったのが鹿児島市の橋口晃一(58)だ。

 「貸しレコード屋でめくっていたらタミさんのレコードが出てきた。鹿児島にこんなすばらしい音楽があったのかと興味がわきました」

 橋口は1984年の2月に弟子入りし、1カ月の間に13日間、稽古を受けている。ただ、時代の中で弟子の数も少なくなったころだった。タミは73歳、橋口は25歳だった。

 橋口は列車に乗り、片道4時間かけてタミの自宅に通った。橋口は稽古の模様を録音していて、現在では貴重な記録になっている。橋口が習いたかったのは「昔物」と呼ばれる語り芸だった。

 「電気こたつに向かい合って座り、フレーズごとに進んでいく教え方でした」

 橋口が最初の稽古の日、印象に残ったのはこたつの上に置かれたキッチンタイマーと腰に下げた、いくつかのヒモだった。

   ×    ×

 「稽古は1時間ごとに区切っせいすっでな。授業料は1時間500円。その日の最後にまとめて払てくいやんせ」

 タミの言葉通り、1時間経過するとタイマーがピピピと鳴る。タミは腰のヒモに結び目を一つ作った。

 「はい、1時間終了。手を温めやん」

 お茶を飲みながら少し、休憩する。最初の日、タイマーは4回鳴り、結び目は4個。橋口は2千円払った。橋口の1カ月の稽古時間は全60時間、計3万円で「荷方ぶし」「島ぶし」などタミの語り物13曲の稽古を受けた。

 タミの腰のヒモの1本は稽古用だったが、他のヒモは生活用だった。橋口は語る。

 「髪を切った日、爪を切った日、行事や約束事など結び目を作って記録されていたようです」

 目の不自由なタミにとってヒモの結び目は時計であり、カレンダーであり、日記だった。橋口はタミとの濃密な1カ月をこのように回想する。

 「新しい歌を教えてもらって毎日が楽しかったです」

 タミの人生そのものが大きな結び目がたくさんできる起伏に富んだものだった。失明、両親の早い死、子守奉公、門付け…。橋口が稽古を受けた8年後の1992年、タミは81歳でゴッタン人生を閉じた。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2017/05/29付 西日本新聞夕刊=

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