西日本新聞電子版 1周年記念プレゼント

民謡編<337>ゴッタンの世界(20)

荒武タミについて語る泊掬生
荒武タミについて語る泊掬生
写真を見る

 鹿児島県姶良市の山の中にある私設の「日本画美術記念館-草文」は今年3月で閉館した。館長である泊掬生(80)が2010年に開設したが、最近、体調を崩していた。泊の父と親交のあった福岡市出身の孤高の日本画家、西村草文とその息子の圭文の屏風(びょうぶ)や掛け軸、手紙、色紙などを中心に常設展示していた。

 閉館前に訪ねたときにはゴッタン奏者の荒武タミの小コーナーもあった。タミの写真やゴッタンなどが展示されていた。タミ情報の拠点にもなっていた。

 泊がタミの存在を知ったのはNHKのラジオ番組「風雪のゴッタン」だった。この番組は1982年に放送された。

 「聴きに来てくれた人が喜んでくれるようにうきうきして歌います」

 タミは番組の中でこのように演奏だけでなく、自らのゴッタン人生を語っている。

 当時、泊は鹿児島県奄美市の中学校で理科の教師をしていた。

 「このような弾き手がいるのか」

 泊はあわてて放送をテープに録音した。とりわけ強く心打たれたのは、タミが母親の言葉を口にした場面だった。

 「目が見えなくても心の目はちゃんと見えてる。世の中で悪いことをするな」

 母親が娘に残した人生訓だった。

   ×    ×

 泊は作家、太宰治の次の言葉をずっと胸に刻んでいる一人だ。

 「そもそも私は『文化』という言葉がきらいである。文のお化けという意味であろうか。昔の日本の本には、文華または文花と書いてある」

 「文化」ではなく「文花」である。泊にとってタミは「文花」の花びらの一つと思えた。

 タミは92年に死去し、その後、徐々に人々の記憶から消えゆこうとしていた。泊はタミに会ったこともなく、手紙を交わしたこともなかった。ただ、ラジオ番組を忘れることはなかった。

 タミの十七回忌。泊は自分にとって花びらであったタミに対して「なにかできることはないか」と思った。十七回忌の催しをタミの生誕地である同県姶良郡福山町(当時)で開くことにした。事前にメディアでも取り上げられた。

 当日、タミを記憶している200人近くが集まった。写真展示のほかにゴッタン演奏などもあり、タミ再評価の契機になった。この催しからタミに捧(ささ)げる歌も生まれた。また、生家跡近くに案内板も設置するなどのムーブメントも起こった。

 その流れは泊だけでなく、現在、若い世代にも引き継がれている。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2017/06/05付 西日本新聞夕刊=

→電子版1周年記念!1万円分賞品券やQUOカードが当たる!!

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]