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フォーク編<351>大塚博堂(3)

小学校の入学式での大塚博堂
小学校の入学式での大塚博堂
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 戦後の解放感を映した映画の主題歌「青い山脈」がヒットしたのは、大塚博堂が5歳のときの1949年である。

 〈古い上衣よ さようなら さみしい夢よ さようなら 青い山脈 バラ色雲へ…〉

 大分県別府市の大塚家の親戚の集まりでもこの歌が宴席に流れた。父の平治が幼い博堂に「歌いなさい」と指名する。母のイヤも促した。博堂が歌うと「うまい」との拍手が起きた。ささやかな家の中のライブだった。

 博堂は6人兄姉の末っ子。長兄の義裕とは21歳の開きがあった。兄たちが歌う「青い山脈」をすぐに覚えた。博堂は「当時の流行歌が…私の耳を通過して行くのでした」と記している。

 このシーンだけを切り取れば快活な少年のように思えるが、実は「カべカルイ(壁背負い)」の少年だった。6人兄姉のうち現在、ただ1人生存しているすぐ上の姉の永井洋子(76)は、博堂の性格について父母がよく口にしていた「カベカルイ」という言葉を覚えている。

 「周囲に溶け込めずに、教室の壁に背中を押しつけているような恥ずかしがり屋ですね。小学校に入ったばかりのころは私が手をつながないと行きたがりませんでした」

   ×    ×

 父は公務員で、父母は家訓とも言える言葉を6人の子どもに向かって、常に説いた。洋子は言った。

 「父は『ぶらずに、らしく』と、母は『ジッテイ(実体)に生きよ』といつも私たちに言って聞かせていました」

 父母に共通することは真面目に、正直に生きる人間になれ、との道徳、人生観である。こういう家庭環境の中、引っ込み思案で、シャイな博堂が光彩を放つのは歌だった。それが周りとのコミュニケーションだった。博堂本人も「人見知りな私を助けたものは絵を書く事と、そして歌を唄うことでした」と書いている。

 歌との最初の出合いは流行歌だった。そのメロディーも後年の曲作りに生かされる。

 「学校の謝恩会で、橋幸夫の『潮来笠』を歌い、小首をちょっとかしげる仕草(しぐさ)までして大受けでした」

 洋子はこう語った後、さらに言葉を継いだ。

 「確かに歌はうまかったですが、耳のよさに驚いたことがあります。廊下の足音でだれが歩いているかすぐに分かったようです」

 すでに少年時代からシンガーへの道は用意されていたのかもしれない。流行歌からクラシックへ。新しい上衣が待っていた。

 =敬称略

(田代俊一郎)


=2017/09/25付 西日本新聞夕刊=

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