フォーク編<362>大塚博堂(14)

1970年代に撮影されたナベプロの記念写真(部分)。大塚は上から2段目の左から2人目
1970年代に撮影されたナベプロの記念写真(部分)。大塚は上から2段目の左から2人目
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 所属タレントが集まった渡辺プロダクション(ナベプロ)の新年用の写真がある。クレイジーキャッツ、ザ・ドリフターズ、ザ・ピーナッツ、いしだあゆみ…。着飾った72人のそうそうたるメンバーが、クラス写真のように並んでいる。その中に交じって長髪、サングラス、口ひげで、スーツ姿の大塚博堂も写っている。

 博堂は1972年に博多から上京した。芸名は大塚たけし。この芸名で2枚のシングルレコードをワーナーパイオニアからリリースしている。「自由に生きてほしい」と、テレビドラマ「トリプル捜査線」の主題歌「風は知らない」だ。

 「自由に生きてほしい」の作詞は阿久悠、作曲は井上忠夫。「風は知らない」の作詞は山口あかり、作曲は平尾昌晃。作詞、作曲者の名前を見てもナベプロの大塚への期待度を示している。しかし、あまり、売れなかった。たけし時代の2年間は大塚にとっては不遇の時代だった。博多の友人井手ごいち(72)=福岡市=はこの時代に東京の喫茶店で大塚に会った。

 「コーヒー代を払うとき、大塚さんはポケットを探るしぐさをするので、私が払いました。経済的につらいのかと思いました」

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 東京・銀座にナベプロ系のライブハウス「メイツ」があった。所属タレントの発信の場だ。ここでウエーターをしていた福島県いわき市のタムタムこと佐川四郎(70)は当時のことを振り返る。

 「大塚さんはここでは持ち歌の『自由に生きてほしい』などは歌わず、ジャズナンバーを歌っていました」

 経済的な面だけでなく、歌謡曲路線に違和を感じていた、と言える。佐川は言う。

 「ジャズシンガーとして博多でテッペンを取っていた大塚さんには、プライドがあったのではないでしょうか。ジャズシンガーへの夢を捨て切れていなかったようです。私も大塚さんのジャズボーカルが大好きでした」

 佐川は東京・青山にあったクラブ「バルセロナ」の支配人になり、この店で歌うように大塚を誘った。ナベプロには秘密にしていたのか、また、ナベプロが黙認していたのかは判然としない。ただ、「バルセロナ」でのライブが大塚の音楽人生の中で、決定的な転機をもたらすことになる。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2017/12/18付 西日本新聞夕刊=

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