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博多ロック編<185>「サンハウス」の誕生

3人の出会いから「サンハウス」は生まれた。(左から)篠山、柴山、鮎川=撮影・上田恭一郎
3人の出会いから「サンハウス」は生まれた。(左から)篠山、柴山、鮎川=撮影・上田恭一郎
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 柴山俊之と鮎川誠が直接、出会うのは福岡市・堅粕に住んでいたバンド「アタック」のベース、平野義法の家だった。

 「新しいバンドを作りたい」

 平野からの連絡を受けて、柴山はドアを開けた。平野本人はいなかった。いたのは、鮎川だ。鮎川も平野から同じような誘いを受けていた。1時間後に招集した本人、平野が帰ってきた。

 「待っている間、鮎川とはほとんど話はしなかったと思う」

 初対面の沈黙を埋めるのは鮎川のギターだった。鮎川はマディ・ウォーターズのブルース曲を弾き続けていた。その音が柴山の印象に残った。

 「外国のバンドのレコードの音と同じだな」

 鮎川は九州大学の入学式の夜、「アタック」が演奏していたダンスホール「赤と黒」に駆け付けた。開店前だった。時間つぶしに別のダンスホールをのぞいた。そこのステージで初めてボーカルの柴山を見た。

 一方、柴山は、人ごみの中でも目立つ、長髪でギターケースを抱えた長身の鮎川を何度も街角で見かけたことがあった。

 すれ違っていた柴山と鮎川。2人は平野の家で出会ってバンドを組むが、バンド名もなく、1回のステージを踏むだけで消えた。

   ×    ×

 「新しいバンドを作りたい」

 数カ月後、柴山は同じような電話を今度は「アタック」のギター、篠山哲雄から受けた。鮎川の福岡県久留米市のアパートのドアにも「連絡請う」との篠山からの伝言メモが張られた。

 柴山、鮎川、篠山。福岡市・天神の喫茶店「アメリカン」に集まった。柴山はバンド「キース」を解散し、家業を継ぐために音楽から離れようと決意していた。

 「この話は断るつもりで行った」

 篠山と鮎川は熱く語った。

 「ブルースをやるバンドを作ろう」

 柴山はそれほどブルースに詳しくはなかった。ただ、鮎川のギターにはどこか捨てがたい魅力を感じていた。

 「1年だけでもやってみるか」

 家業を継ぐ話は1年、待ってもらうように親を説得した。

 柴山はドラムには浦田賢一、ベースには浜田卓を推薦した。新しいバンドは当初、名前もないまま、ダンスホール「ハニー・ビー」のハコバンドからスタートを切った。店側から「名前があった方がいい」との話もあり、鮎川がブルースシンガー、サン・ハウスの名前を取ることを提案した。

 1970年の冬。ブルース・ロックバンド「サンハウス」が誕生した。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2013/12/09付 西日本新聞夕刊=

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