【きょうのテーマ】和紙と竹で和傘づくり 大分県中津市 和傘工房「朱夏」をたずねて

鮮やかな赤色の和傘。和紙を通る光が美しい
鮮やかな赤色の和傘。和紙を通る光が美しい
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傘の「骨」に和紙を張る梶原さん(左)
傘の「骨」に和紙を張る梶原さん(左)
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傘の内側にほどこされた「かがり」。ししゅう糸を骨と骨の間に編み込んでいる
傘の内側にほどこされた「かがり」。ししゅう糸を骨と骨の間に編み込んでいる
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和傘をアレンジした「あんどん」
和傘をアレンジした「あんどん」
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巨大和傘を広げてみせる今吉さん。祭りで使う傘だそうだ
巨大和傘を広げてみせる今吉さん。祭りで使う傘だそうだ
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 ●天にかざすと美しい光が… 雨音も楽しみ

 和紙と竹で作る日本伝統の和傘。黒田官兵衛がひらいた城下町、大分県中津市では江戸時代から作られている。ふだん私たちが使う傘とはどう違うの? なぜ和紙なのに雨にぬれてもやぶれないの? 中津市の和傘工房「朱夏」をたずね、和傘の魅力をさぐった。

【紙面PDF】きょうのテーマ=和紙と竹で和傘づくり

 工房に入ると、赤や紫など色とりどりの和傘が並んでいた。電灯をおおうシェードも和傘の形。たくさんの傘に囲まれ、職人の梶原あけみさん(62)が傘の「骨」に和紙を張っているところだった。

 ▼……油をぬって防水

 「和傘作りの手順は、細かく分けたら70以上もある」と梶原さんが手を止めて説明してくれた。大まかに言うと、細く切った竹を糸でしばるなどして骨の形に組み立て、和紙を張る。骨の本数は36~48本と洋傘より多い。女性用の傘は、開いて下から見上げたときに美しいよう、内側の骨と骨の間に飾り糸を編む。すべて手作業だ。驚いたのは、和紙を張るのに使う「のり」の材料が食べ物のタピオカだったこと。なべで煮てのり状にするという。

 和紙を張ったらその上に油をぬり、1週間ほど外に干して乾かす。「これで雨水をはじくんよ」と梶原さん。雨の日にさして本当に大丈夫? 梶原さんは笑って「もちろん」。こわれた和傘の修理も引き受けている。

 工房では、和傘のほとんどを注文を受けてから作る。お客さんが自分で色や模様を選べ、世界に一つだけの傘ができる。完成まで2~3カ月かかるそうだ。

 ▼……緊張の作業体験

 私たちも和紙を張る体験をした。骨5本分の大きさに合わせて扇形に切った和紙を、1枚ずつ張る作業だ。まずブラシにのりをつけて細い竹の骨にぬる。のりが乾かないうちに和紙を張らなければならないが、すぐに乾いてしまった。和紙を張るときは「数ミリでもずれると、傘を開いたときにきれいに見えない」とアドバイスされ、緊張で手がふるえた。とても集中力がいる作業だった。

 和傘の魅力を聞くと、梶原さんは二つ挙げた。まず「雨の音がパタパタパタと、とてもいい音で伝わってくること」。もう一つは美しさだ。「ほら、天にかざしてみて。和紙を通った光がきれいでしょ」。和傘をさすと、雨の日が楽しくなるかもしれない。

 ●途絶えた伝統、仲間と復活させる 代表の今吉さん

 200年以上前から続く中津伝統の和傘作りだが、実は一度途絶えていた。復活させたのが「朱夏」の代表、今吉次郎さん(64)だ。

 「むかしは傘は位が高い人だけがさす、権力のシンボルやったんよ」と今吉さん。中津では江戸時代、傘作りは下級武士の仕事の一つで「傘は頭の上にさすものだから、武士としてはずかしくない仕事だと自分を納得させて作ったんやないかな」と想像する。

 その後も中津で傘作りは続き、昭和初めには約70軒の和傘店があった。でも洋傘が広く使われるようになり、2000年代に入ると店がなくなってしまった。

 市のまちづくりに関わっていた今吉さんは05年、「地域の伝統を残そう」と仲間数人と「朱夏」を立ち上げ、独学で和傘作りを再開させた。和傘は城下町だった中津の町並みに似合うし、市の祭りでも使うからだ。朱夏では4人が制作に携わり、和服を着る人など、根強い“和傘ファン”のニーズにこたえている。各地の祭りや福岡市の博多座の歌舞伎で使われる傘の修理も引き受けているそうだ。

 全国でも、和傘を作る店は少ない。今吉さんはもっと和傘に親しんでもらおうと、和傘を応用したあんどんやランプシェードも商品化。若い人向けに、ネコやハートなどがプリントされた和紙を使った和傘も作っている。

 和傘は1本2万円から。問い合わせは朱夏=0979(23)1820。

【紙面PDF】きょうのテーマ=和紙と竹で和傘づくり


=2017/04/19付 西日本新聞朝刊=

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