【きょうのテーマ】追悼水木しげる ゲゲゲの人生展 妖怪通して人間描く

過酷な戦争体験を描いた「総員玉砕せよ!」の原画
過酷な戦争体験を描いた「総員玉砕せよ!」の原画
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書斎を再現した展示。水木さんの背中と鬼太郎や妖怪の姿が映像で浮かぶ
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波乱の人生を絵と写真で紹介したコーナー
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長女の原口尚子さん
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 ●戦争への怒りを込めて

 「ゲゲゲの鬼太郎(きたろう)」などで知られる漫画家(まんがか)、水木(みずき)しげるさん(1922~2015)の生涯(しょうがい)を紹介(しょうかい)する特別展(とくべつてん)「追悼(ついとう)水木しげる ゲゲゲの人生展」が10日まで、福岡(ふくおか)市中央(ちゅうおう)区天神(てんじん)の福岡県立美術館(びじゅつかん)で開かれています。会場では今も子どもたちに人気の「妖怪(ようかい)物」だけでなく、自身の過酷(かこく)な戦争体験を描(か)いた作品も展示(てんじ)。漫画が大好きなこども記者6人が「水木ワールド」を取材しました。

【紙面PDF】きょうのテーマ=追悼水木しげる ゲゲゲの人生展

 ■多感な少年時代

 同館の魚里洋一(うおざとよういち)学芸課長(54)が会場を案内してくれた。水木(みずき)さんの本名は武良茂(むらしげる)。大阪(おおさか)出身で現在(げんざい)の鳥取(とっとり)県境港(さかいみなと)市で育った。少年期は「朝寝坊(あさねぼう)で鳥取弁(べん)で“ずいた”と呼(よ)ばれる食いしん坊だった」という。絵が得意で、13歳(さい)の時には水木さんの才能(さいのう)に驚(おどろ)いた学校の教頭が個展(こてん)を企画(きかく)、新聞で「天才少年」と紹介(しょうかい)された。

 水木さんは幼(おさな)い頃(ころ)、家のお手伝いのおばあさんから妖怪(ようかい)などの伝説を聞いて「祖先(そせん)の霊(れい)が心の中に入ってくる」と感じ、不思議な世界に興味(きょうみ)を抱(いだ)いたという。

 ■想像力(そうぞうりょく)と絵の力

 色鮮(いろあざ)やかな妖怪画の原画が展示(てんじ)されていた。水木さんの絵の魅力(みりょく)を、魚里さんは「さまざまな風景の中に妖怪を見つけ出す豊(ゆた)かな想像力」と言い、江戸(えど)時代からあった妖怪画を「自分のイメージで再構成(さいこうせい)しているのが見事。妖怪を生き生きと現代によみがえらせている」と解説(かいせつ)した。再現された書斎(しょさい)や、資料(しりょう)として集めたという世界の奇怪(きかい)な仮面(かめん)も目を引いた。

 「鬼太郎(きたろう)」の中で水木さんが特に愛したのは「ねずみ男」で、物語は単純(たんじゅん)な「正義(せいぎ)と悪」になっていない。梶原彩里(かじわらあさと)記者は「ねずみ男は欲(よく)など人間の汚(きたな)い部分を表し、彼(かれ)が周りを乱(みだ)すと話が面白くなる」と気付いた。

 戦争や貧乏暮(びんぼうぐ)らしを経験(けいけん)した水木さんが残した名言のコーナーも。宮崎陽士(みやざきはると)記者は「のん気にくらしなさい」が心に残った。「つらい気持ちになったらこの言葉を思い出して頑張(がんば)る」。小野歩(おのあゆみ)記者は「けんかはよせ腹(はら)がへるぞ」を選んだ。

 ■戦死者の霊感じ

 数多くの戦記物も描(か)いている水木さんは、太平洋戦争中、激戦地(げきせんち)のパプアニューギニアに出征(しゅっせい)し、左腕(ひだりうで)を失った。その体験を下敷(したじ)きにした「総員玉砕(そういんぎょくさい)せよ!」(1973年)の原画もあった。「玉砕」とは玉が砕(くだ)けるように潔(いさぎよ)く死ぬことで、戦死を美化した言葉だ。

 宜野座由豊(ぎのざゆいと)記者は「玉砕という言葉を初めて知った」。稲田章剛(いなだしょうごう)記者は「本当の戦争はどうだったのかがよく分かる」と立ち尽(つ)くした。絵には水木さんの「僕(ぼく)は戦記物をかくと、わけのわからない怒(いか)りがこみ上げてきて仕方がない。たぶん戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う」という言葉が添(そ)えられていた。樋口巧琉(ひぐちたくる)記者は「水木さんが描く妖怪には、のんびりした平和が大切というメッセージがある」と感じた。

 ●長女の原口尚子さんに聞く 「作品を生む苦労はすごかった」

 水木さんの長女、原口尚子(はらぐちなおこ)さん(54)=水木プロダクション社長=に父親の素顔(すがお)や作品について聞いた。

 -どんなお父さんでした?

 仕事ばかり。貧乏(びんぼう)だったので食べていくのに猪突猛進(ちょと
つもうしん)。家族を支(ささ)えるのに一生懸命(いっしょうけんめい)な自慢(じまん)できる父だった。

 -お父さんが漫画家(まんがか)というのをどう思っていた?

 子どもの頃(ころ)は正直嫌(いや)だった。私(わたし)も絵を描(か)くのがすごく好きだった。でも「うまいね」とほめられた後、必ず「お父さん漫画家だもんね」と言われる。お父さんは関係ないのに…だから中学生になって絵を描くのをやめた。

 -漫画のアイデアはどこから?

 父はアイデアを「種」と呼び、常(つね)に「種が無い」と苦しんでいた。そんな時は近所のお寺を散歩(さんぽ)してヒントを得ていた。作品を生む苦労はすごかった。

 -なぜ「ゲゲゲの鬼太郎(きたろう)」という名前になったのか?

 最初は「墓場(はかば)鬼太郎」で描いていた。少年誌連載(しょうねんしれんさい)やテレビアニメ化で今の題名に。父は子どもの頃自分の名を「しげる」と言えず「げげる」と発音。あだ名も「げげ」だったので「ゲゲゲ」に。なので「水木しげるの鬼太郎」という意味もある。

 -作品が愛される理由は?

 描かれた当初から絵も物語も古いから、これ以上古びない。作品に閉(と)じ込(こ)められた昭和の空気を懐(なつ)かしいと感じる人、逆(ぎゃく)に新鮮(しんせん)だと感じる人がいて読(よ)み継(つ)がれているのでは。

 -戦争の話も聞いた?

 戦地で缶詰(かんづめ)をもらったが缶切りがなくて指で開けたので、戦後同じことをやったができなかったという。食料がなく、食べたい気持ちがそれだけすさまじかったんだなと語っていた。

 -作品から1冊(さつ)を選ぶなら?

 父が一番思い入れがあると語っていた「総員玉砕(そういんぎょくさい)せよ!」ですね。戦争で無為(むい)に死んでいった人たちの気持ちを、生き残った自分が伝えるんだという思いに突(つ)き動かされて描いた。いつかみなさんにも読んでほしいです。

 ●わキャッタ!メモ

 ▼追悼(ついとう)水木(みずき)しげる ゲゲゲの人生展(てん) 10日まで、福岡(ふくおか)市中央(ちゅうおう)区天神(てんじん)の福岡県立美術館(びじゅつかん)。漫画家(まんがか)水木しげるさんの原画やゆかりの品々など計約390点を展示(てんじ)。入場料は一般(いっぱん)1300円、高・大学生1000円、小中生600円。同美術館=092(715)3551。

【紙面PDF】きょうのテーマ=追悼水木しげる ゲゲゲの人生展


=2017/12/06付 西日本新聞朝刊=

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