【きょうのテーマ】「小鹿田焼」の窯元を訪ねて 300年、親から子へ技術継承 大分県日田市

焼く前の食器がずらりと並べられ、天日で乾燥されていた
焼く前の食器がずらりと並べられ、天日で乾燥されていた
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川の流れを動力にした唐臼。土をつき、細かく砕いていた
川の流れを動力にした唐臼。土をつき、細かく砕いていた
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黒木さんが他の窯元と共同で使っている登り窯
黒木さんが他の窯元と共同で使っている登り窯
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 大分県日田市の焼き物「小鹿田(おんた)焼」は、静かな山里で300年以上も作り続けられています。昨年7月の九州豪雨で被害を受けましたが、少しずつ復旧中です。こども記者・特派員が窯元の一人、黒木史人さん(41)を取材しました。

【紙面PDF】きょうのテーマ=「小鹿田焼」の窯元を訪ねて

 日田市の市街地から十数キロ。山あいの道を上っていった先に、小鹿田焼の窯元10軒などの集落があった。

 黒木さんは、自宅とつながった工房でこども記者たちを迎え、最初にこう教えてくれた。「地元の土で、自然の力と人の力だけで作るのが小鹿田焼の特徴です」。その技術は親から子へ「一子相伝」で受け継がれ、300年以上になるそうだ。甲斐有莉記者は「うれしそうに話されたので、誇りなのだろう」と感じた。

 黒木さんは「どうしてこの場所かというと、原料になる土と、動力になる川と、焼くための木があるからです」と説明した。

 ■川の水で土を砕く

 大まかな工程は(1)山から運んだ土を細かく砕く(2)その土を水に混ぜてろ過し、粘土状にする(3)粘土をこね、ろくろで食器などの形にする(4)天日で乾かした後、途中で釉薬をかけて登り窯で焼く‐の手順だという。

 こども記者は(1)で使う「唐臼」というシーソーに似た木製の装置に驚いた。片方の端はひしゃくのようになっていて、そこに川の水がたまったり出たりして上下するので、反対側の端のつき棒も上下し、土を砕く。「ギーコン、ギーコン」という音が響いていた。

 梶原彩里(あさと)記者は「川の流れを利用して、もちつきのよう。自然の力を生かしていて、すごい」と思った。

 ■豪雨被害を越えて

 黒木さんは(3)の作業の手本を見せて、こども記者にもやらせてくれた。粘土は外側が硬く内側が軟らかいので、均等になるように手のひらで押さえ、体重をかけてこねる。黒木さんは勢いよくこねたが、芝葉和(はな)記者は「とっても硬くて、手がじんじんした」。

 安部怜士特派員は足でけってろくろを回し、その上に置いた粘土に手をそえてコップを作る作業にも挑戦したが、回すだけでも息が上がり、コップの形にするどころではなかった。

 れんがで造られた登り窯も見せてもらった。すべてまきで焼き、温度計は使わずに炎の色などを見て、温度調整をするそうだ。

 九州豪雨では、唐臼が流された窯元もあり、川沿いの道路も崩れたが、少しずつ復旧している。同じ日田市内に住む梶原記者は「小鹿田焼は日田の大切な宝物。これから何年も何年も続いてほしい」と思った。

 ●「自由にできるけど、全ての責任」 黒木さん

 こども記者たちは、小鹿田焼窯元の黒木史人さん(41)に聞いた。

 黒木さんは家業を継いだが、子どものころから継ぐつもりだったのか、と聞くと「きょうだいで男は僕だけ。継がないと廃業になりかねないので、しょうがなかったんだ」と言った。高校を卒業後、職人になって23年だという。

 仕事の大変さを聞くと「僕は母と嫁と3人で仕事をしていますが、基本的には全部、自分でしないといけない。自由にできるけど、全ての責任を自分で負うのが、いいところでもあり、大変なところでもあります」と話してくれた。

 小鹿田焼の種類を挙げてもらうと「一番多いのは食器で、花を飾るものもある。つぼも作るし、最近、手洗い鉢も作りました」。模様について聞くと「昔からある定番は10種類くらい。でも、自分でアイデアを思いつけば、いくらでも作れます」と教えてくれた。

 ●わキャッタ!メモ

 ▼小鹿田焼 大分県日田市源栄町皿山で宝永2年(1705年)に始まった焼き物。国指定の重要無形文化財。福岡県の小石原焼などの影響を受け、つぼや鉢、茶碗などを主に作る。破線状に模様を描く「とびがんな」など、昔ながらの素朴で伝統的な技法を守っている。

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=2018/01/24付 西日本新聞朝刊=

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