【きょうのテーマ】平和な古里をつくるために 宇佐海軍航空隊跡を歩く(大分県宇佐市)

宇佐市の史跡として保存されている城井1号掩体壕。コンクリート製で軍用機を空襲から守った
宇佐市の史跡として保存されている城井1号掩体壕。コンクリート製で軍用機を空襲から守った
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「城井1号」の内部には「零戦」のエンジンとプロペラが置かれている
「城井1号」の内部には「零戦」のエンジンとプロペラが置かれている
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落下傘整備所跡の建物には「最優先で消火」を意味する「○」が付けられた
落下傘整備所跡の建物には「最優先で消火」を意味する「○」が付けられた
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米軍の爆撃でできた穴に雨水がたまった「爆弾池」
米軍の爆撃でできた穴に雨水がたまった「爆弾池」
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 ●「戦跡」という語り部 生き残り門、爆弾池… 空襲の激しさ伝える

 皆さんは戦争遺跡(戦跡)という言葉を聞いたことがありますか? 戦争のために作られたり、戦災の跡が残ったりしている建物などのことです。太平洋戦争中に旧宇佐海軍航空隊の基地があった大分県宇佐市では、全国に先駆けて数多くの戦跡を市の史跡や文化財に指定し、平和を考える場所として活用しています。こども記者が市内を歩き、戦跡という「語り部」の声なき声に耳を澄ませました。

【紙面PDF】きょうのテーマ=平和な古里をつくるために

 JR柳ケ浦駅で同市の町おこし団体「豊の国宇佐市塾」の塾長、平田崇英さん(69)が出迎えてくれた。同塾は「古里が戦場だったことを後世に伝えたい」と1987年の発足以来、航空隊関連の戦跡の保存や調査に取り組む。平田さんは「戦争体験者は年々少なくなっている。これからは戦跡など『物』を語り部にしなければ」と話した。

 まずは柳ケ浦小学校(旧三州国民学校)に足を運んだ。戦争末期は軍が使用し、子どもたちは近くの神社などで勉強したそうだ。塀の一部には45年4月21日の米軍による空襲で機銃掃射を受けた跡が生々しく残っていた。銃弾でえぐれた穴に触れると「痛かった」「怖かった」と塀が叫んでいるようだった。

 この日の空襲で市民を含む約330人以上が死亡した。同小に近い蓮光寺では本堂や周辺部に大きな被害が出たが、山門だけは破壊を免れたことから「生き残り門」と呼ばれ、大切に保存されている。爆弾の破片による無数の傷を残しながらすっくと立つ姿に、戦争を許さない強い気持ちを感じた。

 ■軍がすべてに優先

 航空隊の落下傘整備所跡では、建物の壁に大きく「○」の印が描かれていた。「軍の重要施設なので空襲の際は真っ先に消火せよという意味だ」と平田さんが教えてくれた。戦争中は軍がすべてに優先されるのだなと感じた。

 爆撃機B29から投下された爆弾で航空隊の周辺は穴だらけになった。大きなものは直径24メートルもあり、埋めるのに40人が勤労奉仕し、2週間かかった。穴は戦後、基地から田んぼに戻された時にほとんどが整地されたが、1カ所が「爆弾池」として保存された。直径10メートル以上の穴の大きさに爆撃の激しさを知った。

 ■散っていった命を

 市内の戦跡のシンボルが城井1号掩体壕だ。掩体壕とは軍用機を空襲から守るコンクリート製の格納庫で、中に入ると湿り気があって肌寒かった。コンクリートの表面には建設に動員された女学生のものとされる足跡が残っていた。外を見ると青空が目に染みた。

 掩体壕の隣に、宇佐から沖縄に出撃して戦死した154人の特攻隊員全員の名を刻んだ鎮魂碑があった。石碑に置かれた赤い玉が、散っていった命を象徴しているように見えた。

 「最期の瞬間、特攻隊員たちは古里や家族の無事を祈ったのではないか」と平田さんは語り、「戦争で命を落とした人に恥ずかしくない平和な古里をつくることが、今を生きる私たちの役割では」とほほえんだ。

 こども記者も鎮魂碑に手を合わせた。「なぜ戦争をしてしまったのだろう」と問いかける声が聞こえたような気がした。

 ●人間爆弾「桜花」 特攻の悲劇象徴

 「宇佐に来たら『桜花』の悲劇をぜひ知ってほしい」。取材の最後に平田さんは、市平和資料館に案内してくれた。桜花は特攻用に開発された1人乗りのロケット兵器で、同館では原寸大模型を展示している=写真。

 機体名は桜の花びらが潔く散るさまから付けられたという。機首に1・2トンの爆薬を装備し、大型の一式陸上攻撃機に吊られて敵艦近くに運ばれた。目標を捉えると切り離され、ロケットに点火。特攻隊員を乗せたまま時速千キロ以上で突入したことから「人間爆弾」とも呼ばれる。宇佐にも桜花の部隊が置かれたが、出撃直前に空襲されるなどして、戦死者829人という大きな犠牲に見合う戦果は上げられなかったという。

 同館には特攻にも使用された戦闘機「零戦」の操縦席を再現した展示もある。交代で席に座り、子どもにも狭いこと、防弾装備が貧弱だったことを知った。「戦争を指導したえらい人は国民の命をどう考えていたのか」。6人は戦争のむなしさ、理不尽さを痛感した。

 ●わキャッタ!メモ

 ▼城井1号掩体壕 幅21メートル、高さ5メートル、奥行き14メートルのコンクリート製で、内部には国東沖で引き揚げられた零戦のプロペラとエンジンの実物を展示している。戦後50年にあたる1995年に市史跡に指定された。戦跡としては90年の「ひめゆり部隊」に関連した南風原陸軍病院壕群(沖縄県)に次ぐ全国で2番目の史跡指定だった(3番目が広島市の原爆ドーム)。宇佐市内には計10基の掩体壕が点在し、一部は倉庫や車庫に使用され、市民生活に溶け込んでいる。

【紙面PDF】きょうのテーマ=平和な古里をつくるために

=2018/05/01付 西日本新聞朝刊=

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