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【九州の100冊】~リクエスト編(下)『青春の門 筑豊篇』 五木寛之 生きる原点、川筋にあり

山頂が削られた香春岳の一の岳(手前)。川筋の野に奇怪な存在感を放つ(本社ヘリから)
山頂が削られた香春岳の一の岳(手前)。川筋の野に奇怪な存在感を放つ(本社ヘリから)
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 ひとつ 昼間する炭鉱のぼんぼよ

 ふたつ 船でする船頭のぼんぼよ

 みっつ 道でする乞食(こじき)のぼんぼよ

 その哀調を帯びた歌は九番まで続く。中でも七番がもの悲しい。

 ななつ 泣いてする別れのぼんぼよ

 五木寛之は一九六九年、月刊誌に連載した「にっぽん漂流」の取材で、福岡県の産炭地・筑豊を訪れた。その際、この猥雑(わいざつ)な“読み人知らず”の歌を、自己流で「ぼんぼ子守唄」と名付けている。節回しは松浦地方の子守唄らしいが、炭鉱労働者に始まり、川ひらた(石炭運搬船)の船頭や乞食まで出てくるこの歌の舞台には、黒の大地・筑豊こそが似つかわしい。

 五木はこのころ、初めて挑む長編小説「青春の門」の舞台を筑豊に定めていた。同県筑後地方出身の五木は、山を越えた筑豊で茶の行商をした経験があった。二〇〇六年の週刊誌のエッセーで当時をこう振り返っている。

 「書きだしの文章が決まらず、七転八倒の苦しみをあじわっていた。悩みに悩んでいた私の脳裏に不意に浮かびあがってきたのは、あの香春岳(かわらだけ)の異様な印象だった」(新・風に吹かれて)

 春がすみの日、同県田川郡香春町を訪ねた。彦山(ひこさん)川、金辺(きべ)川、中元寺(ちゅうがんじ)川。筑豊に「川筋」の名をもたらした川々が、樹木が枝を広げるように平野を潤す。その川筋の野からいきなりせり上がるように、香春岳はあった。

 秀麗な峰が三つ連なり、炭坑節にも「ひと山、ふた山、み山越え」と歌われた名山だった。だった、と過去形でいうのは、昭和初期からセメントの原料にする石灰岩の採掘が続き、一の岳の頂がぺちゃんこに削られているためだ。川筋の野に、台形の山が醜いちゃぶ台のように存在する風景は、巨大な墓標を連想させる。

 この山が、大河小説・青春の門の源流点となった。五木は筑豊篇のプロローグを「香春岳は異様な山である」と書き出す。「膿(う)んで崩れた大地のおでき」のようだが、なぜか奇怪な魅力を発する山。「現在の筑豊のおかれている奇怪な現実を無言のうちに象徴している」と喝破し、「今はなき幻の山として伝説のように語られる日がやってくるのかもしれない」と結ぶ。

 このエピローグを端緒に、五木は川筋の人々の「生」の物語をいきいきと紡ぎ出す。「のぼり蜘蛛(ぐも)の重蔵」の忘れ形見・伊吹信介が、美しい義母のタエに育てられつつ、淡い性の目覚めや男になるための試練を経て、成長していく。青春の門・筑豊篇は一九七〇年に出版され、ベストセラーとなった。

 「香春岳と筑豊は、伊吹信介の原点であると同時に、五木先生の原点でもあるのではないでしょうか」。香春町で香春岳の撮影を続ける二郎丸弘さん(77)は語る。二郎丸さんは小一のときから母一人、子一人で育った。信介少年と似た境遇だ。五木も中学時代に母を失っている。

 二郎丸さんは二年前、五十年間撮りためた香春岳の写真集を出版した。表紙は、亡き母ナツさんが香春岳を背景に野良仕事に励む写真。「母は女手一つで香春岳のふもとの段々畑で野菜を作り、伊田(田川市)の炭住まで行商に通い、私を高校まで通わせてくれました」。郷愁を誘う写真の数々が五木の心を動かした。二郎丸さんの記念すべき写真集の巻頭を、「骨噛(か)みの山」と題した五木のエピローグが飾った。

 骨噛みとは炭鉱で死者を弔うこと。落盤事故にガス爆発。常に死と背中合わせで働くヤマの男たちは、同僚が死ぬと、「きょうは骨噛みたい」と言って仕事を休んだという。それが死者への礼を尽くすことであり、美徳であった。

 筑豊篇は東京の大学に進む信介が筑豊を去る場面で終わる。信介は八木山峠から飯塚の町を振り返り、亡くなったタエの遺骨を噛む。骨は「カリカリと爽(さわ)やかに」砕けた。筑豊の子・信介の、筑豊の子らしい旅立ちの儀式であった。

 五木がなぜ、記念碑的な作品の舞台を筑豊に求めたのかを考えてみたい。キーワードは「デラシネ」(根無し草)である。

 いろいろな五木のエッセーによると、五木は生後間もなく、教師の父の仕事で朝鮮半島に渡り、中学一年のとき、平壌で終戦を迎えた。現地の日本人の生活は辛酸を極める。零下何十度という寒さの中、発疹(はっしん)チフスが流行した。死者を焼く油もなく、五木らは大同江の厚い氷を割り、遺体を川に流した。

 そんなある日、五木少年は朝鮮人の集落で婦人のチョゴリを誤って自転車で汚す。とっさに朝鮮語で「哀号(アイゴー)!」と小さく叫び、頭を下げて通り過ぎた。朝鮮人に成り済まして逃れたつもりだったが、直後、背後から婦人が日本語で「日本人ノクセニ」と吐き捨てる声が聞こえた。ほおを焼くような羞恥(しゅうち)心。まだ中学生の少年の心に刻まれた屈折はいかばかりだったか。

 ようやく二年後、筑後に戻った五木と家族を待っていたのは、「引き揚げ者」のそしりであった。自転車に弟と妹を乗せて集落に近づくと、石を投げられた。

 住むべき土地も家も持たないデラシネ。悲しみを抱えた五木の胸に、一種の憧(あこが)れを伴って迫った土地が、筑豊だったのであろう。持たざる者たちが、炭鉱が発する「カネ」という磁力に吸い寄せられて集まった共同体である。人々は少々気は荒いが、義理に厚く、醤油(しょうゆ)やみその貸し借りは当たり前。困った人を見捨てては男(女)が廃る。それが川筋気質(かたぎ)だ。

 青春の門の登場人物にはみなどこか、香春岳の「膿んだおでき」のような影がある。信介とタエはいわゆる母子家庭。信介の幼なじみ織江は足が悪い。タエを慕う塙竜五郎はやくざ。信介のマドンナの梓先生は「おイヌさま」の家柄。それでもみんな、胸を張って生きていく。

 最後に筑豊篇の一場面を紹介したい。信介少年は在日朝鮮人の子どもを集団でいじめ、タエに「情(なさけ)なか!」と平手打ちされる。翌日、一対一で勝負し直すため、一人で朝鮮人集落に出向く。けんかの末に生涯の友を得た。

 人が、人と、生きる原点ではなかろうか。

 =敬称略

   ◇    ◇

 いつき・ひろゆき 1932年、福岡県八女市生まれ。戦後、北朝鮮より引き揚げ、早稲田大学露文科中退。PR誌編集者などを経て、66年、「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞、67年、「蒼ざめた馬を見よ」で第56回直木賞に輝く。「青春の門 筑豊篇」で76年、吉川英治文学賞。初エッセー集「風に吹かれて」は400万部を超すロングセラーに。現代性に富んだテーマと平易な文明批評が持ち味の人気作家。主な著書に「戒厳令の夜」「燃える秋」「朱鷺(とき)の墓」など。近年は「生きるヒント」「大河の一滴」「他力」など、人生論や仏教に傾倒した作品が多い。2002年に菊池寛賞を受賞。


※「九州の100冊」は2006年~08年に西日本新聞で連載。九州を舞台とした作品、または九州人が書いた著作で、次代に残すべき100冊を選び、著者像や時代背景、今日的な意味を考えながら作品を紹介したシリーズです。この記事は2008年3月23日付で、内容は当時のものです。

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