留学ビジネス ネパールからの報告(5)玉石混交 日本人の影も

日本語教育文化センターの教室で学生に声をかけると、日本語で一斉に「コンニチハ」と返ってきた=昨年12月、ネパール・パタン
日本語教育文化センターの教室で学生に声をかけると、日本語で一斉に「コンニチハ」と返ってきた=昨年12月、ネパール・パタン
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 ネパールで過熱する留学ビジネス。玉石混交の日本語学校には、日本人の存在もある。

 進む適正化 残る暗部

 首都カトマンズの学生街「バグバザール」の雑居ビル3階にある日本語学校。日本人女性のケイコさん(35)=仮名=は4畳半ほどの事務スペースで書類に囲まれていた。

 自称「電話番」。ネパールの語学学校は経営者や従業員数、学生数などを政府に登録する必要があるが、ケイコさんは登録外。

 学校のオーナーで夫のジョンさん(33)=同=と日本留学中に知り合い、結婚。ネパールに移住したケイコさんは配偶者ビザがあるだけだ。「単なるお手伝いってことになっていまして…」と苦笑いをした。

 だが、実際は、日本側の日本語学校の評判を分析し、見極める交渉人。時には日本語教師もこなす。「難民申請が出たり、教育の質が悪かったりする学校とは関係を切る。ちゃんと選ばないと学生がかわいそうだし、こっちも危ない」

 同じく、カトマンズで10年ほど前から日本語学校の運営に携わる日本人女性タエさん=同=は、旅行でネパールを度々訪れるうちに、留学ビジネスに参入した。「語学学校とは名ばかりの、人材派遣会社みたいなもの」と言い切る。

 留学前、現地で日本語能力試験があり、結果を日本の入国管理当局に提出する必要があるが、「カンニングだらけ。平仮名だけ教えて日本に送り込んできた。入管が許可する書類を作るのが私たちの仕事」と明かす。

 留学ビジネスの暗部がのぞく。

   ◇   ◇

 「彼女のレッスンを受けた学生は必ず日本で成功する」。そんな評判の日本人女性もいる。カトマンズ郊外の3階建ての古い民家。ルミさん(68)=同=は57歳の時にネパールに移住し、日本語学校の経営に乗り出した先駆者の一人だ。

 一度に受け持つ学生は2、3人程度。少数精鋭の寺子屋式を貫いている。看板はなく、生粋の日本人教師を頼る学生や留学仲介業者からのレッスン希望者が舞い込むという。

 言葉が「壁」となり、日本で仕事を見つけられずに悩むネパール人留学生が多いことから、目標はアルバイトの即戦力レベル。「もうけ主義で、日本語を教える能力すらない無責任な業者も多い。いずれ淘汰(とうた)されるでしょうけど」

 教育の質を高める目的で、1998年にはネパールの在日本大使館が協力し、日本語学校で組織する「ジャルタン」が設立された。現在20の学校が加盟。その一つが、カトマンズ郊外のパタンで2001年に設立された「日本語教育文化センター」だ。

 日本の新聞社とタイアップし、新聞配達に従事すれば学費や寮費を負担。中級程度の日本語能力とオートバイの免許保有が条件だ。アルナ校長は「本来は留学する資格がない学生を日本の入管がいつまでも見逃すはずはない」と語る。

 「JAPAN」ブームを、冷ややかに見つめる目もある。

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 西日本新聞「新 移民時代」取材班
 imin@nishinippon-np.jp

=2017/01/06付 西日本新聞朝刊=

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