留学ビジネス ネパールからの報告(2)「身分の壁」日本に活路

日本留学を誘う看板がひしめく学生街バグバザールには、工事現場でれんが運びの仕事に就く少年の姿もあった=昨年12月、ネパールの首都カトマンズ
日本留学を誘う看板がひしめく学生街バグバザールには、工事現場でれんが運びの仕事に就く少年の姿もあった=昨年12月、ネパールの首都カトマンズ
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 昼すぎ、ネパールの首都カトマンズの学生街「バグバザール」は解放感に包まれる。数ある語学学校や高校の授業は午前中で終わり、菓子を買い食いしたり、おしゃべりを楽しんだりする学生であふれる。

 貧困脱した成功者も

 だが、路地裏に目を向けると、母親と5、6歳ほどの男の子がボロボロの衣服で道端に座り込んでいた。工事現場では重たいれんがを袋にいくつも詰め、黙々と運ぶ中学生くらいの少年の姿もあった。

 100メートルほど離れた寺院近くを歩いていると、30代くらいの男性が追いすがってきた。「家族が腹ぺこだ。千ルピー(約千円)くれ。50ルピーでいい」。近くには息子や妹もおり、家族全員が物乞い。断り切れずに50ルピーを渡すと、別の家族の幼い男の子が小さな手のひらを記者に向けた。

 ネパールには、インドと同様に職業や婚姻を制限するヒンズー教のカースト制度が残る。僧侶の子は僧侶、大工の子は大工、物乞いの子は物乞い…。

 法律上、カースト制度は2011年に廃止されたが、現在も月給3万ルピー(約3万円)と高給取りの公務員は上級カーストが多く、下級カーストの中には最低限の教育すら受けられない人々が少なくない。

 「物乞いにチャンスは訪れない」。バグバザールで日本語学校を経営するオムさん=仮名=は断言した。「だが、うちの学生たちには未来がある」

 語学学校には低いカーストの若者も多い。留学で日本語力を手に入れれば、カーストの壁を越え、成功するチャンスも広がる。そんな若者を「JAPAN」の看板が吸い寄せる。

   ◇   ◇

 カトマンズに隣接し、17、18世紀の伝統的な街並みが広がる古都パタン。

 東京に住むミナさん(37)が一人息子のリエン君(8)と里帰りすると、1人暮らしの義母は孫を抱きしめた。「寂しい。でも仕方ない」。義母の生活は、ミナさん夫婦から届く年20万円の仕送りが支えている。

 ミナさんは宝飾品を製造するカースト。夫は大工のカースト。ミナさんは自分で学費を稼いで02年に大学を卒業した。

 ネパールでは1990年代に民主化運動や内戦が始まり、2001年には国王一家が殺害された。ミナさんは混迷する祖国を逃れるように、卒業後すぐ福岡市の日本語学校に留学した。

 05年に帰国した。長い政治混乱は経済を停滞させ、貧しい国は貧しさを増していた。「仕事もなく、再び日本に行くしかないと思った」。九州大大学院で修士号を取得し、留学中に夫とも結婚した。

 08年に王制から議会制に移行し、社会が安定し始めた10年ごろから留学熱が高まった。富裕層は欧米へ、中流から下流家庭は「働ける留学先」を目指す。その代表格が日本。

 ミナさんは今、人材派遣会社でネパール人留学生らの仕事の管理を担う。将来帰国し、ビルを新築したいと考えている。「それまでに3千万円ためたい」

 日本留学で得た成功。ミナさんの親戚も来春、日本へ留学する予定だ。

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 西日本新聞「新 移民時代」取材班
 imin@nishinippon-np.jp

=2017/01/03付 西日本新聞朝刊=

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