最期を迎える日まで 近未来 ともに生きる(6)

在日コリアンに配慮した特別養護老人ホームでは、入所者とスタッフが韓国語で話していた=4月25日、京都市
在日コリアンに配慮した特別養護老人ホームでは、入所者とスタッフが韓国語で話していた=4月25日、京都市
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 「あんた英語話せんか?」と自治会長に頼まれたのが始まりだった。福岡市西区の細川知子さん(51)は2年前、同じ団地に入居したナイジェリア人一家の世話役を引き受けた。若い頃に世界中を旅し、外国人と暮らした経験もあった。

 ごみ出しルールの説明に始まり、子どもの入学手続きから宿題、連絡帳の記入まで手伝った。「最初は食事に招かれたこともあった。でも、だんだん当たり前のような態度になって…」

 呼び出されて駆け付けると、山積みのチラシと郵便物の仕分けを頼まれた。母親は日本語を覚えず、学校などからの連絡も集中した。レンタルDVDの延滞料を巡るトラブルの仲裁に入ったこともあった。

 耐えきれなくなり、その一家の父親が留学する九州大に相談。距離を置くようにした。一家は3月末に帰国したが、何となく気持ちは晴れない。

   ◇   ◇

 外国人も人それぞれ。日本人に荷が重いこともある。そんな時、同じ文化や習慣で育った同胞の存在は、やはり大きい。

 「私も助けてもらった。困っている人を助けるのは当たり前」。フィリピン出身のマリエッタさん(37)=仮名=は、外国人女性を支える福岡市のNPO法人「女性エンパワーメントセンター福岡」で通訳ボランティアを務める。

 19歳で来日し、繁華街で十数年働いた。3年前に先立った夫が残した借金が原因で訴えられ、センターに駆け込んだ。相続放棄の手続きなどを手伝ってもらい、問題は解決。今は昼間の定職を得て、息子2人も高校生になった。

 市の相談窓口で、来日間もない同胞女性の通訳を務めた。泣きじゃくり、フィリピン語で夫の暴力を訴える女性の言葉をゆっくり聞き、伝えた。センターではマリエッタさんのような在住外国人20人が13カ国語の通訳をする。

 支えられる側から、支える側へ。苦労して日本社会に定着した先輩が、これから日本を訪れる外国人たちの安全網になっていく。

   ◇   ◇

 外国人は地域の一員になった。今は仕事と子育てに追われる人たちも、いずれ老後を迎える。そんな「近未来」の光景が京都・鴨川のほとりにあった。

 特別養護老人ホーム「故郷の家」は、約100人の入所者の7割を在日コリアンが占める。17歳で日本に渡った女性(96)のおはこは、少女時代に覚えた祖国の歌。「故郷を離れて嫁ぐけど-」。韓国語で口ずさむと、隣の女性(86)の目から涙がこぼれた。認知症が進み、韓国語しか話せなくなった人もいる。

 理事長の田内基さん(74)の父は韓国人。日本人の母、千鶴子さんは韓国で3千人の孤児を育て、1968年に韓国で「梅干しが食べたい」との言葉を残して亡くなった。

 だから入所者の食事にはいつも梅干しとキムチが並ぶ。田内さんは「その人がこれまで生きてきたような環境で、安心して暮らせる場にしたい」と話す。

 フィリピン、ベトナム、ネパール…。地域で生きた人たちの「ついのすみか」ができる日は、そう遠くないかもしれない。


=2017/05/04付 西日本新聞朝刊=

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