<閉校覆した中学生>(2)記者の教室は消えていた 給食にも異変

記者が授業を受けた教室はランチルームに変わっていた。生徒と教職員が一緒に給食を食べる
記者が授業を受けた教室はランチルームに変わっていた。生徒と教職員が一緒に給食を食べる
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かつて記者の遊び場だったテニスコートは、駐車場などに使われていた
かつて記者の遊び場だったテニスコートは、駐車場などに使われていた
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配膳室そばの通用口にあった張り紙。すぐ近くに山が見える
配膳室そばの通用口にあった張り紙。すぐ近くに山が見える
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記者が頂いた給食。メニューは、切り干し大根と厚揚げの炒め煮、和風卵スープ
記者が頂いた給食。メニューは、切り干し大根と厚揚げの炒め煮、和風卵スープ
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ランチルームでの給食中、生徒に話しかける教諭も
ランチルームでの給食中、生徒に話しかける教諭も
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 11月18日、くねくねとしたリアス式海岸沿いの道、懐かしさを覚えながら、ゆっくりと車を走らせた。20年前、自転車で通った通学路をたどる。母校の豊洋中学校(大分県臼杵市)に向かうためだ。

 海岸沿いの入り江に立つ中学校。校門から入ってすぐのところに車を止める。ボーーン。警笛だろうか。海の向こうに航行中のタンカーらしきものが見えた。校門を出て、来た道を振り返ると、建造中と思われるタンカーも見える。当時も今も、古里は造船所の町だった。

 母校への取材を思い立ったきっかけは、臼杵市で働く、同級生のフェイスブック投稿だった。「豊洋中ファイナル文化祭で合唱。私にも声がかかりましたので、枯れていた声を治しつつ頑張ります」。すぐさまメールを送って、文化祭の日程を聞く。「今週の土曜の午前9時~で!」

 早速取材を申し込む。電話に応対してくれたのは小坂一弘校長(58)。急なお願いだったが、文化祭前日で準備に充てる日だったため、作業の合間や休憩時間に取材許可をいただけた。「実は私は卒業生なんです」「お父さんは何ていう名前? 何歳ぐらいかいな」。「今年で60歳です。多分、校長先生と在校がかぶってますね」。取材よりもこんな話が弾んだ。

 訪問前の予習として、家にあった母校の開校50周年記念誌を開いてみる。卒業生名簿が目に留まる。1997年に卒業した私の代は52人。父の代は116人。妹は35人で既に1学年1クラスだった。記念誌の発行当時、在校生だった弟の同級生は21人。そして、2016年現在の3年生は11人。あらためて、少子化から閉校への流れを思い知らされる。

「取材を受けた」記憶よみがえる

 18日の取材当日。母校に足を踏み入れたのは、卒業以来初めてだった。職員室の場所は変わっていない。当時は思いもしなかったが、同じ市内の母校の高校や、新聞社入社後に取材で訪れた他の小中学校と比べると、こぢんまりとした職員室だった。今は校長の他、9人が在籍している。

 校長室も20年ぶり。思い出したぞ。何かの行事の後、同級生2人と一緒に、地元の県紙の取材を受けたはず。まさか、自分が取材する側になるとは、夢にも思わなかった。小坂校長から閉校の理由や、現3年生たちが1年生の時「ここで卒業したい」と訴え、閉校延期に至った経緯などを聞く。

 ふと窓に目をやると、海が広がっている。「すぐそばに山があって避難できるとはいえ、津波の危険というのも、閉校に関係あるのでしょうか」。「うーん、やっぱり、あると思うわ」。自分の中学生当時は、水泳の授業を海でやっていた。なぜか男子だけで、女子はプールだったが。それほど、海は身近な存在で、学校のそばにあるのも当たり前だった。東日本大震災のことを思うと、教育委員会の考えも理解できる。自分も親になった立場として。

 体育館に場所を移し、3年生や先生たちに話を聞く。先生・生徒たちについて移動しながら、校内に目をやる。生徒数が減り、さらに今は3年生だけになってしまったため、掃除の手間を考えて使っていない教室も多いという。

 部活動の施設も同様だ。私がいた20年前、男子は野球部、ソフトテニス部、剣道部の三つの選択肢があった。今、男子は陸上部だけ。野球をする生徒は市外に通っていた。女子はバレー部もあるが、市内の中学校との合同チーム。私の遊び場だったテニスコートは、今は行事など来客用の駐車場へと変わっていた。

 私が1年1組のとき、慣れ親しんだ教室は「ランチルーム」になっていた。給食を食べるのは、授業を受ける場所と別。ちょっぴりぜいたくかもしれない。隣の1年2組の教室は、給食を準備する配膳室に変わっていた。そばの通用口の扉には「<イノシシ対策>ドアは必ず閉めること!」との張り紙。校舎より山手にあるグラウンドには、動物のふんが転がっていることもあるそうだ。

「給食食べていきよえ」

 朝から学校にお邪魔していたので、給食の時間のころには私が卒業生だと知れ渡っていた。「給食食べていきよえ」。普通、取材先からご飯をいただくと、利益供与に当たるんですけど…。「いえいえ、いただけないです」と断っている間に、てきぱきと配膳されてしまった。いらないです、とは言いにくくなってしまった。卒業生という立場なら、利益供与には当たらないよなぁ。これを返す方が社会人として駄目だよなぁ、などと自分を納得させる。というか、そもそも給食の様子を写真に撮ったり、話を聞いたりすることを優先したかったんですけど。
そう思っているそばから、昔とは変わった光景が見られた。生徒、教職員全員がそろって給食を食べているのだ。自分の在籍時は考えられなかった。担任の玉井鉄兵教諭(31)以外は、先生だけで机を囲んでいるものの、お互いが当たり前のように会話しながら箸を付けている。

 取材当日は、たまたま月に1度の「ハッピーランチ」タイム。先生が交代で好きな音楽を流すという。「TOTOって知っちょん?」ヒット曲のAfricaが流れてくるが、さすがに中学生は知らないようだ。「この大きさのCD、見たことある?」直径8センチのCDを見せると興味を示した。「へー。そんな大きさあるんや」「シングルCDなんよ」「SMAPの曲やん」。自然と話が盛り上がる。日常的に生徒と先生たちが接しているだけあって、心理的な距離は近い。

 もちろん、子ども同士も同様だ。給食後の掃除時間が終わり、先に教室にいた男子生徒が、後から戻った男子生徒に「お帰り」と何気なく声をかける。ランチといい、声かけといい、自分の在校時にはなかったような光景だ。生徒11人の絆、先生も含めた21人の絆の深さを感じ取れた時間だった。(三重野諭)

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