<閉校覆した中学生>(3)予期せぬ恩師との再会 決断通じ後輩たちは「うんと成長」

学級活動の時間、笑顔で生徒たちを見守る小坂教諭(右)
学級活動の時間、笑顔で生徒たちを見守る小坂教諭(右)
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小坂教諭(右端)の指揮の下、文化祭で合唱を披露する生徒や教職員たち
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 母校・豊洋中学校(大分県臼杵市)での取材時、ほとんどは初対面だったが、中に1人だけ旧知の先生がいた。「あなたが(豊洋中に)おったとき、先生はどなたがおったかな」。小坂一弘校長(58)の突然の質問に必死で記憶の糸をたどるが、名前がなかなか出てこない。在校の期間をあらためて説明すると、「あれ、もしかしたら、小坂尚代先生がおったんやないの?」。

 そういえば取材中、聞いたことのある声がずっと聞こえていたような。先生の名前もはっきりと記憶にある。「あなた、私に話を聞くより先に、あいさつせんといかんのやないの」。校長先生、その通りかもしれません。

 「先生、僕のこと覚えてます?」。「あー、もしかして三重野君ね」。先生すげぇ。20年も前なのに、よう覚えてたなぁ。音楽を教えていただいた、小坂尚代教諭(59)。何か、いろいろ怒られたような気がする。合唱で替え歌して注意されたり…。後ろめたさから、無意識に思い出したくなかったのか。

 20年ぶりに会った先生は、当時よりも小さく見えた。多分、先生が小さくなったわけでも、自分が大きくなったわけでもない。田舎の15歳、親以外に接する大人が皆無だった私にとって、先生という存在が大きかったのだろう。聞けば、小坂教諭は「今年3月末の閉校」がいったん伝えられた2年前からこの中学校に在籍する唯一の教諭という。詳しく当時の様子を尋ねてみた。

 「(閉校が)私たちに伝えられたのは、2年前の文化祭が終わったころかなぁ。本当に、寝耳に水やったよ」

-1年生たちは「卒業したい」と主張したと聞いています。

 「(教員という立場では)閉校のことについて、生徒たちに考えを押し付けることはできないし、あまりアプローチしなかった。でも、残りたいって言ってくれて、本当にうれしかった。この学校を愛してくれてるんだって。3年生になったら自分たちだけになるのに、よくそういう決断をしてくれた」

-先生も子どもたちと一緒に豊洋に残ったんですね。

 「そういう思いはありましたよ。生徒たちが卒業するまで残りたいなあ、って。でも、人事のことは私が決められる話じゃなかったしね」

-3年生だけになる前と後で、生徒に変化はありましたか?

 「2年生の時までは、ほぼ今まで通りだったかな。でも、1学年だけになってからは、恒例の歓迎遠足が無くなったりしたから、11人でも満足できるような企画でお膳立てをしたりしました。変化というと、1年生の時は声が小さかったり、クラスの男女間であまり会話をしきらんかったりとか、おとなしい面があった。でも、3年になってうんと成長した。ずいぶん会話ができるようになったり、公の場であいさつ、返事ができるようになったり。自分を出すっていう意識は高まったね」

-卒業するまで3カ月しかないけど、生徒たちはこうなってほしい、みたいな目標はありますか?

 「高校とかで大きい学校に行ったり、大勢の中に入ったりしても、自分に自信をもって堂々と生きてほしい。思ったことや、やりたいことを他人に伝えられるように、そんな力を身に付けてほしい」
 
 同時に話を聞いたわけではないが、最後の質問の答えは、3年生の担任の玉井鉄兵教諭(31)の考えとしっかり一致していた。教諭側の連帯の効果だろうか、文化祭を通じて、生徒たちの自己表現のたくましさを感じることができた。
 
 ただしそこには、自分の在籍時との世代間ギャップもあった。(三重野諭)

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