<異例の閉校延期>(6)3年生11人だけの中学で良かったこと、困ったこと 生徒や先生に聞いた本音は

生徒たちに「11人で残って良かったこと」を聞いた
生徒たちに「11人で残って良かったこと」を聞いた
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 いったんは2016年3月末での閉校が決まっていたのに、「今の学校を卒業したい」との当時の在校生らの声を受け、1年間閉校が延期された豊洋中学校(大分県臼杵市)。卒業生でもある記者が母校を一連の記事で取り上げた。一番の理由は、この異例の閉校延期の取り組みが、他の地域にとってモデルケースになると思えたからだ。

 本来は中学生活最後の1年間、別の学校に通って集団生活を送るはずだった3年生11人が、1、2年生がいない学校に1学年だけで残ったことによって得たことや、困ったことがあるはず。利点や欠点を記録し伝えることは、これから統廃合を迎える他の地域にとって参考事例となるのではないか。最後の卒業生11人全員に加え、担任と校長にも「11人で残って良かったこと」「困ったこと」を一人一つ以上挙げてもらった。(三重野諭)

■生徒の「良かったこと」

・人数が少なくなり、11人の結びつきが強くなった。協力できるようになった。

・先生や生徒、みんなが家族みたいな存在になった。家族にしか言えないようなことでも言えるようになった。頼れるし、相談できる。

・生徒同士で仲良くなった。

・教師と生徒の近さ。

・11人が仲良くなった。普通の中学ではないくらい、先生たちとの仲が深まった。

・新入生の歓迎遠足がなくて、寂しいなあと思ってたけど、その分先生たちが企画してくれて、寂しさを感じなかった。

・普通ならできない体験が多かった。体育祭、文化祭を少ない人数で成功させて、思い出に残った。

・貴重な体験。結構な量のテレビカメラ(取材)にだいぶ慣れた。

・少ない人数だからできた行事があった。地域の人たちも協力的で、過ごしやすい1年だった。

・数学や英語、体育などで一つの授業に2人、3人の先生が来て教えてくれた。

・一つの授業に複数の先生が来てくれるので、質問しやすかった。

・先生の優しさ、厳しさがより伝わった。

・最後の卒業生になれてよかった。本当は閉校せず学校を残してほしかったし、最後の卒業生になることは一番の望みじゃなかったけど「どう頑張ったら最後にふさわしい卒業生になれるか」を考えて、頑張れた。

・自分たちがやりたいことを、先生がほとんど採用してくれた。他の中学校を呼んで、学校前の浜辺で地引き網をやる前に、浜辺が汚れていたので「掃除した方がいいんやない」と言ったら、掃除の時間をつくってくれた。

・行事の一つ一つを地域の方が助けてくれた。

・体育祭や文化祭、前と違って地域に支えられた。

・体育祭など、早い段階から練習や話し合いをして、良い準備が出来た。

・良い思い出になった。

※動画中に誤字がありますが、それは生徒に字を尋ねられた記者が間違えて教えたものです。おわび致します。

■生徒の「困ったこと」

・体育の授業など、人数の少なさのせいでできないことがあった。音楽発表などでの合唱は、他校よりも人が少なくて声が響かなかった。

・体育の授業は困ったけど、その分先生が交じってくれて楽しかった。

・行事前の準備、片付け要員が少なくて時間がかかった。

・行事での1人の仕事が多い。準備が大変。

・行事の片付け、いす出し、全部自分たちで大変。

・他の学校より1人1人のやることが多い。

・卒業式、本当だったら下級生が準備してくれるのに、掃除から何から自分たちでやった。

・行事を助けてもらった分、地域の方に迷惑をかけてしまった。

・特にない。

・同じ考えの人、同じ意見の人がいない時があった。自分は部活を頑張りたかったのに、他の人はそういう考えじゃなくて、部活全体がだらけることもあった。自分と同じ考え、行動をしてくれる人がいたら、助けになったのに。

・他の学校に行くと、打ち解け方が分からなかった。なじめなかった。

■玉井鉄兵教諭(最後の卒業生の担任)の「良かったこと」

・この1年しかできない行事が多かった。体育祭、文化祭、遠足に見学、外部との連携、生徒にとっても自分にとっても、中身の違う1年になった。

・保護者にも豊洋中の卒業生が多かった。子どもが最後の卒業生というのは、保護者にとっても感慨深いものになったのではないかと思う。

・閉校が1年伸びたからこそ、自分はここに赴任できた(2016年4月に赴任)。校長も同じく、赴任できた。教員として、ここで仕事をさせてもらったこと。

■玉井教諭の「困ったこと」

・人手が足りない。行事の準備、片付け、地域の協力がないと無理だった。

・授業や課外活動、クラス内でグループが組みにくい。男女の偏りもあり(男子7人、女子4人)、新しい組み合わせがつくれない点は、どうしようもないが、つらかった。集団の中で力を育てることが難しかった。

■小坂一弘校長(閉校前最後の1年、母校に初めて赴任)の「良かったこと」

・11人が残ったから、この学校があった。生徒も先生もこの1年しかできない経験ができた。

・地域、保護者、教育委員会、関係機関の人たちのありがたさが分かった。

・これまでも校区に住んでいたが、自分が知らなかった古里がよく分かった。いろんな人との関わりで地域のすばらしさを知った。

・先生たちも学んだ。生徒1人1人を見つめて伸ばすという教育の原点が実践できた。先生たちは次の学校でも経験を生かせるはずだし、(実践できたことを)続けてほしい。

・先生同士も仲良くなった。

■小坂校長の「困ったこと」

あんまりない。校長として、もっと出来たかもしれないという思いはあるが、困りそうになるたびに協力が得られた。頼めばどうにかなった。困ったら教員が知恵を絞って、工夫もした。頼むことによってつながりができた。工夫やつながりを次にも生かせた、ということが多かった。

=2017/03/30 西日本新聞=

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