第3章 ペルー情報コーナー マーク

 ペルーは、地球上で日本のほぼ反対側に位置する遠い国です。しかし日系のアルベルト・フジモリ氏が大統領ということもあって、日本との結びつきがひときわ強い国のひとつです。そして1999年は、日本からの最初の移民団が、ペルーのカヤオ港へ上陸した年から数えて、ちょうど100年に当る記念の年でもあります。
 山頂に雪をいただく6000メートル以上の峰々を連ねたアンデス山脈が縦にはしる南米大陸は、古来、人類史上に足跡を遺す数多くの文化が栄えた地でもありました。しかも、ナスカの地上絵など、未だ全容が解明されておらず謎に包まれた事象が多数存在し、古代文化への夢と情熱をかきたてる魅力にあふれています。
 本展覧会は、ペルー移民100周年を記念し日本とペルーとの文化交流を目的に企画され、アンパト山の頂きで発見された少女のミイラ”フワニータ”を中心とした歴史的文化財の数々によって構成されています。
 日本初公開となる”フワニータ”と名づけられたこのミイラは、ペルー国内に先駆けてワシントンのスミソニアン博物館にて特別公開され、クリントン大統領夫人も視察に訪れる等、社会現象となるほどの一大ブームを巻き起こしました。
 本展の開催により、インカ文明をはじめとするペルーの文化を紹介することで、一人でも多くの方々にペルーへの興味と理解を深めていただき、両国の友好関係の一層の促進に役立つことを願っています。

聖都マチュピチュ 【ペルーの概況】(ペルー共和国大使館資料より)

正式名称: ペルー共和国
独立記念日: 7月28日(1821年7月28日独立)
面積: 約130万平方キロメートル
人口: 約2400万人;先住民47%、メスティソ(先住民と白人の混血)40%、白人12%、東洋系1%
首都: リマ(1535年創設、人口約700万人)
日本との関係: 1873年(明治6年)日秘互恵和親条約が結ばれ、南米との始めての国交が始まった。その26年後の1899年(明治32年)、日本からの第1回移民船がペルーのカヤオ港へ着いた。1999年は日本人移民100周年にあたる。
政治: 民主主義、大統領は国民投票によって選ばれる。任期は5年間。現大統領;アルベルト・フジモリ(任期 1995〜2000年)。 国会;一院制、国会議員120名で構成。憲法;1993年12月29日公布。
教育: 義務教育;初等教育6年間。
青空市場 国花: カントゥータ。インカの花といわれるペルー原産の花。
農産物: ペルーの農産物は世界の食糧に多大な貢献をしている。じゃがいも、とうもろこし、落花生、トマト、さつまいもなどは、中央アンデスやアマゾン地域が原産で、これらはスペイン人の手を経てヨーロッパへ渡り、やがて世界中へ広まった。

写真左=青空市場 写真上=聖都マチュピチュ



盛装したインカの王族 【ペルー小史】

プレインカ時代(インカ帝国以前)
 今から1万年ほど前の氷河時代に、古代アジアの狩猟民が北米大陸を通って、南米大陸へたどりついたと言う。
その後数千年の素朴な農耕時代をへて、険しい山野に、海辺の平野に、数多くの文化が花開く。チャビン、パラカス、ナスカ、モチェ、ワリ、チムー、チャンカイなどの文化が各地で形成され衰退した。巨石要塞、壮大な神殿、謎の地上絵、高度な土器・染織技術が今に残されている。
写真下=ナスカの地上絵(ハチドリ) ナスカの地上絵(ハチドリ)

インカ帝国の時代
 11世紀末におこったインカ帝国は、15世紀にはコロンビアからチリにわたる大帝国を築き、首都クスコを中心に栄華をきわめた。太陽神を信仰した住民たちは、王を神の子として崇拝し帝国の繁栄につくした。しかし約400年にわたるインカ帝国の栄華も1532年、第13代アタワルパ王の時スペインの侵略により幕を閉じた。
写真上=盛装したインカの王族 大統領官邸(リマ市)

近代ペルーへ
 インカ帝国滅亡後、リマ市にスペインの副王庁が置かれ、その後300年にわたりスペインによる植民地支配が続いた。ペルーは南米におけるスペイン植民政策の中心地として栄えたが、その一方では先住民を酷使した金銀の採掘などが盛んに行われた。17世紀後半から独立運動の機運が高まり、苦しい戦いの末1821年に独立を果たした。
 その後、多くの困難を経て新憲法が制定され1980年には民政が実現し、1990年国民の期待をになって日系のフジモリ氏が大統領に就任し現在に至る。尚、日本からの最初の移民は1899年であった。
写真右=大統領官邸(リマ市)



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