槌田記者の読書歴 |
「南蛮料理のルーツを求めて」はかつて長崎に住んだ女性が、長崎と海外文化の出会いの歴史と現在を料理を通してたどったもの。小食だけれど食べることが好きで,いろんな味を味わうことが好きな私にとって、とても楽しい本です。長崎県に生まれて、そして今もここに住んでいて良かった、なんて、ありきたりですけどね。でも、できたら、ここをベースにアジアを食べ歩きたい!それにしても長崎って、まあ絶対的に人口が少ないので仕方ないかもしれないけどアジアンテイストの店が少なすぎる。
そういえば東京の天王州アイルにあったビルマ料理の店「パレ・ドゥ・ローテゥス」が閉店してしまったのだけれど、首都圏にもう1軒あるはずなんです。誰かご存知の方は私 のMAILにご一報ください!東京出張を一日延ばして空港行く前にお昼ご飯食べるのを楽しみにしていた私にとって悲しい月日が過ぎています。
今思えば、横尾記者が買ってくれそうな本でした。というわけでこの本もその一つ、むりやり人に買ってもらったり貰ってもらったりして手元に残っているのはたぶんこれだけ。 なにかよくわからない、という印象のイスラム世界だけれど、「任侠」ということばのニュアンスが解る日本人の方が、西洋の人々よりはイスラムの社会を理解できるのかもしれない。 でも私はイスラムには住みたくない!横尾さん、興味おありでしたらこの本差し上げます。
そうしたら、長崎大学の学長やらが延々しゃべって本人の番になった時はすでに私に残された時間はなく・・・・あまりにもくやしくて肉声を2〜3分ほど聞いただけだったので、ふともう一度この余りにも有名な演説の全文翻訳を夜中に手に取った次第です。
「過去に目を閉ざすものは現在に対しても盲目である」日本の政治家と対比して余りにもこの言葉のインパクトが大きくて、当時はこの言葉だけしか頭に残らなかったのですが、今あらためて全文を読み返してみると、全編にわたって格調高くすばらしい。政治家であり、哲学者なのですね。それにしても日本は単に半世紀ということで戦後50年を騒いだのですが、かれらにとって40年の区切りというのは聖書によるものなのですね。さらにヴァイツゼッカーにいわせると40年という歳月は人々の記憶を薄れさせるのであり、そのためにもこの機会にあらためて心に刻まなければならないと。ということは、日本人は既に時を失してしまっていたのかもしれません。
「図書館の美女」ハヤカワ文庫 「図書館の死体」に続くシリーズ第2弾。まだ読みはじめたばかりだが、前作を思い起こすと、軽く読めると思う。おもしろかったら後日紹介します。読書傾向が似ている人もいるようなので、つばつけた状態です。
但し「今は昔の”斜陽族”実体のなくなった言葉編」に長崎の町がズーっと売り物にしてきたし、今もしている「異国情緒」が収められているのはチョットというか、かなりというかショックでした。そういえば「洋館」もこの項。「蓄音機」「謄写版」「瓦斯灯」「国電」はわかる、が、しかし・・・・長崎観光に陰りが見えるのは、こんな死語に近い言葉にしがみついているからなのかしら。
「居合わせた女性」クレイグ・ライスの名前に惹かれて買った。が、いわゆる弁護士マローンものや「スイートホーム殺人事件」のようなユーモアはない。訳者は後書きの中で、これがライスの本領だというのだが・・・もちろんこの本も決して悪くはない。作者は違うが映画化されたのでご存知の人もいるかと思うが「ブルードレスの女」(但し私は映画は見ていない)と読後感が似ているかもしれない、といったらニュアンスが伝わるかしらん。
「大臣」のほうはパラパラと拾い読み。「大臣としての体験談を単に紹介するのではなく・・・」と管直人は書くのだが、ごめんなさい、当方としては単にそれだけでいいんです。とはいっても、面白くも無い政治の世界、少しは興味が持てるようにしてくれるかもしれないのはこの人くらいかもしれませんね。ただ貝割れ大根犯人説をそんなにマスコミの責任にするか?という気はします。
文章の書き方はA新聞天声人語の筆者の文章読本。過去の自分の取材や原稿を思い出しながら反省しつつ読む。でも心に残る書評として読むと楽しい。
猫は・・・はシャム猫ココシリーズの16作目。今、半分くらいまで読んだところ。これだけ続くと新しい登場人物以外はもうすっかりおなじみで批評なんか仕様が無い。
いやーどちらも面白い。「日本人ごっこ」は10年以上前に実際にタイであった「在タイ日本大使の娘」を騙り、地方視察に警察官の護衛付き、何と小学校で「日本人は勤勉だから日本経済はここまで発展した。タイ人はなまけものだからいけない」と訓示まで垂れた13歳のタイ人の女の子の話。「ユウコ」と名乗ったこの女の子に何故大学生や大人達までが騙されたのか?当時のタイと日本との関係や、日本が垣間見えるルポ。騙された人々や、ユウコの生まれた村の村長や母親、その村の人々の生活、結局会えなかったユウコの姉、そしてユウコに会うまでの3年間。片田舎まで日本製品が氾濫し、日本製品の看板が林立しながら日本という国そのものは、ほとんど何も知られていない国で、少女は雑誌で日本や日本語をかじり日本大使の娘になりすます。英語だと騙せないけど日本語はほとんど誰も知らないから、と動機の一端を語る少女に、何故ユウコなの?と尋ねると「「おしん」を演じた女優の名前だから。わたしも最初は子守りに出たの」・・・
「山田長政の謎」はこれまでアユタヤ王朝の政権交代にからんでというのが定説だった彼の暗殺に当時の東南アジア貿易をめぐる欧米各国の思惑と仙台藩伊達家の思惑がからんでのものだったという新説を展開。考えてみるとこの辺の歴史ってきちんと教えられたことがないように思う。東インド会社の設立が何年とか、極めて断片的にしか過ぎなくて。当時の日本や東南アジア、欧米列強各国がからみあう歴史の面白さ、単に私の知識不足だったのかもしれないが目からうろこの面白さであります。
「眠りをむさぼりすぎた男」はクレイグ・ライスがマイケル・ヴェニング名義で書いたミステリー。あらすじを書くのはミステリーの読者に失礼なのでやめときます。ライスのミステリーは翻訳されたものは全て(14冊)読んだと思っていたのでこれはうれしい発見でした。あと残されているのは雑誌掲載の短編しかないと思います。誰か目にしたら教えて下さい。
猫を・・は、相変わらず猫関係の本にハマッテいる私です。「月刊モエ」に紹介されていた写真があまりに可愛くて、注文したら、なぜか続編のAが先に手元に届きました。Aとしかワープロでは出ないのだけれど、実物は赤い猫足に2の白ヌキというこだわりなんですね。
第一巻はどうなっているのと、私が書店に問い合わせている電話を聞いた同僚はギョっとした顔をしていておもしろかった。要は猫をモチーフに料理を作って食べようという本なのだけれど、写真があまりに可愛くて、万が一自分で作ったとしても、決して食べられないだろうと思いました。ちなみにAで私が一番かわいいと思ったのは「ねこたま・ご」ゆでたまごの白身のクッション?のうえで眠っている黄身の猫。目、耳、鼻、ヒゲはベーコン。作者の星野みなみさんって本当に猫が好きで、その姿態をよーく見ているのだろうとおもいます。
「ホワイトアウト」は「連鎖」「取引」「震源」といわゆる通称「小役人シリーズ」をおもしろく読んだ作者のほんだったので迷わず買った。が、そのセンを期待して読むと、うーんちょっとたった一人で犯人達に立ち向かうヒーロー富樫があまりにもヒーローしすぎ。雪に閉ざされたダムを占拠、12人の人質だけでなく下流の町20万人をも飲み込むことができる6億立方メートルのダムの水を楯に現金と逃走用ヘリを要求する犯人。警察は一歩も現地に近づけない地形と気象条件。銃を持ったことも無かった、フツーのひとはずの富樫がただひとり立ち向かう。まあ楽しめはします。でも、真保作品に流れる、現実の政治や本物のワルのぞっとする怖さ、見えている部分にだけ怒ってつっかかっていった後の空しさみたいなものはない。
「12皿の特別料理」は楽しくて怖い本。忘れられない思い出がつまったそれぞれの料理。関東と関西の味の違いも普段ならそれなりに済ませられるのだろうけれど、そこに嫁と姑なんて人間関係がからんで、しかもそれをおふくろの味なんて夫に言われたらねえ・・
同じ公団アパートの4家庭のそれぞれのカレーは、もはやカレーという名前だけ同じの似て非なるもの、それぞれの家庭のありようまで描き出してみせる、料理って奥が深いんです。
番外*3週間ほど塀の中に入っている時に(決して誤解はしないように)「ベルサイユのばら」「ハイカラさんが通る」「アラベスク」「スワン」と10代の中頃に夢中になって読んだ漫画をまとめて読んだ。素直に感情移入しながら涙を流して読んだ。いずれも長編で絵もきれい。あの頃の少女漫画は本当に質が高かったのだなあと思う。もしかして私が成長していないだけ?しかし「ベルバラ」はオスカルが倒れた後もなおマリー・アントワネットの死刑まで物語が続いていたのは記憶にない。それだけオスカルの死が印象的だったのか、その後は読まなかったのか。
うーん、生まれた国が違うというだけで、これだけ被災者への支援対策が異なってもいいのだろうか?亡くなったひとたちはもちろん、生き残った人々の生活再建の難しさ、もともと貧困にあえぐ人々が自然災害でも最も被害をうけるというこの社会の原理。「神様が早く死なせてくれるのを待っているの。生きていくのがこんなに大変なら、いっそあの洪水で死んでしまったほうがよかった。」23歳の女性ナラ・マヤ・ロプチャンの言葉はあまりにも辛い。
「私語辞典」は私が初めて手にした柳美里の本。気になりながらも、これまでどうしても手がのびなかった彼女の本だけれどこれは言葉にまつわるエッセイ集なので、もしもしんどかったらやめればいいや、と思って思い切って買った。正直言って最後まで一気に読んでしまった。読後感も悪くない。ピアスの「悪魔の辞典」ほどには偽悪的ではない、が、自虐的ではある。 やっぱり彼女の小説を私は読まないだろうと思う。でもこの本はまた時々読み返すかもしれない。どこか感性が似ている部分がある?のかもしれない。妙にせつないおもいがした。
シニア世代といっても40代以上ですが、どうして海外ボランティアの道を選んだのか、そこで何を得たのか・・・21人(うち親子1組)はいずれも気負わず楽しんでいる様子がうらやましくて、いずれは私も、と思いつつ、はたと考えると「で、そこで私は何をするの?」結局、いまをどう生きているかが問われるんですよね。でも、読んでる間だけは自分もその場にいるような気分で楽しみました。
「官僚たちの夏」と「官僚たちの志と死」は是非セットで読むことをお勧めします。前者はかつてミスター通産省といわれた佐橋滋を主人公に官僚世界を描いたもの。あの顔が見えないというか、表情が乏しいとか思われがちな人種の集団にこういう興味深いドラマがあったのか!と思わせる本です。ちなみに登場人物の名前は微妙に変えてあって、佐橋滋が作中は風橋信吾、川原英之は鮎川となっています。
で、「官僚たちの志と死」は読んでいて辛い本ですが、敢えてお勧めします。昂然と官僚批判をしてはばからない佐高さんが公のため志に殉じ、命を削って働いた真の官僚としてあげた4人の生きざまと壮絶な死。
ちなみに4人とは水俣問題で死を選んだ環境庁の山内豊徳・激務でがんにむしばまれた通産省の田辺俊彦・同じく通産の川原英之、そして総理の座をけった男・伊東正義。 通産の二人を取り巻く当時の状況が「官僚たちの夏」を読んでおくとより深く理解できるわけです。
しかし何と言ってもやはり一番辛いのは環境庁の山内さん。さすがのわたしももらい泣きしてしまった(?)また、彼が好きだったという詩が三好達治の乳母車だったり、吉野弘の祝婚歌だったりとよけい泣かせてくれるんです、佐高さんは。
「河川にもっと自由を〜流れゆく時代と水〜」山海堂 高橋裕著
長崎大水害の後、中島川改修方針などをめぐり取材させて頂いた高橋先生
の著書だったので手に取った。私は川に対するこの人の考え方が好きです。
いまでも眼鏡橋を現地に残したことは河川行政にとって痛恨んの極みと思っ
ている当時の行政マンは多いようだが「河川事業が一朝一夕には完成しない
長期計画であるからには、その計画は先見性のある構想に富んだものである
べきだ。 中略 長崎眼鏡橋の扱いは、まさにその試金石となった感がある」
と書かれていて心強い。
「崩壊からの出発〜阪神大震災5年・生活再建への挑戦」社会思想社
渡辺実・小田桐誠共著
ボランティアと行政のサイドからの仮設住宅建設・入居にあたってのドタ
バタや仮設住宅解消までの取り組みを追った本。
災害時被災者サイドの声はマスコミ等で出てくるが行政のかなり本音に近
い部分はあまり表にでてこないのでそういう意味では興味深い。
「神戸新聞の100日」は普賢岳災害を訳のわからんまま経験した人間として、身につまされながら、というより、うちらこんな想定なんか何もできとらんかったという、反省というかくやしさというか、とにかくいろんな思いがいっしょくたになってこみあげてきて、素面ではよめなくて、酒飲みながら泣きながら読んでしまった。普賢岳噴火から10年、来年被災10年、神戸の震災から今年5年、そして今年有珠・三宅の噴火災害、どこかできちんと整理されていっ た ら少しはロスなく対策が進むんじゃないか、そんなもどかしさも感じつつ.
「センスある日本語表現のために」は、うーん、毎日の仕事の中で、後輩にうまく伝えられなくって、でも、自分ではどうしても「が」じゃなくて「は」なんだよ、とか 思ってしまう(つまりまじめに日本語を理論としてお勉強してこなかったつけかな?)ことの裏づけを求めて買った本。時々読み返すけどまだなかなか、血となり肉となる、とはいかない。他の言語を極めたことがないのでこう言いきるのも気が引けるが日本語は奥が深い。