ラーメンTopics
Back Number

うちのイチおし=松浦市 まつうらラーメン あごだしのあっさり感

 松浦市志佐町の消防署に近い国道204号沿いに昨年十月オープンした「まつうらラーメン」。「真心の味がモットー」で、三十 五年のキャリアを持つ中原滋美店長(50)が切り盛りする。

 自慢は、中原店長が十年かけて作り上げた「とんこつしょうゆあごだしスープ」。「オープン当時は一口飲んで『ん?』と首をひ ねるお客さんも多かった」が、「とんこつのこくと、あごだしのあっさり感が調和し、今はスープを残す人が少ないくらい」という。

 うまさの秘密は素材にも。バラ肉を「秘密の味付け」でじっくり煮込んだ自家製焼き豚、この煮汁を使った有精卵の煮卵に、ぷ りぷりの手作りめん。

 「松浦ラーメン」が四百円、めんが隠れるほどの「焼き豚ラーメン」が七百円。「ラーメンは庶民の食べ物。安くてうまい本物の ラーメンを目指します」と中原店長。赤ワインとブランデー、玉ねぎなどを使った特選ソースでいためたチャーハン(四百円)も好 評だ。

 営業は午前十一時―午後九時、月曜休み。0956(73)0141。

20000309付

“日本初”のラーメンの味を復元 鳥越邦夫さん

●原点の味を伝えたい

 ▼鳥志商店代表 鳥越邦夫さん(59)

 昨年二月、約三百年前のラーメンの味を復元した「朱舜水明麺(しゅしゅんすいみんめん)」(千二百円)を発売した。赤みがかっためん、あっさり塩味のスープは全国から毎月二万―三万食の注文が殺到する人気を博し「一つの商品にこんなに注文が集まったのは初めて」と驚く。  復元を思い立ったのは、福岡市のラーメン研究家・原達郎さんの「日本初のラーメンは筑後地区で作られた」の言葉だった。水戸藩が一六六五年に招いた中国人儒学者・朱舜水が初めて、水戸光圀に献上したとされる話もある。

 だが、朱はそれ以前の六年間を長崎で送り、柳川藩の儒学者・安東省菴が通って世話したことで「確証こそないが安東が製法を伝え、先に柳川で作られていたことも十分有り得る」と話す。  水戸徳川家に伝わる文献をもとに、自らめんを打ち研究。つなぎはレンコンの粉、スープのだしは中国ハム…。当時と同じ材料で添加物は一切使わず、約二カ月かかって完成させた。その素朴な味に、「ラーメンの原点を実感した」という。

 久留米市では昨年十一月、「ラーメンフェスタin久留米」が開かれ、二日間で約十六万人が訪れた。また「アジア麺文化研究会」も発足させ、とんこつラーメン発祥の地のルーツを探る取り組みは活発。

 「筑後のめん文化を発展させつつ、原点の味も大切に伝えたい」と願っている。同商店=09437(5)2214。(吉井町吉井)

20000106付

めん食の視点でアジア考える 麺文化研究会 久留米に発足        学術研究や発祥地巡りも予定 最大目標は「博物館」設立

 ラーメン、そば、うどんなど「めん食」の視点からアジアを考えようという「アジア麺(めん)文化研究会」の発足式が十八日、久留米市内のホテルであった。

 設立発起人には、プロの漫才師としてこの夏デビューした大学教授、調理師学校の校長、しにせそうめん業者の社員などユニークな面々が顔をそろえる。研究者だけでなく、めん好きの人たちにも参加してもらう予定。

 主な活動として「チャンポンの北限はどこか」「そば粉を使わない沖縄そばのルーツは?」など学術研究のほかに、めん発祥の地といわれる中国雲南省のラーメンや台湾のビーフンを食べに出かける“フィールドワーク”も予定。

 そして最大目標は「アジア麺文化博物館の設立。九州国立博物館(仮称)との連携も」と長期計画も立てている。

19991219付

四季=ラーメン一代

 戦中戦後、混乱激動の時代を乗り越えての事業は銅像もの、記念に建てたいと息子嫁の言葉だが、大袈裟(おおげさ)な、 代わりに人生八十年を振り返って一代記を書くことを約束。今年の正月から書きはじめ、原稿用紙四百字詰めに換算したら千 二百枚余。十カ月の夜なべ仕事だったと、著者の原野ツタ子さん。自費出版、表題は『ラーメン一代』。そうめん屋から九州三 大ラーメンメーカーに発展するまでの奮闘談。

 昭和十四年、福岡県広川町のそうめん屋に嫁いだ。長男出生二年目に夫の出征。軍国の妻と健気(けなげ)に見送ったが、 その夜はひとり号泣した。夫はビルマへ転戦。毎月、お宮へ無事帰還を祈願した。

敗戦。夫の消息は知れず、半年たって小倉 陸軍病院から通知。負傷の夫に面会。「こんな身体だ、離婚しよう」という夫に、五年も待って―と激怒したが、後で夫の深い 愛を感じた。それからは夫と昼夜を問わず働いた。女性でスクーターの免許取得も郡内で一番目。昭和三十年代から「丸はの 飛竜即席ラーメン」と銘打って大量生産。売れに売れた。

 一代限りで店は閉じたが、顧みて仕事は天の恵み、今は感謝の一念と、ツタ子さんの声は若い。(椎)

19991202付

ゆずごしょう=ラーメン屋

 東京に行ってきた。買い物目当ての妻に連れられ、華やかなファッションビルが立ち並ぶ表参道へ。人込みに嫌気が差し、 路地に入り込んだその時、目に飛び込んできたのが小さなラーメン屋の看板「ばさらか」。

 筑豊弁の屋号が書かれたその下には「唯一の筑豊ラーメン」とうたい文句が書かれている。筑豊ラーメンという定義には首を ひねったが、筑豊の関係者が店を経営しているのは容易に推測され、砂漠の中で見つけたオアシスのようにも感じた。

 ちなみに店内のカウンターは満員。大都会の片隅で筑豊の看板を背負って生き抜くラーメン屋に「がんばれよ」とそっとエー ルを送ってきた。(隆)

19991125付

JR鹿児島線大牟田駅 屋台から始まった一杯―連載

 昭和三十年代、東洋軒の宮川光義さん(72)はスープの入ったヤカンとラーメン十杯をぶら提げ、大牟田駅近くの踏切前でよく十二、三分待たされた。

 「いかん、こいはのびっ、って店に戻って作り直すことが十回のうち三、四回はありましたよ」
 貨物車の入れ替え、何十両も連なった石炭列車。「腕が伸びるごとなっても」通り過ぎるのを待たねばならなかった。「それほど列車がよう通っとった」

 大牟田駅は一八九一(明治二十四)年に開業以来、炭鉱を中心に栄えた町を支えてきた。三井鉱業専用線と直結し、駅からは各地へ石炭が運ばれていった。
 宮川さんが生まれ故郷の柳川から大牟田に来たのは、戦後間もなくである。駅前は大きな砂利道で、小さなバラックがひしめきあっていた。そのうちの一軒で小料理屋を始めたころ、屋台を譲り受ける。「こいからはこげん軽食が売れるようになる」と思い切って払った権利金は三千円。駅の真ん前に屋台を出すと夜中まで人が集まるほど大盛況だった。数年後に屋台をやめバラックに開店、少しずつ大きくなっていった。
 一番客が多かったのは三井三池争議(一九五九―六〇年)のころだ。

 「三井の本社や労働組合の事務所、警察にもよう出前しました」。昼夜合わせて十五、六回は出た。一杯五十円。一日で七、八百杯にも上った。「あっちはだいぶ集まってきおったやろ」とそれぞれに尋ねられ、「多かったですよ」と同じように答えた。「こっちで言ったらあっちで言っとるんやなかろうか、って思われるでしょうが。客商売はそいじゃいかんのです」

 今は一杯五百円。かた焼きそばやちゃんぽんなどメニューも増えた。娘の明美さん(48)や息子の比呂志さん(40)も店に入ってにぎやかに働いている。
 駅前は以前のように人通りが多くはない。が、列車から降り立った客が「おいちゃん、まだやっとったね」と訪れることがある。ここで商売をやってきてよかった、と思う。 (酒匂純子)

 〈メモ〉西鉄大牟田駅と共同使用駅。東洋軒は午前九時から午後八時半。日曜日が休み。

 

筑後なぞ・なぜ 知っとるの?=疑問・なぜ今 久留米ラーメンブームなの? 

●とんこつ発祥の地 10月にはフェスタin久留米も開催

 ●結論 ご当地ラーメン人気に乗る

 「久留米ラーメン」が今ブームだという。「“とんこつ王国・九州”のルーツは久留米市にあり」とか。大手メーカーが発売したインス タントの久留米ラーメンは、九州では新記録という売れ行き。久留米ラーメンを食べ歩く「ラーメン探偵団」という市民グループもで き、地元ラーメン店経営者は、親ぼく団体「久留米とんこつラーメン会」を結成した。十一月上旬には「ラーメンフェスタin久留米」も 開かれる。なぜ今、久留米ラーメンが人気なのか。

 とんこつの起源は一九三七(昭和十二)年にさかのぼる。ある屋台が「支那そば」という名前で売り出した。その店主、故・宮本 時男さんの長男で、現在も屋台「南京千両」を明治通りに出す憲司さん(59)が話す。「東京でしょうゆスープの支那そばがはやっ ていると聞き、父が独自にアレンジしたとんこつスープを考案したそうです」  時男さんは昭和三十年に四十歳で亡くなり、憲司さんは、父親から受け継いだ「さっぱり味のスープ」で屋台を出し続けている。  だが、ブームの火付け役は食品メーカー。即席めんの大手・明星食品は今年一月、カップラーメン「久留米屋」を発売。八月末ま でで約四十億円を売り上げた。従来の売れ筋商品の五倍だという。斉藤鶴雄福岡支店長は「久留米の街で食べ歩き、とてもおい しかった。絶対に当たる、という確信を持った」と話す。「テレビの影響で、穴場的なご当地ラーメンのブームがあった。とんこつ発祥 の地というキャッチフレーズもよかった」とも。現在、北海道のメーカーを含め三社が、後を追い「久留米ラーメン」を発売している。

 ラーメンフェスタでは久留米の七店と、旭川、福島、神奈川から招いた三店が出店。「ラーメン学会」という講演やシンポジウムも ある。フェスタの運営を担当する久留米商議所の玉置敬一・振興課長は「不況で沈滞した久留米を元気にするためにも、とんこつ 発祥の地を各地にアピールしたい」と意欲を燃やす。

 また、博多とんこつラーメンで知られる、福岡市中央区の一風堂大名本店の山岡光孝店長(28)も「久留米がルーツという話は 聞いたことがある。同じ県内。久留米が盛り上がれば、とんこつ全体が伸びる。お互い刺激しあっていきましょう」とエールを送って いる。

 

ラーメン店 上はホテル 「一蘭」社長が経営 12階建て50室

 ラーメンチェーン、一蘭(いちらん)(福岡市)の吉冨学社長は十八日、福岡市博多区中洲で初めてビジネスホテル経営に乗り出す計画を明 らかにした。全国屈指のホテル激戦区に一階がラーメン店、二階以上がホテルという異色の組み合わせで参入、初年度一億四千万円の売 上高を目指す。十一月一日にオープンする。  ホテルは同社長の個人経営で、名称は「ホテルブレイブ イン博多」。十二階建てで五十室すべてがシングルタイプ。自動チェックイン機の 導入などで人件費を抑え、宿泊費は五千円(税別)の低料金に設定する。当初はラーメン店のみを計画していたが、九州一の繁華街という 好立地を生かし、ホテル付きに変更した。  福岡市によると、同市内では今年一年間でホテルオークラ福岡などの大型タイプからビジネスタイプまで計十三棟が開業(予定も含む)。 既存ホテルも交え、激烈な競争を繰り広げているが、吉冨社長は「これまでの実績から、ラーメン店だけでも土地やホテルの投資は十分回 収できる」と自信をみせている。  一蘭は福岡市や北九州市内などで計八店を展開。こだわりのトンコツスープが特徴で、ホテルは「こってりを味わって、ぐっすり休むことが できる」がセールスポイントになりそう。

19990918付

 

福岡市天神の新地下街建設 渡辺通りに戻れる? 仮移転の屋台店主ら不安

 九州で最もにぎわう福岡市のど真ん中の通りから、屋台のちょうちんが消える…。福岡市中央区天神の渡辺通りの真下につくる新天神地下街(仮称)建設工事の今月末着工が七日、事実上決まったためで、二十二軒の屋台は年内にも仮移転を迫られそう。仮移転期間は最低四年とみられるが、屋台主からは「渡辺通りに戻れるのか」との不安がのぞき、一抹の寂しさを漏らす常連客もいた。

 現在進む地下鉄3号線工事の影響で、国体道路を挟んだ博多大丸の向かいから昨年四月、渡辺通りに移った屋台の店主、安藤義信さん(59)は「一つの場所で腰をすえて商売をしたい」と語り、たびたびの移転話に少々、うんざりの様子。

 ラーメン屋台を営む樗木玄一郎店長(32)は、屋台について市民の間にも賛否両論あることが頭をよぎったのか、「渡辺通りに戻してくれるか心配だ」と不安げに話す。別の店主(46)は「場所が変われば、チラシを配り移転先を知らせるなどして常連客が減らない工夫をしなければならない」と言う。

 渡辺通りに十年通い慣れた店がある福岡市西区小戸一丁目の会社員、桑原隆さん(35)は「店長とは仕事上の相談など、商売以上の付き合いをしてもらっている。お客もこの場所に愛着がある。工事が終わったら、同じ場所でまた飲みたい」と、しんみり話していた。

19990907付

 

キクラゲ入りラーメンを新発売

マルタイ(福岡市)は、キクラゲをふんだんに使ったカップめん「博多屋台きくらげらーめん・とんこつ味レギュラーサイズ」を新発売 した。

従来製品は若者が多いコンビニ向けに一回り大きいサイズだけだったが、スーパー向けにレギュラーサイズを発売。内容量114グラム。希望小売価格155 円。

19990830付

 

「本場もん久留米屋」明星食品が内容一新

 久留米市が発祥の地とされるとんこつラーメンによるまちおこしを目指す「久留米ラーメン・ルネッサン ス委員会」(委員長・平木貞視久留米商工会議所副会頭)の活動に、ラーメン店も加わることになった。 同市内とその周辺の三十一のラーメン店が「久留米とんこつラーメン会」を結成。これまで横のつながり のなかった店同士が、今後は接客や味に関する講習会を開き、各店内では「久留米がとんこつラーメ ン発祥の地」をアピールしていく。

 同委員会によると、とんこつラーメンは一九三七年に久留米市内の屋台がつくったラーメンが始まりと している。さらに旭川や郡山、和歌山など“ご当地”ラーメンが人気を集める中で、久留米ラーメンの注 目度もアップ。今年一月に全国販売されたインスタント食品の久留米ラーメンが売り上げを伸ばし、市 内に約百あるラーメン店の客足も伸びている。

 現在、同委員会では公募したラーメン探偵団三十八人の調査をもとにラーメン店の所在地や「こって り系」「あっさり系」などの味を紹介した地図を作成中。十一月六、七日にはラーメンフェスタを開き、正 式に「とんこつラーメン発祥の地」を宣言する。ラーメン会はこれらの取り組みに協力していく。

19990826付

 

「本場もん久留米屋」明星食品が内容一新

 明星食品は、ご当地ラーメンとして販売している「明星 本場もんラーメン 久留米屋」の内容を一新させ、八月二十三日から全国販売する。

 濃厚だが後味のいいとんこつスープにするため、ゼラチンや豚背脂を増量。

めんにはチキンのうま味を練り込み、久留米ラーメン特有の細切りキクラ ゲを増やした。パッケージも迫力があるように変更。販売価格百六十五円。

19990722付

 

久留米と旭川ラーメン交流

 「とんこつラーメン」によるまち起こしを目指している久留米ラーメン・ルネッサンス委員会(委員長=平木貞視久留米商工会議所副会頭)は二十一日、旭川ラーメンで有名な北海道旭 川市の製めん会社「藤原製麺」の幹部らを招いた情報交換会を、久留米市城南町の久留米商工会館で開いた。

 同社は今年六月から久留米市内のラーメン店と共同で、久留米ラーメンの全国販売を始めた。野中清常務と東京支店の高本哲司さんは「全国の製めん所などとネットワークをつくって 消費者ニーズなどの情報を交換している」「一社だけでは何もできない。同業者をライバル視するのではなく、情報の共有化が大切」と語った。

参加した筑後地区の製めん、製粉業界関 係者らは熱心にメモを取っていた。

19990722付

 

キムチラーメンを新発売

 マルタイ(福岡市)はカップめん「キムチラーメン」を新発売した。

とんこつ味に、浅漬け風味のキムチをフリーズドライ加工して添付している。内容量91グラム(めん68グラム)。希望小売価格は165円。量販店やコンビニで販売している。 19990705付

 

九州ラーメン 香港で大繁盛 人気の秘密は豚骨スープ

 ラーメンの本場・香港で、日本風を売り物にした日式麺(めん)店が人気を呼び、豚骨味のこってりした白いスープの「九州ラーメン」の評判が上々だ。

 広東省に隣接する香港は、ラーメンも広東風。スープはサラッとしているのが一般的だ。それだけに「こってりスープ」が、グルメ志向の強い香港人の舌を引き付けたようで、特に若い女 性に人気があるという。

 日式麺店は十年ほど前から目立ち始め、香港飲食業協会によると現在約二百軒に上る。うち約二割が九州ラーメンを主体としている。  三年前に一号店を開店した呂恵光さん(33)は、現在五店舗に拡大した。  一族で手広く広東料理のレストランを営んでいるが、兄が大分県別府市を訪れた際、豚骨ラーメンを食べ、香港人にも受けると「直感」。その薦めで呂さんが開業したもので、屋号もず ばり「別府麺館」  呂さん自身も福岡市への旅行で、豚骨の博多ラーメンの味を確かめた。開店当初は、香港の大手ホテルの日本人コック長から豚骨スープ作りの手ほどきを受け、こってり味の再現に 励んだ。

 呂さんの店はどこも、壁いっぱいに別府の地図が描かれ、ちょうちんや、のれんが掛かり日本のラーメン屋風。客筋は若い女性が大半だ。

 屋号の縁で、香港在住の大分県人に味のモニターを依頼しており「九州と香港合同で味を守っている」と呂さん。「豚骨スープは香港人にとってはおふくろの味。味のベースが共通なの で、香港人にも受け入れられたのでは」と、人気の秘密を分析している。(香港・久貝恵三) 19990705付

 

カップめん新シリーズ 長崎ちゃんぽんが登場

 ●カップめん新シリーズ 長崎ちゃんぽんが登場

 東洋水産(東京)は、ミニサイズの即席カップめん「マルちゃん 日本全国ラーメンめぐり」の新シリーズを七月十二日 から、北海道を除く全国で発売する。新シリーズは、「長崎ちゃんぽん」「札幌みそラーメン」に、最近人気の旭川、和歌山ラーメン を加え、四カップ一セットとしたもの。

一カップは三十六グラムで、セット価格は三百六十円。単品(九十円)でも販売する。

19990615付

 

故郷・宮崎に帰省すると、必ず立ち寄るラーメン屋がある

 故郷・宮崎に帰省すると、必ず立ち寄るラーメン屋がある。あっさり系だがコクのある豚骨スープ。この連休中、久々に訪ねた ところ、以前よりうまくなった気が…。

 店主いわく「日々、味を改良する努力を怠っては駄目。一つの味に安住していては、お客さんも飽きてしまいどんなにうまい ラーメンでも『味が落ちた』との評価につながるのです」。

翌日のスープをどう作るか、閉店後が真剣勝負という。この一杯に人 生の真実あり。記者稼業も同じこと。マンネリズムの落とし穴には要注意だ。とりあえず今日もうまいラーメンを食べて、英気を 養うとするか。(生)

1999年5月12日 朝刊より

 

ひと・人=鳥越邦夫さん

 ●幻のラーメンを作った鳥志商店代表 鳥越邦夫さん(59)  三百年ほど前、日本で初めて作られたと伝えられるラーメンを“復刻”する気になったのは昨年十月、研究家から「日 本最初は筑後で作られたに違いない」という話を聞いたから。定説では、水戸藩が招いた中国人学者、朱舜水が水戸 光國公に作ったのが国内初。しかし、柳川藩の儒学者が長崎にいた朱氏の世話をしたため「先に柳川で作られたとし ても不思議ではない」という。水戸徳川家に伝わる製法通り、めんにレンコンを混ぜ合わせ、ダシは塩漬けの中国ハム から取った。復刻のラーメンは「素朴な味そのもの」。問い合わせは鳥志商店=09437(5)2214。(福岡県吉井町) 1999年4月19日 朝刊より

 

熊本県/[人・こえ・窓]浜田竜郎さん

 県内の障害者施設や老人ホームなどで、ラーメンを作って一緒に食べて交流活動をする「ボンラティア仲間九州 ラーメン党」代表です。十三日に県からNPO法に基づく特定非営利活動法人として認証されました。活動を続けて いく決意を込めて、法人化を申請しました。今後は経営するラーメン屋は店長に任せ、活動に専念します。党の社 員は現在十四人。仲間を募集中です。(益城町広崎) 1999年4月15日 朝刊より

 

ラーメンを食べながら福祉施設入所者と交流

 ラーメンを食べながら福祉施設入所者と交流する「ボランティア仲間九州ラーメン党」(浜田竜郎代表)が十三日、熊本県から特定非営利活動法人として認証された。昨年十二月施行の特定非営利活動促進法(NPO法)に基づく認証で、同県内では第一号。  同党は一九九二年に自営業者、主婦ら約三十人で“結党”。県内の障害者・高齢者施設などを訪問し、その場でラーメンをつくり、入所者と食べる活動を続けている。法人化で社会的な信頼が上がり、活動しやすくなれば、と申請していた。  認証を受けたラーメン店経営の浜田代表は「認証第一号に恥じぬ活動を九州全域に広げていきたい」と、ラーメンのめん同様、腰の入った活動を誓った。(熊本) 1999年4月14日 朝刊より

 

ラーメンの原点を探る 鳥志商店代表 鳥越邦夫さん

 ●幻のラーメン「朱舜水明麺」を作った鳥志商店代表 鳥越邦夫(とりごえくにお)さん(59)  ちょっと赤みがかかっためん、スープは塩味であっさり。三百年ほど前、日本で初めて作られたと伝えられるラーメ ンだ。復元のきっかけは昨年十月、ラーメン研究家から「日本で最初のラーメンは筑後で作られたに違いない」とい う一言だった。  定説では、水戸藩が招いた中国人学者、朱舜水が水戸光圀公に作ったラーメンが国内最初とされてきた。しか し、それより前に柳川藩の儒学者が長崎にいた朱氏の世話をしていたため「先に柳川で作られたとしても不思議で はない」という。  「最初のラーメンはどんな味だったのだろう。筑後で最初に生まれたのなら、日本のラーメンの原点を探るために 一度作ってみたい」。水戸徳川家に伝わる製法通り、めんにレンコンを混ぜ合わせ、ダシは塩漬けの中国ハムから 取った。  出来上がったラーメンは「素朴な味そのもの」。最近は健康志向の食品に人気が集まっており、思わぬヒット作に なったという。「明麺(みんめん)」は、ゆかりのある柳川市の「御花」で販売。また鳥志商店でも販売している。問い 合わせは同商店=09437(5)2214。(吉井町) 1999年4月13日 朝刊より

 

福岡県久留米市 とんこつラーメン好き集まって! 味の特徴を調査の探偵募集

 福岡県久留米市が発祥の地とされるとんこつラーメンによるまちづくりを目指す「久留米ラーメン・ ルネッサンス委員会」(委員長・平木貞視久留米商工会議所副会頭)が、同市内に約百店あるラー メン全店の特色を実地検証する探偵を募集している。  募集人員は二十―三十人で、任務は各ラーメン店のこだわりと味の特徴の調査。探偵団員には 特製はしとラーメン券、使い捨てカメラの“探偵三点セット”を支給する。  調査結果は、市内の全ラーメン店を紹介する「マップ」にまとめ、十一月に同市で開催予定の「ラ ーメン・フェスタ」の盛り上げを図る。  問い合わせは同委員会=0942(33)2121。 1999年4月12日 朝刊より

 

「味のタウン」が帰ってきた 福岡・天神ソラリアステージ 専門店街あす開業

 福岡市・天神の商業ビル、ソラリアステージの専門店街(中二階―地下二階)が三日の開業を前に二日午前、招待客に公開された。地下二階には「うまく安く、腹いっぱい」をモットーに“天神の胃袋”とも呼ばれた「味のタウン」が復活。かつて二十八あった店舗のうち、休業や廃業を余儀なくされた店もあったが、十五店舗が七年ぶりに“故郷”に戻った。

 味のタウン誕生は西鉄福岡駅が高架化した一九六一年。高架ターミナルに併設したバスターミナル地下に食堂専門フロアとして登場。カレー、うどん、すし、おでんなど安くて手軽なメニューが人気を呼んだ。しかし、西鉄福岡駅再開発で九二年に閉鎖。二十八店舗の半数は天神地区の共同仮店舗に移り、家賃高騰などで休・廃業した店舗も多い。

 共同仮店舗に入らず、近くで営業していた「ひょうたん寿司」は、回転ずしで再登場。「家賃は高いが、私にとってはここがふるさと。なんとしても戻りたかった」と、山田隆一社長(61)。

 休業中だった「あま太郎」も復活。笠井竜太郎さん(79)が開発した和風しょうゆラーメン「ちんめん」が名物。竜太郎さんは再開を心待ちにしていたが、体調を崩した。代わって陣頭指揮をとる妻の静子さん(72)は「スープは秘伝の調合率があるから、昔の味そのまま」と太鼓判を押す。  味のタウン協同組合の住吉啓一理事長は「うまいもんを安くという心意気は昔のまま。地下二階が天神の中心になるよう頑張りたい」と話した。

1999年4月2日 朝刊より

 

宮崎県/スタミナ源 まるごう(下)

 スープにこだわるラーメン店は多い。だが、中央通の浅草ビル一階にあるラーメン専門店「まるごう」は、めんにもかなりこだわっている。

 店主の相馬正雄は、昼間は製めん所の経営者も兼ねる。スープだけでなく、めんも自家製というわけだ。一日に約千二百食のめんを製造。市内十五店にも配達されている。

 スッポンでラーメンを作る相馬は以前、カボチャ、ニンジン、シイタケ、ワカメなどを混ぜた色付きめんを考案、店で出していた。あまりに手が掛かるのでやめたが、夏の冷やし中華のめんは、ホウレンソウ入りの緑色になっていることもある。

 「めんは食感とのどごしが大事。味はもちろん、コシがないとだめだね」と正雄。天気や湿度の微妙な変化に応じて、毎日、めんの水分量を調整するという。

 父親の仕事を継いだ相馬は、大学卒業後、製めん業に。

 そして今、自分のめんでラーメンを作る。素材の奇抜さだけではない。湯気の向こうにスッポンのようなこだわりがある。(敬称略) 1999年3月30日 朝刊より

 

宮崎県/スタミナ源 まるごう(中)

 とんこつスープのラーメンに博多名産の辛子めんたいこが乗った「辛子めんたいラーメン」。宮崎名産の地鶏を使った「地鶏チャーシューメン」。中央通りのラーメン専門店「まるごう」には、ありそうでなかった面白メニューが並んでいる。

 「ピザのトッピングみたいなものよ」と、「スッポンラーメン」を編み出したアイデア店主、相馬正雄、恵美夫妻。「辛子めんたいラーメン」は、学生時代を福岡市で過ごした正雄が、うまいと感じた二つの名産品をドッキング。「とんこつ味に意外と合うのよね」と恵美も絶賛する。めんたいは福岡県の製造業者のものを使う徹底ぶりで、博多方面からの転勤族も思わずうなる、不思議な組み合わせ。地鶏ラーメンは観光客にも大人気だ。

 トッピングの極めつけは、しょうゆ味スープに純金ぱく入りの「黄金ラーメン」。土曜日や日曜日などには結婚式帰りとおぼしき客もかなりあるという。

(敬称略) 1999年3月29日 朝刊より

 

宮崎県/スタミナ源 まるごう(上)

 店の中の水槽になぜかカメがいる。動物好きの主人がペットで飼っているのではない。中央通一丁目、浅草ビル一階の ラーメン専門店「まるごう」は、「スッポンラーメン」が名物なのだ。

 「宮崎にはないラーメンを作ろうと思ったんですよ」と、宮崎市出身の店主、相馬正雄(50)が考案。十六年前の創業当時 から、メニューの頂点に君臨する。生きたスッポンをさばいて、ダシを取ったスープを塩としょうゆで味付け。めんの上にはチ ャーシューの代わりにスッポンのぶつ切りが浮かぶ。値段は千五百円。週一回は必ず食べに来るという地元の常連客や、 香港や台湾のツアー客が集団で食べに訪れるという人気ぶり。写真のスッポン(約三・五キロ)で、十杯程度しか作れない 貴重な味だ。

「食べたらもう一度ニシタチに繰り出せるくらい、精がつきますよ」と相馬。昼間は自家製麺し、ニシタチで午後 九時から翌朝四時まで営業する、という相馬自身がスッポン“効果”を体現している。(敬称略)

1999年3月27日 朝刊より

 

宮崎県/街の案内役 地雷屋(下)

 中央通丸山第一ビル一階のラーメン店「地雷屋ニシタチ店」は、まだ開店して一年余り。六人のスタッフも店主の上原貴 洋(32)を除き、十代と二十代。店全体にみなぎる若さを象徴するように、壁の一角は、さまざまな伝言メモの紙切れとプ リクラで埋まっている。

 上原らは「若い客が喜ぶように」と伝言板と紙切れ、ペンを置いた。「草野球のメンバー募集」「彼女がほしい」など、さま ざまなメッセージで、伝言板はあっと言う間に満杯に。そのうち、ラーメンを食べに来るホステスらが持ち込んだ店のチラシ も張るようになった。

 県外の客に次に行く店を紹介するよう頼まれると、上原らは伝言板のチラシを参考にアドバイスする。「ニシタチは街の案 内所がない。うちがその役目を担ってもいい」。ただ食べるだけにとどまらず、情報交換の場を提供することで、店も街も楽 しくしたいと上原は考えている。(敬称略)

1999年3月26日 朝刊より

 

宮崎県/安さで勝負! 地雷屋(上)

 店に入って来る客が次々と「半チャン一つ」と叫ぶ。中央通丸山第一ビル一階のラーメン店「地雷屋ニシタチ店」。「半チャン」とは「チャーハン半分とラーメンのセット」の意味。ラーメン五百円に二百円を追加するだけで、チャーハンがつくとあって、大人気のメニューなのだ。

 しかも、実際はチャーハンは半分でなく、三分の二の量。店主の上原貴洋(32)は「楽じゃないが、セットメニューがウチの武器。やめるわけにはいかない」と苦笑い。

多すぎず、少なすぎず。勤めを終えたホステスさんたちにも受けがいい。そんな人気の一品、上原らは当然手を抜かない。新人スタッフは、まずチャーハンの作り方を教えられる。だれが作っても味が変わらないように、なべの温度まで決まっている。

「味を落とさず、安さで勝負する」と上原。「材料をもっと安く仕入れるなどして、値段をもう少し抑えたい」。客の要求にどこまでもこたえようとする気構えが気持ちいい。(敬称略)

1999年3月25日 朝刊より

 

ネギたっぷりの「博多屋台ラーメン」

 マルタイ(福岡市)は、カップめん「BIG博多屋台とんこつラーメン・ねぎ」を発売した。関東以西のスーパーなどで販売中。

 白湯(ぱいたん)スープ、細めんなど屋台のとんこつラーメンの特徴を生かした従来の「博多屋台」シリーズに、彩りを重視した小ネギとシャキシャキした食感も楽しめる太目のネギを計4グラム加えた。同社は「健康志向の商品。ネギの香りが一面に広がります」とPRしている。

 同社のカップめん商品は13点目。内容量は125グラム(めん82グラム)。希望小売価格は175円(税抜き)。問い合わせは同社=092(807)0711。

1999年3月24日 朝刊より

 

宮崎県/濃厚な味が人気 ミンミン

 濃厚な豚骨スープのラーメンとニンニクが効いたギョーザが受けている中央通の中華料理店「ミンミン(みんみん)」。

 大阪で修業した店主の木村敏彦(58)は当初、透明なスープのラーメンを作っていた。ところが「九州では豚骨でないと売れない」と知人に言われた。三カ月かけ、九州の有名店を食べ歩いて味を研究。「だれにもまねできない」と自負できる「隠し味」を開発した。

 コンブや貝柱、中国の香料など十三種類の材料を細かく刻んで混ぜ合わせた粉末をスープに入れるのだ。このうち、ニンニクと大豆は味覚を一層引き出すため、三日間は天日に干す。妻フミエは「洗濯物を干すときよりも天気が気になる」と言う。

 ギョーザには、他店の二倍の量の生ニンニクを入れる。女性客からニンニクを抜いてほしいと要求されることもあるが、やんわり断る。「ニンニク無ければギョーザ無し」が木村の哲学だ。酔客に人気のミンミン。濃厚な味に、朝までビールが進む。(敬称略)

1999年3月24日 朝刊より

 

宮崎県/ニシタチの生き字引 ぶたまん

 店名は「ぶたまん」。だが、メニューに豚まんはない。西橘通りのダイヤモンドビル前にある中華料理店「ぶたまん」の看板メニューは手作りのギョーズ(ギョーザ)である。 終戦まもない一九四七年。旧満州から引き揚げてきた日高隆は父親と一緒に西橘通りに店を構えた。当初の店名は「来々軒」。豚まん、ラーメン、ギョーズが人気で、店内はいつも常連で埋まった。

五五年に店名を「ぶたまん」に改名。人気メニューはギョーズと豚まんだった。二代目の日高は「ニシタチの生き字引」として知られた。「ダイヤモンドビルは昔、(作家の)中村地平さんの家でね」「ここは国鉄の寮の払い下げ地」などニシタチの変遷を教えてくれた。西橘通振興会では「監査役」につき、店主の家計簿を見守る役になるなど人望も厚かったという。

日高は昨年八月、七十三年の生涯を閉じた。本場の豚まんを作れる人はいなくなったが、店名同様に看板のギョーズの味も変わらない。今は三代目、玲(37)が伝統の味とのれんを守っている。(敬称略)

1999年3月19日 朝刊より

 

宮崎県/しゃきしゃき白菜 金山楼(下)

 一番街のラーメン店「金山楼」の開店に先立ち、金山政信社長ら親会社幹部は全国各地の有名店を食べ歩き、独自の味を見つけ出した。

 豚骨スープに慣れた九州人には新鮮な、しょうゆベース風の茶色のスープ。金山らが「直感でおいしいと感じた」店の味をブレンドして開発した。スープの材料は明かさないが、外食事業部長の菖蒲光洋(42)は「原価は恐らく宮崎の中で最も高い」と誇る。

 「ラーメンには邪道」とコショウは置かず、カウンターには豆板醤(とうばんじゃん)やニラキムチが並ぶ。めんの開発には二カ月かかった。かんすいの割合を工夫して「食べ始めから終わりまで、こしが変わらない」理想の形を完成させた。

 店内には「美味再会」と題した短文がかけてある。「初めて食べてもおいしいと感じないおいしさ。二度目食べて少しおいしいと感じ…四度目からは忘れられないおいしさ」とある。通うたびに納得する。

(敬称略) 1999年3月18日 朝刊より

 

宮崎県/しゃきしゃき白菜 金山楼(上)

橘通西三丁目の一番街に昨年十月、中国の寺院の楼門を思わせる外観の建物が現れた。ラーメン店「金山楼」。開店して半年近くたつが、清潔好きな従業員が小まめに掃除しており、心地がいい。

 注文して驚いた。茶色のスープに細かく切った白菜が一面に浮いている。しゃきしゃきした歯触り。「煮すぎると水っぽくなるし、逆だと生臭い。火加減が難しいんです」と従業員の市来真由美(26)。自分で納得できる出来にはまだ遠い、と笑う。

 なぜ、ラーメンに白菜なのか。開店するにあたり、社長の金山政信らは昨年春、全国各地の有名店を食べ歩いた。その中で気に入ったのが、白菜入りラーメン。さっそく取り入れたものの、開店直後は野菜の高騰で「投げやりになった」(菖蒲光洋・外食事業部長)。それでも地道に作り続けた。結果、売り上げは毎月増えているという。

 夏は白菜の味が落ちる。金山は高冷産地とのルートをすでに押さえ、万全の態勢で臨んでいる。(敬称略) 1999年3月17日 朝刊より

 

宮崎県/味で勝負 瀧の川ラーメン

西橘通りの大きな黄色いのれんをくぐると、カウンター十席ばかりのこぢんまりとした店の中で、ママの瀧川正子(56)が一人で数人分のメニューをさばいている。

 正子は三年前に「瀧の川ラーメン」を出したとき、「味で勝負したい」と広告や宣伝を一切しなかった。「食べてみて、本当においしいと思ったお客さんだけが来てくれればいい」との思いがあったからだ。正子がこうまで言い切るのには訳がある。過去に、内装やサービスに力を入れ過ぎて失敗したことがあるのだ。だから、味には徹底してこだわる。

正子が絶対の自信を持っているのが、自家製の三種類のみそに十種類のスパイスを混ぜ合わせてつくる特製のタレ。最後に「かくし味」を数滴たらしてスープを仕上げる。正子いわく「あっさりだけどコクがある」。めんは相性を考えて「ニシタチではおそらくここだけ」というちりちり細めんにした。

 独特の味にやみつきになり、宮崎に来ると立ち寄る県外からの客も多い。(敬称略) 1999年3月16日 朝刊より

 

宮崎県/朝の5時まで営業 のぶやラーメン

一番街を抜けてすぐ左手に、大きな文字で「のぶやラーメン」の看板。中央通七丁目交差点の角にあるから目立つ。そのせいか、お笑いコンビ「トミーズ」の雅、俳優の唐沢寿明、人気バンド「ウルフルズ」など芸能人もよく訪れるという。店内には彼らの色紙がずらりと並ぶ。

ラーメンといえば、飲んだ後の最後のシメとして定番だが、「のぶやラーメン」はそんな酒好きにはもってこい。店主の黒木不二男(48)があみ出した秘伝のスープは、飲んだ後の腹にも優しいあっさり味。人気の辛みそラーメンは、お好みの辛さに調整してくれる。「激辛にすれば、一口で酔いなんて吹っ飛ぶわ」とママの君代(44)。

営業時間は朝五時まで。十年前、西橘通りの居酒屋を閉め「昼の仕事がいいね」と始めたつもりが、だんだんと営業時間が延びていった。「結局、夜のニシタチが好きなのよ」と君代。しこたま飲んで騒いだ後に、ふらっと寄りたくなる店だ。(敬称略)

1999年3月13日 朝刊より

 

異彩放つニューフェース 天国ラーメン(下)

 「ブルズ、とんこつ二丁」「ニックス、みそ三丁」。橘通西二丁目「天国ラーメン」では、米プロバスケットボールのチーム名を冠して注文をさばく。「オーナー(39)がNBAのファンだから、テーブルごとにチーム名が付いている」と店長の戸田隆夫(29)。

オーナーは橘通東を中心にブティック、居酒屋、音楽スタジオなどを多角経営中。だが、実家がラーメン店とあって「ニシタチに自社ビルを持ち、ラーメン店を構える」ことこそが本来の夢だった。

戸田は九年前に会社員を辞め、その夢の実現計画に参画。系列の居酒屋で働く中で「天国ラーメン」なるメニューを生んだ。オーナーとの強固な二人三脚は、昨年十二月、ついに屋号「天国ラーメン」の店を誕生させた。

戸田とオーナーは、系列店名にちなんだ「鉄人海鮮労働者バンド」(九人)も結成。いま、「天国ラーメン」のテーマソングを制作中だ。「そのうち店でガンガン流す」と戸田。ニシタチに異色のラーメン店が現れた。(敬称略)

1999年3月12日 朝刊より

 

ラーメン道を行く 天国ラーメン(中)

 「うちのスープは秘伝中の秘伝。製法は教えられん」。

多くのラーメン店の店主は決まり文句のように言う。 だが、橘通西二丁目「天国ラーメン」の店長・戸田隆夫(29)はレシピ(調理法)を堂々と店内に張り出している。

【その1 スープ】豚骨8、鶏ガラ2、海のエキスを加え、約十時間二万カロリーの高熱で骨が小さくなるまで煮…「調味料に頼らず、時間をかけていい味を出す」と戸田。人気のしょうゆとんこつラーメンは、そうしてできたスープに三年寝かし たしょうゆを巧みにブレンドしている。

【その2 めん】日本初。生めんと揚げめんのランデブー…自家製の細めん。作りたてしか出さないから「四時間たっためんは捨てる」。だから、仕込みは営業中にどんどん進める。「チャーシュー、たくあん、木製の大看板もカウンターもテーブルも座布団もぜーんぶ手作りです」

【その6 スタッフ】ラーメン道に命を懸ける者たち(敬称略)

1999年3月11日 朝刊より

 

昇天するほど幸せに 天国ラーメン(上)

 立て看板の能書きにこうある。「ラーメンづくりに命を懸ける。手抜き一切なし」  店長・戸田隆夫(29)もいささか刺激的なことを言う。「うちでラーメンを食し、昇天するほど幸せになってほしい」  「天国ラーメン」はニシタチの入り口、橘通西二丁目にある。橘通り沿いのお菓子の日高の隣、と言えば分かりやすいだろう。

 「らっしゃい!」。スタッフは天を突くほど元気な声を客に浴びせる。初めて来た酔客が仰天するほど大きな声。

 戸田のほかにスタッフは四人。平均年齢二十八歳と若い。そろって頭にバンダナを巻き、赤のTシャツと黒のエプロン姿。胸元には〇に天の字のマーク。背中に「HEAVEN NOODLE」の英文字。店内には洋楽が流れている。異様なまでの張り切りようだ。

 「若さと明るさがいいですね」と言ったら、戸田が切り返した。「ここはラーメンで勝負していますよ」。戸田はくだんの能書きの中身を明かし始めた。(敬称略) 1999年3月10日 朝刊より

 

日本初のラーメンを再現 立花民雄さん  日中学者の師弟愛を表現/安東省菴顕彰会会長 立花民雄さん(51)

 日本で初めてラーメンを食べたのは、だれなのか? それは「黄門さま」で知られる水戸光圀公というのが、文献的には定説になってきている。しかし、光圀公以前に「ラーメンは九州で食べられたはず」と、御花専務立花民雄さん(51)=柳川市城隅町=は"幻のラーメン"を再現した。柳川藩の著名な儒学者、安東省菴(一六二二―一七〇一年)の顕彰会会長

光圀公にラーメンを献上した中国・明の儒学者朱舜水(一六〇〇―八二年)を、亡命先の長崎で物心両面から支えたのが、省菴だったからだ

 ◇ 立花さんは昨年十月、安東省菴顕彰会の会長を引き受けた。そこで、日本で初めてラーメンを食べたのは光圀公で、光圀公に、ラーメンを振る舞ったのが、朱舜水ということを知った。「これは黙っておられんと思いましたね」 省菴が立花家の初代宗茂公から与えられた俸禄(ほうろく)は二百石で、実際は八十石だったという記録もある。家老の禄が千石から千五百石というから、けっして豊かではなかった。「乏しい俸禄の半分を、師と仰ぐ舜水に六年もの間捧げ続け、舜水の家が火事になった際には、重病の家族がいるにもかかわらず、長崎に駆け付けています。こうした省菴の真心に、舜水も、手作りのめんをご馳走したに違いありません」 舜水は光圀に招かれて江戸に向かう途中、柳川に立ち寄り、省菴に三体の孔子像を贈っている。「この際、孔子像に明の麺(めん)を作って供えたことも、想像に難くありません。光圀公以前に、柳川でラーメンは作られ、食べられたと言っても、不自然ではないでしょう」 昨年秋、水戸市の徳川博物館に残る古文書を基に、吉井町の鳥志商店(鳥越邦夫代表)に依頼して、日本初のラーメン再現に取り組んだ。めんは小麦粉とレンコンの粉の組み合わせ、これに中国ハムと五つの薬味が材料だ。スープの出しは最高級の中国ハム・金華火腿(きんかかたい)から取った。小麦粉とレンコンの粉の配合比率が分からずに苦労したが、出来上がったラーメンを試食してみると…

 「おっと思いましたね。実にあっさりした味。省菴はこんなものを食っていたのかと感慨深かった。味は少々生ぬるかったので、ニンニクやショウガの薬味を入れましたが、入れれば入れるほど、本来の味から遠ざかる気がして止めました。その代わりに、宗茂公が文禄・慶長の役で、朝鮮半島から持ち帰ったという紫高菜の辛子漬けを付け加えました」 こうして二月六日、幻のラーメン「朱舜水明麺」(四食千二百円)の発売にこぎ着けた

 「なぜ御花がラーメンを、と言われるかも知れないが、省菴を知ってもらうきっかけになればという思いからです。ラーメンが取り持つ日中の師弟愛を、じっくり味わってほしいものです。じゃないと、省菴から『おれをラーメンを売る"出し"にするな』と、しかられそうです」。目下、業務用を開発中で「柳川の名物に育ってくれたら」と期待する

 「教育の目標、ベースになるものが今はない。そうした道徳というか社会規範を考える上で、西海の巨儒とうたわれた安東省菴の業績を振り返ることは、意義あることだと思います」

● 記者のひとりごと 

● ラーメンブームだそうである。が、その源流は、多様なようだ。一体、ラーメンという言葉はどこからきたのか。広辞苑ではラーメンを「老麺」と書いて「中華そば」、小菅桂子著「にっぽんラーメン物語」では、麺の製法の一つであった「手延べ拉麺(ラーメン)」が、覚えやすさも手伝って、名前だけが広まった、としている

 ひと味違ったラーメンが柳川でまた一つ。これを食した人「ちっと値段が高いバイ」と言った後、説明書を見て「うーん、これくらいはするじゃろう」。食はまさに文化である。(永) 1999年3月6日 朝刊より

 

水戸光圀公らが食べた 日本初のラーメン再現
塩味でさっぱり 御花であすから販売

 約三百三十年前に水戸光圀(黄門)公が、わが国で初めて食べたというラーメンが再現され、六日から柳川市新外町の旧柳川藩主別邸御花で販売される。 水戸徳川家に残る古文書によると、光圀公にラーメンをふるまったのは、長崎に亡命した明の儒学者・朱舜水で、これが「日本最初のラーメン」というのが最近の定説。

 「それなら、朱舜水を物心両面から支援した柳川藩の学者安東省庵が先に食べているはず。朱舜水は柳川に来たこともあり、ラーメンは柳川藩でも食べられたのでは」と、御花専務の立花民雄さん(51)らが、日本初のラーメンを再現した。

 古文書を基に、同県吉井町の鳥志商店(鳥越邦夫代表)が製造を担当。めんには小麦粉のつなぎにレンコンの粉をブレンド。スープは豚肉を岩塩に漬けた中国ハム(火腿)に、とりガラをベースにした。

 出来上がったラーメンは、塩味のさっぱりしたスープに、めんは日本そばを思わせる茶色っぽい色。最近の脂ぎったラーメンに比べると、そばに近い感じ。御花では「幻のラーメン 朱舜水・明麺」と名付け、四食入り高菜付き千二百六十円で、同売店で六日から発売する。郵送の場合は三箱三千七百八十円(送料別)。問い合わせは御花=0944(73)2189。

1999年2月5日 朝刊より

 

「豚骨」発祥の地・久留米 1月、委員会が発足
地場浮揚 合い言葉は「ラーメン」

 福岡県久留米市の久留米大学の駄田井正経済学部長や地元の飲食業界関係者たちが「九州とんこつラ ーメンのルーツは久留米ばい」と、99年一月末に久留米商工会議所や地元ラーメン業界などと、ラーメ ンで地域おこしを目指す「久留米ラーメン・ルネサンス委員会」を立ち上げる。来秋にはラーメンのう んちくを傾けるシンポジウムを計画。ゆくゆくはアジアの味覚も取り込んだ「ラーメン博物館」の建設 構想も描いている。

 「久留米には、たくさん魅力があるのに知名度はいまひとつ」。駄田井学部長たちはそう思い、アサ ヒコーポレーションの経営破たんなどで街に沈滞ムードも色濃く漂うことから「ここで元気の出る地域 おこしを」とラーメンに着目した。

 シンポでは、ラーメンの栄養学や歴史などをテーマにした「ラーメン学会」や、とんこつラーメンの 発祥の地をめぐる討論会を開催。同時に、北海道旭川市や福島県喜多方市などの有名ラーメン専門店に 参加を交渉し、日本各地の食べ比べなども検討している。

 「ラーメン博物館」は、横浜市の新横浜ラーメン博物館のような施設を想定。九州各地の名物ラーメ ンや東南アジア諸国のラーメン専門店に出店を求め、観光開発につながるような趣向を工夫したい考え だ。駄田井学部長は「とんこつラーメン発祥の地・久留米を全国にアピールしたい」と話している。

1998年12月27日 朝刊より

 

庭のたき火がオツな味 山小屋風ラーメン店が評判 小郡市
「炎で心まで温まる」 昔懐かしさで味を演出

 昔懐かしい板塀から玄関をくぐると庭のたき火が迎えてくれる。そんな一風変わったラーメン店が小郡市の西鉄小郡駅隣にオープンし「炎で心まで温まる」と評判になっている。

この店は「旅庵じょっぱり」(宮本茂さん経営)。線路沿いの約八十平方メートルの店の半分を庭に当て、中央に炉をしつらえて、木製テーブル二台と炉を取り囲むようにバンコを置いている。店内にはカウンター席や座敷もあるが、少々寒くても、角材のまきがはじける、火の側に座るお客さんが多いという。

 宮本さんはキャンプや渓流釣りなどアウトドアライフが好きで「自分の思い描いた店をつくってみたかった」というのが開店理由。店舗は自分でデザインし、柱や壁材などを大工さんに加工してもらったが、店を建てる作業は、全部自分でやり上げたという凝りようだ。
 久留米市内でもラーメン店を営んでいるが「三店目にして満足のいく店ができました」と宮本さん。もっとも、お酒を楽しむお客たちは「炎の魅力に負けてついつい飲み過ぎてしまう」とか。

1998年12月15日 朝刊より



おススメのお店情報はこちらまで。


ラーメンTopicsへ戻るトップページに戻る西日本新聞社のページに戻る