Mr.kazuya izumi  文化から共同体再建
浮羽町の「ステージスタッフ」代表
泉和鶴也(いずみ・かずや)さん(67)



 1931年、浮羽町新川に生まれる。浮羽高校を卒業後、町内の姫治郵便局に就職。65年には大石郵便局に移る。ビデオの撮影や編集、盆栽いじりや自宅の庭の造園、謡曲の喜多流では、師範の資格をもつなど多彩な趣味人。父と4歳年下の妻の3人暮らし。2人の息子は県外で暮らしている。浮羽町高見。


町民ホール運営支援が目指すのは

 福岡県浮羽町の町民ホール。舞台を赤、青、緑が混じった色とりどりの照明が照らす。スピーカーからは体全体に響くような音があふれ、客席を魅了する。

 光と音を制御するのは舞台裏。調光盤を自在に操り、音響ミキサーのレバーに神経を集中していたのは、浮羽町民有志によるホールの運営部隊「ステージスタッフ」のメンバーたち。四年前からボランティアで照明や音響を担当している。

 「意外とさまになっとるでしょう。お客さんたちは、まさか私たちのような素人がやっているとは思ってもいないでしょうが…」。ホールの照明や音響は本来、町役場職員が担当していた。だが、本格的な舞台には専門的な知識が必要となる。担当職員が休めばやむなく閉館せざるを得なかった。

 「せっかくのホールが使えないなんて、こんな無駄なことはない。ホールは町の文化の拠点でしょう。浮羽を文化の薫る町にするためには活用していかなければならない」。そう思い立ちボランティアを始めた。以来、ホールの利用率は飛躍的に上がっている。

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 一九八九年に定年を迎えるまで、郵便局員をしていた。町内山間部の郵便局に勤務していた五〇年当時、重さ百キロほどの映写セットをリヤカーに乗せて山の中を歩き回ったこともある。当時は町内に映画館もなかったため「子どもたちに映画で楽しんでもらおう」と思ったからだ。小さな集会場や講堂を即席の映画館にするため、暗幕やスクリーン、スピーカーの張り具合には工夫を凝らす必要があった。

 そのころの経験がボランティアで生きた。照明や音響には多少の心得があり「ホール舞台を任せてもらえればやれる」と考えた。町にも「民間の力を活用すべきだ」と熱心に訴え、認められた。

 それでも自分一人ではできない。メンバーを募集したのは九五年一月。「応募するような人がいるのか」という不安があった。しかし当時、阪神大震災のボランティア活動が注目を集め始めていた。

 消防士、会社員、主婦、酒蔵の杜氏(とうじ)など、さまざまな人材が応募してきた。「ボランティアちゃどんなことをするとなとか、舞台技術に興味があったとか、志も仕事も多彩なメンバー二十人が予想以上に集まってくれました」。その年の四月に発足にこぎつけた。


 メンバーは半年間ほど、久留米市の文化センターの職員などから実地に指導を受けた。ほとんどが一からのスタートだったが「今はアマチュア意識なんか全くない。プロ並みに舞台のことをいつも勉強しているメンバーがいます」と、少しだけ胸を張る。

 評判が評判を呼び、今ではホールだけでなく、町内各地のステージの音響や照明の依頼が来るようになり、出張ボランティアも二十回近くになった。

 「楽しみながらやろう」が口ぐせ。「無理強いすることがなかったから、ここまで続いたのでしょう。みんな好きだからやっているだけなんです」。依頼が来ればメンバーの間で、どんな光を当てるか、効果音はどうするか、とことん話し合いアイデアをひねり出す。

 文化振興の先に見ているものは「昔の浮羽」。田植えや稲刈り、祭りなどお互いに協力しながら暮らしていた共同体づくりだ。

 「地域の中で連帯を深めるには、呼びかけるだけでは難しい。でも文化の薫る町となり、地域の活動が活発になればそれだけ人と人との触れ合いが増える。きっと町にぬくもりが生まれてくるはずだ。ステージスタッフはそのお手伝いをしているだけですよ」。眼鏡の奥の目が、きらりと輝いた。

=1999.02.19掲載