アジア・九州 未来人

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中国・瀋陽市


 ●メモ
 瀋陽は遼寧省の省都。市街地人口479万人。大連や長春、ハルビンと鉄道で結ばれた中国東北地方の要衝で日本、米国、ロシア、北朝鮮が総領事館を置く情報収集の拠点都市でもある。
 旧満州時代は奉天と呼ばれていた。1931年9月18日には、市郊外の柳条湖で旧関東軍が鉄道を爆破、満州事変の発端となった。柳条湖には現在「9・18事変陳列館」や「9・18歴史博物館」が建設され、日本統治下の苦難の歴史を伝えている。
 第二次大戦後の日本人残留孤児が多いのも、この地域。同博物館には昨年、残留孤児らの寄付で「中国の養父母に感謝する碑」が建てられた。
 新中国になって、周辺の撫順などとともに重工業地帯となり、近年は国有企業改革に合わせてハイテク工業への脱皮を図っている。
 日本総領事館によると、日本人の長期滞在者は約300人。「一昨年、関西国際空港との直航便が就航し、日本からの旅行客も徐々に増えつつある」という。
 札幌市と川崎市が姉妹都市。九州では九州大学医学部が、何さんの母校である中国医科大学と交流協定を結んでおり、何さんの九大留学のきっかけともなった。

「九州の心」忘れぬ赤ひげ先 二十四億のひとみに光をく

説明する何さん
瀋陽市内の公園に眼科医療のパネルを並べ、ボランティアで市民に目の大切さを説く何さん
 視界の続く限り広がるトウモロコシや麦の畑。その間にブドウ棚が延々と伸びる。瀋陽はそんな中国東北地方(旧満州)らしい広大な大地に囲まれた街。眼科医師の何偉さん(40)はこの街に九州で学んだ最新医療の風を吹き込む一方、ボランティア診療に飛び回る現代中国の“赤ひげ”先生だ。
 土ほこりが舞う工業団地の一角に、何さんの病院「何氏眼科」がある。開業から三年。市街地から遠い北のはずれだが、瀋陽一円から患者が引きも切らない。
 一階待合室には約五十人の患者があふれていた。医師や看護婦らが最新の医療機器でテキパキと診察をこなしていく。診察室、病室は明るく開放的。階段や廊下には花や絵画が飾られて、心をなごませる。
 待合室や廊下が薄暗く、看護婦に笑顔が少ない病院が目立つ中国では異色と言ってもいい。しかも土、日曜も診察、夜間の急患も受け付ける。
 この病院を拠点に既に数万人が診察を受け、超音波技術を使った白内障手術で数千人の目に光を取り戻している。
 治療費を払えない人たちからはお金を取らない。無償の手術がもう七百人を数える。
 「患者本位の病院にこだわった」と何さん。週末は、福岡のライオンズクラブから贈られた中古バスに診療機材を詰め込み、周辺の村へボランティア診療に繰り出す。少しでも時間があれば市街地の公園で、検眼や目の予防の啓発活動にも出かける。

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 そんな何さんが片時も忘れないのが九州・福岡の街。「二十七歳で福岡に渡り、九年間勉強した。すべてはここから始まった」と言う。
 瀋陽生まれ。両親も医師。一九八四年に中国医科大を卒業し眼科医に。二年後に日本への国費留学生に応募、眼科医としては中国初の公費留学生として、九州大学医学部大学院の門をくぐった。
 「日本の眼科病理研究や治療の水準の高さを知っていた。中国でより多くの患者を助けるために日本で最高の治療技術を学ぶ必要があった」
 とはいえ、日本語は一からのスタート。半年後に合流した妻麗芳さん(39)とふろもない四畳半一間の下宿暮らしだった。苦しい生活に耐え、勉学を続けることができたのは「九大医学部の猪俣孟教授(62)や福岡市の大島眼科病院の松井孝夫院長(69)たちのおかげだった」と振り返る。

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目を診察する何さん
眼科医が少ない中国。何さんは毎日精力的に診察を続ける
 「大変な才能の持ち主で頑張り屋。そのうえ、中国の眼科医療に尽くすという信念を持っていた」と猪俣教授。松井院長も「最初は『白内障手術を見たい』と訪ねてきた。そのうち頻繁に顔を出し『日本の病院は受付から診察、投薬まで、なぜこんなにスムーズなのか』とたずねる。その熱意に感心し、何さん夫妻と家族同様のつき合いになった」と語る。
 大島眼科は当時、国内の離島やアジアの無医地区で眼科診療のボランティア活動を続けていた。
 「ぜひ中国の人に光を取り戻す機会を」という何さんに、松井院長を団長とする無料奉仕の眼科診療団が初めて東シナ海を渡った。八九年五月のことだった。
 「不幸な出来事があった旧満州の地で、中国人の日本に対する思いを少しでも変えたかった」と松井さん。何さんも、手術を受けた患者が「目が見える」と泣いて喜ぶ姿を忘れない。
 「福岡で学んだのは白内障手術だけじゃない。医師の在り方、人生の在り方、日中関係の在り方までいつも議論しましたね」
 九六年夏、何さんは故郷の瀋陽に帰り、念願の病院の建設に取りかかった。同じころ、新館を建設した大島眼科は工事期間中に使った仮病院が不要になり、何さんはその施設や設備を譲り受け、瀋陽に運んだ。
 「設計から機材、運営まで、すべて福岡の人たちの応援で完成した。私の病院には“福岡の心”、“九州の心”がこもっている。ここで頑張ることが福岡への恩返しなんです」


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9・18陳列館
柳条湖に建つ9・18陳列館。地元の中学生たちが見学に訪れていた
 病院を軌道に乗せた何さんは現在、眼科医療の向上や普及拡大を目指している。
 人口十二億人の中国に眼科医はわずか二万人。手術できる人は一万人程度。失明原因のトップは白内障だ。
 「中国の医療はまだ水準が低く、人材も足りない。私がどんなに頑張っても、治療できる患者数は限られる。優秀な医師と医療機関を全国に広めて、中国から失明をなくしたい」
 夢は大きい。が、大言壮語ではない。何さんは既に他省も含め計六カ所の分院を開業、昨年は瀋陽に全国初の眼科専門単科大学「何氏眼科視光学院」をつくった。全国に先駆けて瀋陽でアイバンクを組織したのも何さんだ。
 「若い私を政府が信用し評価してくれたのは、松井院長らと長年ボランティア診療を重ねたからです」と何さん。仕事で悩んだときは、いつも福岡の友達に電話や電子メールで相談している。
 何さんの病院には今、中国各地から、眼科学会仲間や医療関係者が視察に訪れる。その度に何さんは福岡や九州をこう紹介しているという。
 「私は米国や東京でなく九州の福岡で学んだ。彼らの支援があるからここまでこれたんです」と。

 ▼文と写真 中川 茂




 中国周辺地図

掲載2000年6月22日(朝刊)