本紙掲載記事より
本番さながら 勇壮に追い山ならし (7月13日掲載)
梅雨空払う勢い水 山笠「流れ舁き」 (7月11日掲載)
暑気払い「朝山」走る (7月11日掲載)
梅雨空払うお汐井取り (7月10日掲載)
新天町が小冊子 (7月7日掲載)
28人の「台上がり」決まる (7月5日掲載)
山笠幕開け、飾り山公開 (7月1日掲載)
県庁マン50人が助っ人 (7月1日掲載)
各国蔵相迎える飾り山御神入れ (6月26日掲載)
博多山笠の表題決定 (6月8日掲載)



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「オイサ」本番さながら 勇壮に追い山ならし (7月13日掲載)
 博多祇園山笠の「追い山ならし」が十二日夕、福岡市博多区であった。十五日の「追い山」の予行練習にあたり、男たちは「オイサ、オイサ」のかけ声勇ましく、約四キロを疾走した。  櫛田神社では、七流(ながれ)の舁(か)き山が「櫛田入り」。「走る飾り山」として知られる八番山笠・上川端通も登場し、白煙を噴き上げる仕掛けで見物客を楽しませた。
←大勢の観客の前で清道を回る二番山笠・大黒流の舁き山
 =12日午後、福岡市博多区の櫛田神社

追い山ならし東、千代流トップ 高まる熱気、山笠佳境
 約四キロのコースで速さを競った舁き山七流は、「櫛田入り」で東流、「全コース」で千代流がそれぞれトップになった。クライマックスの十五日の「追い山」まであと二日。佳境を迎えた祭りの見どころを紹介する。
 十三日は、午後三時半から「集団山見せ」。七つの舁き山に福博の知名士二十八人が「台上がり」し、福岡市博多区の呉服町交差点から同市中央区天神の福岡市役所まで約一・二キロを走る。舁き山が那珂川を越え、福岡部に入るのは、この日だけ。
 十四日は「流舁き」があり、千代、東流を除く五流が、各流の地域内を舁き回る。追い山を翌日に控え、舁き手たちは最後の調整。中洲、恵比須流が午後四時に、土居、大黒、西流が午後五時に、それぞれの山小屋を出発する。
 十五日は、いよいよ「追い山」。午前四時五十九分、一番山笠・土居流が「櫛田入り」。他の六流と「走る飾り山」の八番山笠・上川端通が五分間隔で続く。七流は、同市博多区須崎町の廻(まわ)り止め(ゴール)まで約五キロを駆ける。
本番に向けビデオ研究 八番山笠・上川端通
 「走る飾り山」として知られる博多祇園山笠の八番山笠・上川端通は十二日、「追い山」のリハーサルにあたる「追い山ならし」で、山笠の上部に小型ビデオカメラを取り付けて「櫛田入り」をした。
 上川端通は、慢性的に地元の舁き手が不足しており、今年も学生や県職員など約二百人に応援を頼んだ。「舁き手の大半が素人。撮影したビデオをみんなで見て研究し、十五日の追い山に備えたい」と原公志総務。
 ビデオカメラ搭載は初の試みで、舁き手の交代技術などを撮影したという。

▽追い山コース案内   ▽追い山ならしタイム
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梅雨空払う勢い水 山笠「流れ舁き」 (7月11日掲載)

 山が動き出した―。博多祇園山笠の舁(か)き山七流(ながれ)は十日夕、福岡市博多区で、各流の地元町内に今年初めて繰り出し、披露する「流舁き」をした。  五番山笠・西流は午後五時、厚い雲を払いのけるような勇ましい「ヤァー」の掛け声とともに、同区店屋町の山小屋前を出発した。約五分後、同区上川端町の櫛田神社に到着すると、舁き手たちは全身、汗と勢い水でびっしょり。その後、沿道の拍手と声援を受けて「オイサ、オイサ」と地元町内を駆け巡った。  山笠行事は十一日の「朝山」、十二日の「追い山ならし」、十三日の「集団山見せ」と続き、十五日未明の「追い山」で最高潮を迎える。


町内に「オイサ」の声が響き出した博多山笠の流れ舁き
=10日夕、福岡市博多区冷泉町(写真は五番山笠・西流)→

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暑気払い「朝山」走る (7月11日掲載)
 博多祇園山笠の「朝山」が十一日早朝、福岡市博多区一帯であり、七流(ながれ)の舁(か)き山が地元町内を走り、夜が明けきらぬ商店街やオフィス街に、男たちの掛け声がこだました。
 この日、同市は蒸し暑い朝となり、午前六時の不快指数は「79」に達したが、午前五時に同区上川端町の詰め所を出発した一番山笠・土居流は、暑さを吹っ飛ばせとばかり、街を駆け抜けた。

←夜が明け始めた博多の街を駆ける朝山=11日午前5時半、福岡市博多区古門戸町
 朝山は、祝儀山ともいい、各流の旧役員や地域の関係者に加え、普段は舁き山から離れて走る児童も「台上り」する。祭りを支えたベテランと次代を担う世代は、台の上から舁き手たちを激励。今世紀最後の祭りにふさわしく、世代をつなぐ“競演”を見せた。
 台に上がった小学六年、阿部亮太君(11)は「すごい迫力でドキドキした。早く大きくなって山笠を舁きたい」と目を輝かせていた。
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 ● 梅雨空払うお汐井取り (7月10日掲載)

 博多祇園山笠の舁(か)き山七流(ながれ)の全町が九日夕、福岡市東区の箱崎浜で、「お汐井(しおい)取り」をした=写真。
 お汐井取りは、山笠に参加する男たちが、身を清めるための海砂(お汐井)を取りに行く行事。
 同日午後五時半、先頭の一番山笠・土居流が、同市博多区中呉服町の石堂橋を出発。「オイサ、オイサ」の声勇ましく箱崎浜を目指した。沿道の手拍子を受けて浜に到着すると、海に入り、竹かごや升に砂をすくった。
 土居流の野間口博信さん(35)は二男、脩君(2つ)を肩車して走り抜き「立派な“山のぼせ”になってほしいから、父親の頑張る姿を見せました」と汗をぬぐっていた。

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飾り山世相乗せ50年 東京五輪、西鉄優勝、宇宙旅行…新天町が小冊子 (7月7日掲載)
 福岡市・天神の新天町商店街商業協同組合(泰松陽一理事長、八十七店舗)は、博多祇園山笠に合わせ、過去五十年の飾り山の写真を集大成した小冊子「飾り山笠五十年史」を作った。戦後間もなく誕生した同商店街は、斬新(ざんしん)な商法で福博復興の先導役を果たしてきただけに、飾り山も個性的で、伝統破りの題材が物議を醸したこともしばしば。西鉄ライオンズ優勝、初の有人宇宙飛行などをテーマにした飾り山を紹介し、世相を映した「戦後史読本」ともなっている。
 同商店街は一九四六年秋に誕生。発足当初の八十二店舗は、福岡大空襲で店や家を失った旧博多部出身の若手が開いた店が大半。サンタクロースに扮(ふん)した店主たちが単車で走り回るなど奇抜な宣伝が話題を呼んだ。
 四九年から参加した飾り山も趣向を凝らし、五四年の「シンデレラ姫」は、日本古来の事象に題材を求めた伝統を超えた作品で、論争を巻き起こした。五九年は西鉄ライオンズの稲尾、中西、豊田が登場する「激突平和台之誉」。前年の日本選手権での三連敗後の奇跡の逆転優勝を再現し、ファンを喜ばせた。
 このほか旧ソ連の宇宙飛行士・ガガーリンの名セリフから取った「地球は青かった」(六二年)、東京五輪の前年の「揚げよ日の丸」(六三年)など、時代のトピックスを扱った傑作がずらり。泰松理事長は「異端扱いされたが、博多商人の進取の気風を受け継いだものだ。今後も市民の心に残る飾り山を立てていきたい」と話す。
 小冊子は、飾り山の写真約六十枚を掲載。国内外のニュースや流行語をまとめた年表も添えた。A5判、二十一ページ。五万部を印刷し、同商店街などで無料配布している。


←今年の飾り山の前で「飾り山笠五十年史」の冊子を持つ新天町の関係者=福岡市中央区天神2丁目
 
「西鉄、奇跡の日本一」を扱った
1959年の「激突平和台之誉」→

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集団山見せ28人の「台上がり」決まる 徐・駐福韓国総領事も W杯前に交流促進を (7月5日掲載)
 博多祇園山笠振興会は三日、集団山見せ(十三日)で台上がりを務める二十八人を発表した。三番山笠・東流(ながれ)では、駐福岡韓国総領事館の徐賢燮(ソヒョンソプ)総領事(55)も選ばれた。二〇〇二年日韓共催ワールドカップ(W杯)サッカーを前に「交流促進の一助にしたい」と振興会。徐総領事は「山笠の伝統と魅力を肌で学び韓国に紹介したい」と張り切っている。
 徐総領事は一九九八年に着任。各種会合で講師を務めたり、屋台や日韓の歴史観などを書き下ろした評論集を出版したりと公私にわたり、積極的に活動している。振興会によると、集団山見せの台上がりをした外国人は、アメリカ、韓国両領事館の計三人。徐総領事が四人目という。
 十三日は午後三時半、一番山笠が福岡市博多区の呉服町交差点をスタート。その後、五分おきに七番山笠まで出発し、市役所まで約二キロを走る。


徐賢燮・駐福岡韓国総領事
 ほかの主な台上がりは次の通り。(敬称略)
【土居流】津田隆士(市議会議長)▽山崎広太郎(市長)▽川崎修一(博多人形師) 【大黒流】瀬尾純一郎(日銀福岡支店長)▽河北宏一(飾り山代表) 【東流】本多常忠(博多中校長) 【中洲流】大内田勇成(福岡シティ銀行常務)▽西島伊三雄(博多町人文化連盟理事長)▽久保長(コカコーラウエストジャパン会長) 【西流】松村隆(九電工社長)▽木曽厚三(テレビ西日本常務) 【千代流】竹島康弘(市医師会長)▽星野良祐(千代中校長) 【恵比須流】田中浩二(JR九州社長)

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さあ祭りだ! 山笠幕開け、飾り山公開 (7月1日掲載)
 福博の夏祭り・博多祇園山笠が一日から始まり、福岡市内の十三カ所で個性あふれる豪華な飾り山が一斉に公開された。十五日未明の「追い山」まで山笠行事が続き、街は祭り一色に染まる。
 同市博多区下川端町の博多リバレイン前には、この日、隣の博多座で公演初日を迎えた「出雲の阿国」が標題(見送り)の飾り山が登場。歌舞伎の始祖ともいわれる「出雲の阿国」などの人形計三体を、博多人形師の置鮎琢磨さん(71)=福岡市東区水谷=が制作した。
 この日朝、「出雲の阿国」に出演する福岡市出身の米倉斉加年さん、小林綾子さんら四人が置鮎さんの飾り山を見物した。


←博多座で始まる「出雲の阿国」も登場。梅雨の晴れ間に一般公開された飾り山
 =1日午前10時半、福岡市博多区


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博多山笠で地域に溶け込め 県庁マン50人が助っ人 「上川端通」の要請快諾 (7月1日掲載)
 博多祇園山笠の「走る飾り山」として知られる八番山笠・上川端通に、県職員約五十人が、初めて舁(か)き手の助っ人として参加する。県庁で三十日、締め込みの巻き方などを教わる特別講習があり、七月一日の祭り開幕へ準備も万全。舁き手不足に悩む上川端通の要請を受けた県職員側の発起人代表、松本伸一さん(50)は「博多どんたくでは福岡市職員が全面協力している。地域に密着した職員の姿を県民にアピールしたい」と張り切っている。
 上川端通は、総勢約二百人が交代で高さ約十二メートル、重さ約二・五トンの飾り山を動かす。だが、同じ地域に舁き山七流(ながれ)の土居流があることもあり、慢性的に舁き手が不足。例年、学生約百人の応援を得ているが、ここ数年は学生たちが就職活動に忙しく、人集めの苦労が続いている。
 さらに今年は、土居流が「一番山笠」の大役を務めるため、若手の多くが同流に参加する。このピンチを打開しようと、県庁OBの上川端商店街振興組合事務長が松本さんに協力を依頼。初めて県庁マンが団体で山笠に参加することになった。
 この日の講習会では、上川端通の役員が、締め込みや鉢巻きの付け方、水法被の着こなしなどを職員をモデルにして指導。締め込みを初体験した県企業局管理課の宮崎秀幸さん(32)は「身が引き締まる思い。勇壮な祭りの伝統を体感したい」。上川端通の原公志総務(60)は、ビデオ撮影やメモをしながら熱心に話を聞く職員たちの姿に、「やる気満々で、頼もしい限りです」と満足そうに話していた。

博多祇園山笠の「正装」である締め込みの付け方を習う
県庁職員=30日、福岡市博多区の県庁

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さぁ山笠 さぁサミット 各国蔵相迎える飾り山御神入れ 福岡市博物館 (6月26日掲載)
 七月八日に開かれる主要国首脳会議(九州・沖縄サミット)福岡蔵相会合の会場、福岡市早良区百道浜の市博物館に展示される博多祇園山笠の「サミット飾り山」が完成し、二十六日午前、祭りの神様を飾り山に招き入れる「御神(ごしん)入れ」の神事があった。
 サミット飾り山は、高さ約十二メートル、幅約四メートル。七月一日に始まる伝統の夏祭りの魅力を各国蔵相たちに伝えようと、福岡蔵相会合推進委員会が、博多祇園山笠振興会(石橋清助会長)の協力で製作。菅原道真や鴻臚館(こうろかん)の官吏、官女などをかたどった豪華な人形十体が取り付けられている。
 神事には、推進委員会や山笠振興会の関係者ら約三十人が出席。櫛田神社(同市博多区)の神職が飾り山の前でおはらいなどをした。一般公開は七月九日から同三十日まで。
 一方、櫛田神社は同日、山笠の最後を飾る追い山(七月十五日)の「櫛田入り」の桟敷券三百五十席分を発売。「勇壮な舁(か)き山を特等席で見たい」と前日からの徹夜組も並び、午前九時の売り出しから十五分余りで完売した。


サミット飾り山の御神入れ準備をする関係者=26日午前10時50分、福岡市博物館
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博多山笠の表題決定 サミット関連も登場 (6月8日掲載)
 博多祇園山笠振興会(石橋清助会長)は五日、今年の「舁(か)き山」と「飾り山」の標題を発表した。山笠は番外の櫛田神社まで十七番。時期が重なる主要国首脳会議(九州・沖縄サミット)関連など、バラエティーに富んでいる。
 一番山笠・土居流(ながれ)の舁き山は、来年のNHK大河ドラマ「北条時宗」にちなんで「北条時宗執権誉(しっけんのほまれ)」。飾り山の見送りを「雅(みやび)源氏物語」とした上川端通。「ミレニアム(千年紀)とサミットを記念して登場する二千円札に描かれる源氏物語絵巻を採用した」(上川端通の原公志総務)という。
 意味深長なのが二番山笠・大黒流の舁き山「男兒一言重萬鈞(だんじのいちげんおもきことばんきん)」。「オッペケペー節」で知られる新派俳優で、博多生まれの川上音二郎(一八六四→一九一一)を取り上げるが、音二郎は、時の政府や警察を痛烈に批判した人物。大黒流の三野拓蔵総務は「問題発言を繰り返す首相に、彼なら『言葉の重みをわきまえなさい』とでも、いさめたのではないか」。
 飾り山の見返りには、ドラえもんなど子どもに人気のアニメも登場する。飾り山は二十八日から飾り付けが始まり、七月一日から十四日まで一般公開される。
▽標題一覧

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