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焦点・FOCUS=諌早湾水門きょうにも結論 「開放反対」住民の論理 海抜0―3メートル、頻
繁に襲った水害 閉め切り後、水位安定 旧堤防の老朽化激しく
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2001.03.27朝刊掲載
有明海のノリ不作問題で、長崎県諫早湾干拓事業の潮受け堤防の水門開放をめぐる動きが本格化している。二十七日には「有
明海ノリ不作等対策関係調査検討委員会」(通称・第三者委員会)が開かれ、農水省が開放か否かの結論を出す見通し。開放に
ついて地元は、漁場の混乱だけでなく、「潮受け堤防の防災機能を著しく後退させる」として反発を強める。海抜〇―三メートルの低
平地が広がり、頻繁に水害に見舞われてきた湾周辺地域。防災をめぐる「開放反対」の論理を点検した。
▼緊張の日々から解放
諫早湾に注ぐ本明川河口から約四キロ上流に面した諫早市仲沖町。同町の中山英記さん(70)は一九九三年、町内会長に就任
以来、潮汐(ちょうせき)表を確認するのが日課だった。
「水害が起きれば町民を避難誘導しないといけない。だからいつも緊張していた」
七百六十人もの死者・行方不明者を出した五七年の諫早大水害を含め三度の床上浸水を経験したほか、地域一帯の床下浸水
は「数え切れないほど」という。
だが、九七年に潮受け堤防が閉め切られて以来、中山さんの日課は途絶えた。高さ七メートルの堤防が高潮をせき止め、堤防内
の調整池は、海抜マイナス一メートルの水位を保ち、大雨時も低平地からの排水を確保する。九九年六月二十九日の大雨では、大
潮の満潮に重なったが、仲沖町で実害はなかった。
▼農地干拓推進の矛盾
諫早湾干拓事業の歴史は長い。当初は「食糧増産」を目的に五二年に構想が浮上。その後、減反時代を迎え「飲料水・工業用水
確保」と軌道修正したが、水質的に飲料水に適さないという指摘もあり、計画は打ち切りに。しかし八二年、規模を縮小した上で、
「防災」を前面に打ち出した事業に変更され、干拓地は酪農と畑作地にする事業に衣替えした。
事業目的が二転三転したうえ、農業が曲がり角にあるのに、広大な農地干拓を推進した矛盾―。同市幹部も「まず公共工事あり
き」「不必要な事業」といった疑念を持たれる点は認めながらも、「防災効果まで軽く見られているが、地元にとって防災対策は重
要」と強調する。
同市干拓推進室も「仮に水門を開放したままになるなら、海水が調整池に流入し、海抜マイナス一メートルの水位を保てず、洪水
調節の役割は果たせなくなる」と危機感を募らせている。
一方で同市には、事業反対派から「水害の恐れが出たときにのみ、閉め切ればいいはずだ」との反論が寄せられる。だが、気象
庁によると、大雨警報が適切に出せる確率は六割程度。同推進室は「調整池の水位を下げるには数日かかるだろう。天気予報も
完全でないのに、だれが閉め切るタイミングを判断できるというのか」と話す。
▼「地域の悲願」訴える
潮受け堤防に代わる防災機能はあるのか。
干拓構想が浮上して半世紀の間、一帯ではこの堤防建設が大前提の事業だった。このため、旧堤防は修復されないまま放置さ
れ、亀裂が入った個所も少なくない。低平地の排水樋門(ひもん)も壊れたままのところもある。改修にかかる費用は千数百億円と
もいわれている。
「水門を開けるというのなら、そんな実態は調べていますか」
二十三日、農水省に水門開放反対をあらためて要望した吉次邦夫諫早市長ら湾周辺の住民約五十人は、谷津義男農相にこう迫
っている。
二カ月もすれば梅雨に入る。吉次市長に同行して上京した中山さんは「防災対策確立は、地域の悲願。その思いをないがしろに
した有明海再生の議論は、絶対に容認できない」と訴え続けている。
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