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| 「縄文時代の石器が交じっていた」として、旧石器時代の遺跡としての再評価が迫られる大分県本匠村の「聖嶽(ひじりだき)洞穴」をめぐり、別府大(大分県別府市)は、腰岳産(佐賀県伊万里市)や牟田産(長崎県松浦市)など西九州の石材を使った石器が混入していた点に着目した調査を本格化させる。当時、どのような流通ルートで運んだのかを解明することで、聖嶽洞穴の「客観的な年代」に迫るのが狙い。一九六二年に発掘を手掛けた賀川光夫・同大名誉教授の自殺などセンセーショナルな側面が際立つ「聖嶽」を学問的に再整理する試みだ。 |
| 石材から「年代」探る |
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■当時で旅程10日 「有明海から筑後川をさかのぼるコースをとれば、松浦から本匠まで、当時の旅程で十日ぐらい。持ち込まれた可能性も否定できない」 聖嶽洞穴の石器類を再調査している別府大検討委員会から調査依頼を受けた高倉洋彰・西南学院大教授は、出土品の石器の中に、腰岳産の石材を使った縄文時代の石器が交じっていたことについて、こう話す。 検討委の調査では、六二年の一次調査までに出土したことが確定している石器十四点(うち行方不明二点)のうち四点は後期旧石器時代のものだったが、七点は縄文時代後期と晩期のものとの見方で一致。石材は後期旧石器時代のものはすべて牟田産の黒曜石、縄文時代の石器は腰岳産の黒曜石で、大分県内の遺跡で多く見られる流紋岩や、姫島産、阿蘇産の黒曜石は使われていなかった。
高倉教授によれば、石材としては縄文時代後期以降は、一般に佐賀産のものが増えてくる。石材の「流通ルート」を解明していくことで、聖嶽洞穴の年代の研究を積み上げるのが、今回の調査の狙いだ。「その解明には大分、熊本、宮崎などの遺跡で出土した黒曜石の石器の分布状況を時代ごとに調べる必要がある」という。 石材の研究が本格化したのは一九八〇年代といわれ、考古学界の中では後発の分野。それだけに「石器の年代について研究者の意見が微妙に分かれるケースもある」(小畑弘己・熊本大助教授)という。 しかし、別府大検討委の今回の調査で、聖嶽洞穴の地層がかく乱されていたことが判明した今、遺跡の正しい再評価のためには、こうした地道な研究が必要だ。
■ずさん管理露呈 |