| 池島鉱閉山 ドキュメント ヤマと生きた42年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 「最後の一日」はヤマの涙雨で明けた。二十九日、四十二年の歴史に幕を下ろした池島炭鉱。「ご安全に」。繰込場では無事を祈る見送りの声を受け、男たちが次々と最後の現場に向かった。坑口では、妻たちがたばこに火を差し出し、昇坑してきた夫らを温かく迎えた。炭鉱マン、家族、住民らがさまざまな思いをめぐらせる中、池島はヤマに別れを告げた。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
※「炭坑誌」(前川雅夫編)、「外海町誌」などを参考にしました。炭鉱名は「〇〇鉱」で統一しました。 |
「ヘルメットも道具も捨ててきた」 「家族以上、仲間との別れつらか」
同5時50分 海面下650メートルまで降りるエレベーターに乗り込む。 午後1時すぎ 労組主婦会員の坑口接待始まる。二番方一人ひとりに向かって「ご安全に」「ご安全に」。 同2時10分 一番方が昇坑。主婦会のメンバーがたばこに火を差し出す。一斉にカメラマンのフラッシュ。 同2時半 立て坑前売店の店員阿納幸恵さん(53)。「これまで話すこともなかった人から声を掛けられるごとなった。みんな人恋しくなったとですかね」 同3時ごろ 池島ストアや市場で池島小の3年生が社会科見学。子どもたちの笑顔を見つめ生花店の脇山鈴子さん(62)は「見慣れた顔ばかり。いなくなると寂しくなるねえ」としんみり。
写真=入坑者の確認をする鉱員たち =29日午前、池島炭鉱の繰込場▲
同5時 「退職金もカット賃金返還もゼロ。家族5人のたれ死に。むごすぎる。マスコミはこんな現実も伝えてほしい」。下請け従業員(56)は自宅で男泣きした。 同8時 商店街の焼き肉店。中年炭鉱マン2人がビールを酌み交わす。「ヘルメットとか仕事道具は全部捨ててきた。でも作業日誌だけは取っとく。明日からは早起きせんでよかとよね。でも朝4時には、目が覚めるやろうな」
同9時半 二番方が採炭を終え次々に昇坑。炭じんで顔を黒くした一人(42)は「借金を返すために炭鉱に入り、毎月15万円ずつ5年で完済した。炭鉱は良かった」と振り返る。 29日午前2時ごろ 7、8店が軒を連ねる飲屋街で炭鉱マンたちの騒ぎ声がピーク。カラオケに交じって「きょうで終わった」「最後やけん」の声も。
▲写真=入坑する鉱員を見送る関係者 =29日午前、池島炭鉱の坑口
同4時ごろ 一番方が次々と弁当店へ。「今までありがとさん」という男たちに「今日で最後やね。お疲れさま。ご安全!」と辻さん。 同6時25分 神浦行き始発フェリーが出港。船に乗って8年目の船員(39)は「やっぱりさみしか」
写真=「おばちゃんのおいしい弁当ばもう食べれんとやね。さみしかなぁ」。 交わす言葉に万感の思いがこもる =29日、池島の弁当店▲ 同6時半 最後の採炭を終えた三番方が昇坑。「長い間ご苦労さまでした」と労組幹部が出迎え。 同 撤収作業のため、一番方が入坑のエレベーターに次々と乗り込む。 午前6時50分 「最後の一日」が明ける。雲が低く、雨粒が落ち始める。しけの中をフェリーが上下に揺れながら入港。 同6時58分 大瀬戸行きフェリーに通学の高校生たちが乗船。西彼農高1年の女生徒(15)は「2日前に家族と話し合い、5年間は島に残ることを決めました。池島は私の古里です」。 同7時22分 約40年間、フェリーの切符を売ってきた横川紀光さん(61)ケイ子さん(61)夫妻が始発を見送り、だれもいない待合室で弁当を広げる。「ヤマの始まりから終わりまで付き合った。にぎやかなころは酒を満載したトラックが1日2回来ていたのに。きょうの雨は涙雨やろうか」 同8時すぎ 池島小に児童が登校。「お父さんが何回もため息をつくのがつらい。きょうはお疲れさまと言いたい」と6年生の女の子(12)。 同8時15分 繰込場で田代勉・松島炭鉱社長が「残念、無念」とあいさつ。従業員はうつむいたまま。 同10時17分 外海町の山道幸雄町長が「閉山は残念。地域経済の発展に寄与したことに感謝する」とのコメント発表。 同11時半 外海町池島炭鉱閉山対策本部が緊急会合で、本部長の山道町長が「町の仕事はこれからが本番。気を引き締めて落ち度のないように」と各課長に指示。 同11時37分 池島ストアで主婦(58)が夕食の買い物。炭鉱マンの夫が大好きなステーキ肉を買い込む。 午後零時ごろ 下請けの従業員寮の食堂で、仕事前後の約20人が慌ただしく昼食。「最後だから食べに来たよ。お疲れさま」と店の女性に声がかかる。 同1時23分 角力灘を見下ろす高台の墓地。島を離れた人が持ち出したのか墓石のない区画が目立つ。墓参りに来た主婦(48)は「年明けには島を離れるけど、家族の墓がある。さみしくないようにまた来ます」と手を合わせる。 同2時 外海総合福祉センターには求人票が張り出され、公共職業安定所が開設する現地相談所の準備が整う。 同3時40分 小学4年生の女児(10)が下校。「友だちがたくさん転校する。手紙ばちょうだいねと話しとる」と家路を急ぐ。 同4時 公衆浴場に仕事を終えた炭鉱マンが次々と訪れる。番台の女性(60)は「働いた5年間、毎日楽しかった。いたずら坊主たちをしかったのが思い出」。この日で解雇されるという。 同4時21分 コンベアの搬出作業を終えた一番方が昇坑。前田保次さん(49)は「19年2カ月、あっと言う間。仲間とはふろも遊びも一緒。家族や兄弟以上の仲間たちと離れるのがつらか。涙が出てきそうになるばってん、ここに来て良かった」とビールを飲み干す。
同5時21分 島で唯一のすし店。店を開いて40年の桑原稀夫さん(58)が仕込みに追われる。「今夜は宴会の予約で満杯。お疲れさまという気持ちをこめて握ります」
2001年11月30日掲載
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 炭鉱の長崎に幕 それぞれに人生重ね 国興しの増産、じん肺、友との別れ… |
写真/斜坑からぞくぞく運び出される石炭
=1964年2月21日、三菱高島砿 最盛期には四万人が働き、九州では福岡に次ぐ石炭王国だった長崎の炭鉱の歴史が二十九日、池島で終わった。富国強兵・殖産興業と戦後復興を支えた黒ダイヤは、高度成長とともに進んだエネルギー革命、そして海外炭との価格差という経済論理のもと姿を消した。県内のヤマにゆかりの人たちはこの日、「最後の閉山」にそれぞれの人生を重ね感慨に浸った。
三菱高島砿で三十九年働き、今も高島に住む山崎徳さん(76)は、現役時代から取り組んできた郷土誌の編集を閉山十五年目の今秋、ようやく完成させた。ワープロで印字した十一分冊で、計五百ページを超す。 炭鉱アパートでの濃密な近所付き合い、多くの仲間が死んだ坑内事故、映画館があり大層にぎわっていたこと…。ヤマの歴史は人々の生活そのもので「働いた男として、どうしても記録しておきたかった」。 佐賀県・相知鉱の閉山で父が職場を高島に移したため、物心ついたときから島で暮らす。敗戦後「国興しは石炭から」とハッパをかけられ増産に励んだ日が懐かしい。国の再建に努力したとの誇りがある。「池島のみんなもよく働いた。閉山は働く人には何の責任もない。これからも何とか頑張ってほしい」。後輩たちにエールを送った。
国を相手に最高裁まで闘い勝訴した伊王島じん肺訴訟の原告団事務局長河野左郷(さきょう)さん(67)は、風邪をこじらせて伊王島町の自宅に伏していた。 炭鉱員の父と六歳のとき福岡県・筑豊から移住。十八歳で坑内に入り、一九七二年の閉山で解雇されるまで約二十年を炭鉱とともに歩んだ。三十年たっても肺には炭じんがこびり付く。病は進行し続けている。「会社に使い捨てられた」との思いは消えない。 戦時中、炭鉱に強制連行された朝鮮人・中国人の調査をしている長崎大教授の高実(たかざね)康稔さん(62)は「長崎から炭鉱はなくなっても、石炭鉱山の歴史が消えるわけではない」と静かに語った。
崎戸町の小浦文二さん(71)は、この日もイカ釣り漁に出た。月二回の日曜日に朝市を開き、福祉施設の慰問などをする熟年ボランティアグループ「暖竹(だんじゅく)会」の代表。六八年の崎戸鉱閉山で寂れた町を元気にしようと先頭に立つ。 十七歳で三菱鉱業に入社、炭鉱の島に生活用水を運ぶ「水船」に乗っていた。坑内には入らなくとも、ヤマの一員という気持ちだった。閉山で多くの友が島を去り、町人口はピークの十分の一以下になった。 暖竹会の会員は、かつてのヤマの仲間ら十一人。「風にはなびくが、根がしっかりしていて倒れない」地元特産の竹にちなんで名付けた。 北風が吹く不況の時代に、四十、五十代の働き盛りで職を失う池島の炭鉱マンにも「根がしっかりしておれば大丈夫、と伝えたい」 |
| 地域支援、親会社で検討 田代社長 |
|
池島炭鉱を経営する松島炭鉱の田代勉社長は二十九日、報道陣に対し、地域への支援策について親会社の三井松島産業(福岡市)グループで検討する考えを明らかにした。主なやり取りは次の通り。
―閉山を迎えた気持ちは。
―国内炭産業が消えることへの思いは。
―閉山の判断はよかったのか。
―限界だったのか。
―千百人の雇用確保策は。
―外海町など地域への支援は。
―池島の社有地の売却は。
|