| 連載 石炭と九州経済 消えたヤマ・池島閉山 |
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1.自立 “受け皿”模索は今も 2.教育 技術者を自前で育成 3.転身 資産生かし活路開く 4.波及 全国展開の“足場”に 5.鉄道 地域戦略見直す好機 6.未来 環境保全へ技術継承 |
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12/1 朝刊掲載
宮崎市の大型リゾート施設・シーガイアのオーシャンドーム。開閉式屋根に使われているフッ素樹脂膜は、中興化成工業(東京)が製造した。同社は一九六三年、日本初のフッ素樹脂専門メーカーとして誕生。前身は福岡、長崎両県で炭鉱を経営する会社だった。 父親の故木曽重義氏とともに六三年当時、石炭の限界を感じていた木曽信重社長が渡米。「成熟産業ではなく、将来伸びる分野を探した」(木曽社長)結果、フッ素樹脂を見つけた。米国企業から技術を導入したが、素人で販路もない。五年間は赤字続きで、石炭で得た利益で乗り切った。 フッ素樹脂は狙い通り、フライパンや粘着テープといった日用品をはじめ、いまや半導体や自動車などさまざまな産業に欠かせない素材となり、福岡と東京を拠点に企業は生まれ変わった。 最盛期に四百以上の中小炭鉱があった九州では、石炭が生み出した資金を元手に事業を拡大した企業が少なくない。 ■繁栄が変身阻む 機械商社の南陽(福岡市)もその一つ。炭鉱経営から砕石、建設機械商社と事業を広げ、二〇〇一年三月期売上高は三百五十四億円。約四割は半導体製造装置が占めるようになった。同社の新入社員研修はいまも石炭の話で始まる。 だが、石炭による繁栄が、関連産業の技術革新を遅らせた側面も見逃せない。福岡県の筑豊炭田を背景に、明治時代から炭鉱機械修理などを手がける鉄工所が集積した同県直方市とその周辺地域。戦後最盛期の五六年には、同地区の鉄工業七十四社の売り上げの88%を炭鉱関連が占めた。 それが、直方鉄工業界に苦境をもたらすことになる。炭鉱閉山が相次ぎ、業界は鉄鋼、造船業界に仕事を求めた。だが、製品の表面はもちろん、内部の微細なキズも厳しい検査が要求された。 「炭鉱の仕事では経験しなかったこと」。直方鉄工協同組合の内藤博俊理事長は振り返る。検査機器も技術者もいなかった直方鉄工界は、精度の“壁”に苦戦した。 ■海外に販路求め しかし、直方地区はまだ恵まれているといえる。隣接する北九州市には東芝や安川電機、三井ハイテックなどがあり、周辺には、トヨタ自動車九州(福岡県宮田町)、日産自動車九州工場(同苅田町)も立地する。多くの部品を使う電機、自動車メーカーには、努力次第で協力企業として食い込むチャンスがある。 だが、それも海外への急速な生産移転によって揺らごうとしている。大手メーカーの工場の縮小や閉鎖が起きれば、直方鉄工業界は支えを失う。業界でも、若手経営者を中心に危機感が高まり、独自の技術や製品を磨く動きが出てきた。 鉄工所を母体に、半導体装置加工や医療システム、ゲーム端末の開発からソフト制御まで事業を広げたワイ・エム・シー(福岡県小竹町)もその一つ。吉田祐司社長は十二月にタイに現地法人を設立し、海外に販路を拡大する計画を進める。 昨年、創立百周年を迎えた直方鉄工協同組合。百年の蓄積を生かして“転身”が図れるかどうかは、九州の製造業の今後の盛衰も占う。 ▼写真説明/1954年に直方駅前に設置された「坑夫の像」が、石炭で栄えた直方鉄工界を象徴する |