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ご意見をお寄せください。あて先は 〒810―8721(住所不要)、西日本新聞社社会部「犯罪被害者」取材班。 ファクス=092(711)6246。 電子メールアドレス=syakai@nishinippon.co.jp |
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〈一九九七年八月二十八日未明、佐賀県江北町のゲーム機ソフト販売店に若い男数人が押し入った。物音に気付いた同じビルの住人が一人を捕まえ、防犯通報システムで自宅から駆けつけた販売店の男性店長=当時(38)=に引き渡した。だが、警察官が現場に到着したとき、店長は駐車場で刺殺されていた。佐賀県警は捜査本部を設置して男たちの行方を追っているが、未解決のままとなっている〉 記者は店長の家族に取材を申し入れるために手紙を出したが、返答はなかった。二月上旬、直接取材できないかと思い、佐賀市の新興住宅地に住む家族を訪ねた。 留守だった。二時間ほど待つと、店長の両親と小学生の息子二人が帰宅した。何度か呼び鈴を鳴らすと、店長の父親が応対してくれた。 「被害者の家族が何を考えどんなことを必要としているのか、社会は分かっているはずです。私たち被害者から申し上げることは何もありません。今は、これ以上好奇の目で見られたくないという思いだけです」 やがて、子どもたちが庭でキャッチボールを始めた。「申し訳ないが、これで」と店長の父親が家の中に入りかけたとき「あの子たちが社会を敵視し、社会に仕返しをするような子にならないように、しっかり育てていくつもりです」と話してくれたのは店長の母親だった。 わずか数分間の取材だった。聞きたいことは山ほどあったが、一方で「これで十分なんだ」とも思った。短い言葉の裏側に、両親の苦悩が込められていると感じたからだ。
◇◆◇ 犯罪被害者とその家族の「それから」を追って、取材班の記者は全国各地に飛んだ。多くは、事前に手紙で取材・報道の意図を伝え、了解を得た上で足を運んだが、佐賀県の事件のように、そうではない場合もある。家族の転居先が分からず、事件の発生現場を基点に関係者を訪ね歩いたこともあった。 無論、すべての被害者や家族が取材を受け入れてくれたわけではない。理由はさまざまあるが、取材班は十分に取材できなかった事例からも多くの教訓を得た。最も痛感したことは、声を上げたくても上げられない沈黙があるということだった。
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◇◆◇ 〈一九九七年四月十八日夜、東京都江東区の団地のエレベーターホールで、そこに住む女性=当時(44)=が刺殺された。一週間後、刑務所を出所したばかりの男(55)が逮捕された。男は八九年にこの女性に暴行し、それをタネに現金を脅し取ろうとしたことから婦女暴行容疑などで逮捕され、懲役七年の刑で服役していた。男は「女性が告訴したために刑務所暮らしをさせられた」「恨みを晴らそうと思った」と供述した〉 別の記者は東京で女性の家族の住所を訪ね歩いたが、分からなかった。その後、住所が判明し、手紙を郵送した。やはり返事はなかった。 しばらくして埼玉県に住む女性の弟(40)に電話を入れた。突然の電話に驚きながらも、丁重な言葉が返ってきた。 「まだ気持ちの整理ができず、仕事にもやっとの思いで出ている状態なので…。弁護士に手紙を託したので、それを読んでほしい」 数日後、記者の手元に届いた弁護士代筆の手紙にはこうあった。 「被害者の人権を擁護する立場から良い記事が掲載されることを願っていますが、悲しみはあまりにも大きく、それを乗り越えるにはまだまだ長い歳月が必要です。それまでは、ただそっとしておいてほしいという気持ちです」
◇◆◇ この逆恨み殺人事件の取材で東京を歩いた際、三年前に起きた東京・地下鉄サリン事件の被害対策弁護団長を務める宇都宮健児弁護士(51)を訪ねた。弁護士は、被害者の手記集「二年が過ぎても」をめくりながら言った。 「ここに手記を載せることができたのは、ある程度事件を冷静に振り返ることができるようになった人。その裏側に、思いだすことさえ苦痛な人たちがたくさんいることを理解しながら読んでほしい」 この連載の裏側にも、たくさんの被害者の声なき叫びがある。 |
| ▼逆恨み再被害防止策 東京都江東区の逆恨み殺人事件をきっかけに警察庁は昨年9月「被害者への防犯指導」や「身辺警戒」を柱とした再被害対策強化を全国の警察に通達。再被害の恐れが強いと判断した場合、加害者の出所情報についても把握できた範囲で連絡している。昨年の調査によると、過去10年間に再被害事件は38件発生し、41人が被害を受けた。 |