| 一日から行事本番を迎える博多祇園山笠。勇壮な「追い山」(十五日)で華を競うのは、舁き山を仕立てる七つの流。その一つの大黒流に加わる「赤手のごい記者」が、十五日間の祭りを舞台裏からリポートします。(担当は地域報道部の手島秀剛記者) |
7月1日・ 7月2日・ 7月3日・ 7月4日・ 7月7日・ 7月8日・ 7月10日・ 7月11日・ 7月14日・ 7月15日
当番町・山笠のまちの伝統支え
山笠のまちに、再開発のつち音が響いている。
福岡市博多区下川端町の一角に、急ピッチで建設が進む「博多リバレイン」のビル群。
そこにはかつて、博多商人のまちとして山笠やどんたくでにぎわった「下川端通り商店街」があった。
同商店街の旧町名は「下新川端町(下新)」。山笠では大黒流(ながれ)を構成する十二カ町の一つとして、商店主たちが祭りを担ってきた。
だが、再開発の波にのみ込まれた町には今、住民たちの姿はない。
その「下新」に今年、大黒流の当番町が回ってきた。同流では、十二年ごとに担当する当番町が、山笠行事の運営を取り仕切る。
住民のいない町が「当番」を務めるのは、山笠の歴史の中でも異例のことだ。
町の出身者や町外から「下新」のメンバーとして熱心に山笠に参加してきた人たちは、一年かけて祭りの準備に取り組んできた。
「これば締めて、当番町ば務めんしゃい」
その商店街で生まれ育った記者(37)は今夏、町の人たちから赤色の手ぬぐいをもらった。
託されたのは、山笠組織の第一線で活動する「赤手のごい」。
山を舁(か)く博多っ子のあこがれの手ぬぐいを受け取って、流を支える、実働メンバーとしての責任を背負った。
「これで、山笠(やま)が据えられる」
六月中旬、再開発ビルを見上げる博多区上川端町の明治通り沿いに、大黒流の山小屋(山笠の収納庫)が建った。
赤手のごいたちの小屋掛け(小屋建設)作業を見守っていた、総務の安倍正詔さん(54)の顔がほころんだ。
「総務」は山笠運営の最高責任者。再開発で工事中の町には山小屋が建てられないため、建設場所の確保に苦心した。
「町は再開発中でも、『下新』は流の一員。当番町を引き受けたからには、やり抜くしかなか」
その肩に山笠を支えた町の伝統がのしかかる。
山笠組織の第一線で赤手のごいや若手たちをまとめるリーダーは「取締」。大黒流では各町から一人ずつ選ばれる。当番町の取締、田中哲さん(37)は言う。
「山笠を担った町の『危機』を乗り越えようと、町の人たちの心が一つになっている。再開発でかつての商店街は消えたばってん、山笠を守ってきたコミュニティーは壊れとらん」
四番山笠・大黒流の当番町は一日夕、箱崎浜(同市東区)まで「お汐井(しおい)取り」に走り、山笠の夏へ駆け出していく。
本番初日・無事祈る「一番長い日」
博多祇園山笠の行事が本番を迎えた一日。山笠の流(ながれ)の行事を取り仕切る当番町にとっては「一番長い日」かもしれない。
伝統の祭りだけに、さまざまな決まり事を経ながら、行事を進めなくてはいけないからだ。
この日、詰め所に集合したのは午前四時半。最初の行事は、早朝の「注連(しめ)おろし」だ。舁(か)き山が通る町々のつじに、注連縄を張ったささ竹を立てて祭りの無事を祈る。
当番町の大黒流の山小屋(山笠の収納庫)には、町内に立てる竹を受け取りに、他町の赤手のごいや若手たち約百五十人がやってきた。
「いよいよ、山笠(やま)やね。当番町、頑張れよ」
「当番町、早朝からご苦労さん。今年の山笠もよろしく」
他町の友人たちからかけられる、ねぎらいの言葉は、第一線で山笠を支える「赤てのごい」を務める記者にとってうれしい。
山笠の季節、博多の街角には七流が立てたささ竹が揺れる。近代的なオフィスビル街。まだ人影のない都心の朝、祭りの「伝統」を流の仲間が持ち帰った。
この日、大黒流では「朔日(ついたち)寄り」を開く。行事本番を迎え、流の町総代、取締、赤手のごい全員が顔をそろえる会合。当番町の大切な役目は、山を舁くコースの説明だ。
山笠行事では七流がほぼ同じ時刻に、博多のまちで山を舁く。各流が繰り出す舁き山の道順は祭りの前に、流ごとに細かく決まっているのだ。
「十日、流舁き。農林中金前右折、石村萬盛堂角左折……。十二日、追い山ならし。櫛田入りの後、万行寺前を左折…」
地図を示しながら、十五日の「追い山」までの道順案が説明され、「手一本」で了承された。
「道順は全部、頭に入っとる。角一つでも間違うわけにいかんと。手一本が入ってホッとしたよ」
説明役を務めた、赤手のごいの西井正隆さん(37)が額の汗をぬぐった。
夕方からは、当番町だけで「お汐井(しおい)取り」に箱崎浜(同市東区)へ向かう。一年ぶりの水法被に、初めて締める赤手のごい。少し走っただけで、汗で法被がびっしょりになった。
七流の当番町が繰り出した箱崎浜。町から山笠に参加して二年目の若手、春口太さん(25)さんが沖にかしわ手を打っていた。
「祭りでけがなどせず、当番町の若手として、しっかり務めるられるごと祈りました」
遠い昔から山笠がはぐくんできた、祭りの「伝統」は、二十代の若者の胸のうちにもしっかりと息づいていた。
助っ人・いっぺんに「山のぼせ」
「山笠やら全然、興味がなかった。行事の最中に、まちを車で走っていて交通渋滞に巻き込まれたことはあったけど…」
大黒流(ながれ)の当番町・下新川端町の赤手のごい、会社員松永隆介さん(35)=福岡市早良区田村=は山笠に参加するまでは、祭りを冷めた目で見ていた。
初めて参加したのは九年前。町に縁のある人から「出てみらんか」と誘われ、あまり気乗りせずに締め込み姿になった。
「最初はえずか(恐か)ったけど、肩に舁(か)き棒が触れた瞬間に熱かもんが走った。それから、山笠にハマってしもうた」
「自分の肩の上に山笠(やま)が乗っとる。流の男たちと一緒に、おれもこの山笠を動かしよる…」
町の人に舁き方を教わって初めて体験した山笠で、松永さんはいっぺんに「山のぼせ」になった。
山笠の組織は「若手」から始まるタテ社会。町の人の紹介で参加する“町外”の人たちは「お客さん」としてもてなされるが、行事の運営などには関与できない。
「若手になって、山笠にもっとかかわりたい」
松永さんが町の若手に加わったのは二十七歳の時だった。祭りを支える福岡市博多部の住民が山笠組織に加わるのは十代のころ。松永さんは高校生と一緒に、直会(なおらい)後の皿洗いなど雑用をこなした。
二年前に赤手のごいをもらい、町の人たちから「松っちゃん」のニックネームで親しまれる松永さん。
「町では育っとらんけど、山笠を通じて町の一員になった気がする。山笠はもう生活の一部ですよ」
松永さんと同じ赤手のごいの自営業友添耕助さん(31)=同市博多区諸岡=は博多部と那珂川を隔てた中央区の春吉校区で育った。
「春吉と博多って、微妙な関係なんですよ。博多部の人から見れば春吉は『福岡』。けれども、雰囲気的には『博多』でしょう」
山笠に出るまでは、隣の町で見かける法被姿に「うらやましさ」と「疎外感」を抱いていた。
「橋一つ渡れば、あんなに祭りでにぎわっとるのに。こっちには流がないけんですね」
高校生のころ、山笠のある流に参加した。しかし、そこでは「お客さん」。山笠が楽しくなるほどに、物足りなさを感じた。
大黒流に若手として加わり、最初に担当したのは「交通」。山笠が通る直前に、警察官と一緒に走って交通整理をする役目だ。
「一度も山を舁けなかったけど、自分が先回りして道を開てもらわんと、舁き山が通れん。裏方役として祭りに加わって、本当の山笠の姿を知った」
人口減が続く福岡市博多部は都心の「過疎」に悩んでいるが、山笠の舁き手は増えて祭りは年々にぎやかになっている。
まちづくりグループ「はかた部ランド協議会」の調査では、舁き山七流の参加者約五千人のうち、約七割が博多部以外から参加しているという。
博多部以外で育った多くの「博多っ子」が助っ人として祭りの伝統を支えている。情熱は博多育ちの男たちに負けてはいない。
子ども山笠・心一つに街を駆ける
「ヤアーッ」。元気な声を上げて、博多小(福岡市博多区)の児童たちの山笠が旧奈良屋小から駆け出した。博多部の四小学校が統合して、初めての子ども山笠。記者も子どもたちと一緒に街を走る。
ザブーン。いきなり頭からバケツの水が降ってきた。今夏、初めて浴びた「勢い水」。ぬれた水法被の肌ざわりに「山笠の感覚」が戻ってきた。
「オイサ、オイサ」。梅雨を忘れたような青空に響くかわいい声。トットットット…、小気味いい地響きを立てる。
「あんたも、子ども山笠のでけた時にはこげんしとったとばい」。子ども山笠の代表世話人河原由明さん(65)から声をかけられた。
子ども山笠が誕生したのは一九七一年。記者が奈良屋小四年の時だった。大人の山笠の舁(か)き棒には、どんなにつま先立っても届かなかった。子ども山笠の舁き棒に肩が触れたときには「ぼくも山笠(やま)が舁ける」と胸が高鳴った。
うれしそうに肩を弾ませて山笠を舁く子どもたちに、二十五年ほど前の自分の姿が重なった。
「おいちゃん、次の『台上がり』はぼくやけんね」
「こいつ、けちい(ずるい)よ。(山笠を舁くのを)代わらんちゃけん」
やんちゃな子どもたちの注文を、PTAの父親たちと一緒に聞いてやる。
父親たちは舁き山各流(ながれ)の「取締」や「赤手のごい」の面々。それぞれの肩書を示す手ぬぐいを締めて、舁き山の指揮を取る男たちだ。だが、そんな父親たち数人がこの日、山笠の「一般参加者」の手ぬぐいで子ども山笠に加わった。
そんな一人の取締(36)は言う。
「統合した博多小には六つの流の子どもが通いよる。それぞれの流でしきたりやらも違う。大人の山笠組織の肩書を、子ども山笠には持ち込みとうない」
統合した博多小の児童が心をひとつにして舁く山笠を通して、旧四校区に住む大人たちの心もひとつになろうとしている。
山笠人形・町の心意気を託して
武者姿の平清盛を飾った大黒流(ながれ)の舁(か)き山が出来上がり、六日朝、福岡市博多区の櫛田神社の神職から「ご神入れ」を受けた。ご神入れを終えると、祭りもいよいよみこしを上げる。
その年の舁き山に飾る人形のアイデアを考えるのは、当番町の楽しみだ。町の人たちは昨年から、顔を合わすと「どげな人形にしょうか」と話し合ってきた。
「ずっと前から、当番町の時に飾りたかった人形のあるとばってん…」
平清盛は、取締の田中哲さん(37)の発案だった。
「おれたちの法被の背中には『袖若(そでわか)』と書いちゃろう。袖の湊(みなと)の若衆って意味たいね。その袖の湊ば築いたとが平清盛やけん、当番町にふさわしかと思う」
そんな田中さんにはもう一つ、どうしても平清盛を飾りたい理由があった。
日宋貿易が盛んだった十二世紀。その玄関口となった袖の湊は、当番町を含む福岡市博多区下川端町の一帯にあった。
その町でいま、急ピッチで進む市街地再開発。山笠を支えた「袖若」たちの姿は町から消えたが、「町の仲間が祭りへの情熱を失っとらんことを、袖の湊で博多を繁栄させた平清盛で示したか」と田中さん。
標題は「大哉青雲志」(おおいなるかなせいうんのこころざし)。再開発ビルが姿を現し始めたまちを、「袖若」たちの熱い心意気を乗せた舁き山が走る。
夜警・「人間関係が深まる」
「いいか、三番棒はこげんして交代するとぞ」
祭りの実動メンバー「若手」の山崎達さん(39)が目の前の舁(か)き山の棒に手をかけて、若い後輩たちに舁き方を教える。
福岡市博多区の川端商店街の人通りが途絶えた午前一時。大黒流(ながれ)の舁き山を囲んで法被姿の男たちの話が弾む。夜警を務める麹屋(博多区下川端町)のメンバーだ。
舁き山七流では、山小屋(山笠の収納庫)に山笠を納めた日から毎晩、徹夜で見張り番をする。お祭りムード中、いたずらや不審火を防ぐためだ。
入江展親さん(26)は初めて山笠に参加した。
「山笠に夜警があるやら初めて知った。見た目より大変な祭りやけど、めったに近づけん山笠のそばで夜が明かせて、うれしか」
まだ、「台上がり」ができない若手たちは遠慮がちに山笠に上がって「晴れ姿」を写真に収めている。
若手の斎藤良弘さん(26)は今年、町から正装の当番法被を渡された。
「あこがれの法被が着られた。早朝から熊本に出張やけど、町の一員になったけん夜警ばせんと…」。山小屋前のテントでは、第一線で祭りを引っ張る「赤手のごい」の男たちが、若手たちと語り合っている。
「祭りの一晩、長老から若手まで町の仲間たちがいろんなことを語り明かす。夜警を通して、人間関係が深まる」と、麹屋取締の河原田嗣徳さん(36)。
山笠の話に始まって、まちの話題、そして人生論まで飛び出す男たちの「夜なべ談議」は尽きない。
手打ち・「足がしびれて痛か」
「暑かー。きょうは勢い水がなかけん、たまらんばい…」
先輩の「赤手のごい」が、カンカン照りの夏空を見上げて汗をぬぐった。九日は流(ながれ)全員の「お汐井取り」。再び、福岡市東区の箱崎浜へ走らなくてはならない。
だが、当番町にはお汐井取りの前に務めがある。「もーどーぞー」と言われる案内がその一つだ。流内の他町の取締、町総代の家を山舁(か)き姿で訪問。玄関先で「町総代(取締)もーし、もーどーぞー」と声をかける。
「当番町の準備が整いました。山笠の支度をして『もう、どうぞ』お越しを」という意味。「もーろーろー」と、早口の博多弁になってしまうこともある。十一カ町を走り回り、戻ってきた赤手のごいたちの法被は、勢い水を浴びたようにびっしょりだ。記者はもう一つの務め「手打ち」のために、舁き山に台上がりして待機。二本の舁き棒の上に正座するような形で、他町の人たちの到着を待つ。やってきた町ごとに、舁き山の前で「手一本」を入れる。
「よー、シャン、シャン…」。十一カ町の「手打ち」を終えるのに二十分余り。厳粛な顔をしていたが、棒の上の足がしびれて痛い。当番町の赤手のごいたちの「箱崎浜」は、だれよりも遠いことを痛感した。
そして、お汐井取り。無事に「お汐井」をすくって櫛田神社に向かう途中、ちょうちんに灯をともす。当番町に戻って、お汐井取りを締めくくる「手一本」で、また台上がり。往復八キロを駆けた足はパンパンに張っている。
十日からいよいよ舁き山が動く。気を引き締めて「追い山」まで、まっしぐらに走るしかない。
棒ぜり・見えない火花が散る
「ヤアー」。午後五時きっかり、太鼓の合図で、雄たけびを上げて舁き山が動き出した。十日は「流舁き(ながれがき)」。山笠が始動した。「オイサ、オイサ」。グッとのしかかる舁き棒に、満身の力を込める男たち。一年ぶりの勢い水にうれしそうに肩も弾んでいる。
流舁きは、福岡市博多区の流の区域を四十分ほどかけて舁き回る。舁き手たちは次々に交代しながら、山笠を走らせる。舁き山の棒は六本だが、表と見送りそれぞれ一本の棒を舁くのは二人。交代するチームワークの巧拙が「追い山」での速さを決めるだけに、舁き手は流舁きから息を合わせ、肩ならしに入っていく。
「追い山までに、それぞれの棒を舁く顔ぶれが決まってくる。舁き手たちには『おれの棒』がある」
川中(博多区川端中央街)の赤手のごい、門田明寛さん(36)がこう言った。門田さんのポジションは表の二番棒。「(表二番棒の)決まった顔ぶれは七、八人かな。同じ棒を舁く仲間でもあり、『櫛田入り』ではライバル同士たい」
大黒流は、晴れ舞台の「櫛田入り」する時の舁き手を「棒ぜり」で決める。櫛田神社に着くまでに一つの棒を競り合い、晴れ舞台の「櫛田入り」の舁き手を決めるのだ。棒ぜりから外れても、コースでは「おれの棒」を同じ顔ぶれで交代しながら舁く。だれからも指示されずに、自然にそうなる。
門田さんは大学時代ラグビーの選手だった。「ラグビーと同じで、山笠に大切なのはチームワーク。外側の一番棒は舁きよって見栄えがするばってん、肩が合わんけん、おれは舁かん。二番棒でいいタイムば出したい」
「棒ぜり」で男たちが見えない火花を散らす。
晴れ舞台・雲の上に乗ったよう
子どものころからあこがれ続けた、山笠の「晴れ舞台」がやってきた。
十二日の「追い山ならし」。赤手のごいの記者に「櫛田入り」での台上がりの案内が届いた。
「おめでとう。山笠(やま)から落ちんごと…」
前夜、取締の田中哲さん(37)から台上がりのしるしのタスキと真っ赤な鉄砲(指揮棒)を手渡され、思わず目頭が熱くなった。
見送り(裏正面)で一緒に台上がりするのは、同じ赤手のごいの友添耕助さん(31)と船木肇さん(40)。
櫛田入り初体験の三人は十二日の早朝、こっそり舁(か)き山に上がり「オイサ、オイサ」と両手を前に大きく突き出して、台上がりのリハーサルをした。
そして、迎えた「追い山ならし」。いよいよ櫛田神社(福岡市博多区)を目指す。
台に上がると、後押しの男たちの緊張した顔が見渡せる。後に続く舁き山の人形の視線が迫ってくる。
「これが、櫛田入りの眺めか…」。これまでの山笠で見たことのなかった視界に、思わず息をのんだ。
「大黒流、櫛田入り五分前」。アナウンスを聞いて、体に緊張が走った。
お神酒を注いだひしゃくが渡され、台上がりの三人で回し飲み。赤手のごいたちが、お神酒を舁き棒にかけて体勢が整った。
十秒前、五秒前……。「やあー」と雄たけびが上がった瞬間に、体がフワッと宙に浮いた。目の前を、桟敷席の観客の顔が次々に通り過ぎる。
「オイサ、オイサ」。体が前のめりになり、風を切る感覚が伝わってくる。
舁き山が境内を飛び出す三十八秒間に、声はすでにかれていた。台から飛び降りたときには一瞬、体からすべての力が抜けた。
「山笠(やま)やなくて、雲の上に乗った…」
ほてった体に勢い水を浴びながら、本当にそんな気がした。
前夜・櫛田神社へ山走る
当番町の「赤手のごい」として走り回った今年の山笠も、大詰めを迎えた。
十四日の夕方は「流舁き(ながれがき)」。舁き山が流の区域内を舁き回るのも、これが最後だ。
山笠の実動メンバーとして、第一線で赤手のごいたちを支えた町の「若手」たちが台上がりを務める。
一週間の休暇を取って名古屋市から駆けつけた会社員小野晃一さん(36)もそんな若手の一人だ。一九九〇年、転勤で福岡に赴任したとき、山笠に誘われた。
「祭りにみんながひとつになって打ち込む姿に心打たれた」
東京生まれの小野さんが山笠の魅力にとりつかれた。その年から毎年、この季節になると、転勤先から必ず博多にやってくる。
この日、流舁きで台上がりをした。
「十二年に一度の当番町だったので、得難い経験ができた。最高の気分。今年も若手として務めたかいがあった」と、笑顔を見せた。
「よー、シャン、シャン」
流舁きを締めくくる手一本が響くと、残された行事は「追い山」だけだ。
十日から走り続けた舁き山を山小屋(山笠の収納庫)に運び、山大工さんと赤手のごいらで補修する。
舁き山の「化粧直し」を終え、「櫛田入り」で台上がりを務める六人のメンバーも決まった。
赤手のごいの上田徳毅さん(34)と神代貴宏さん(30)は、これが初めての「櫛田入り」。追い山に向かう法被姿には、うれしさと緊張感が漂う。
十五日午前一時半、四番山笠・大黒流の舁き山が櫛田神社を目指して、未明のまちを走り出した。
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