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変化 「原点」取り戻す運動体に


 ▼海外との“距離”
 「私たちは核兵器を廃絶できる」「イエース!」「戦争は」「ノオー!」「平和は」「イエース!」…。
3月13日、長崎市で開かれた「核兵器廃絶を求める広島・長崎市民の集会」。外務省担当者や軍縮専門家らの議論に、高校生や大学生も熱心に耳を傾けた  今年五月、世界の非政府組織(NGO)が中心となってオランダ・ハーグで開いた国際市民平和会議「ハーグ平和アピール’99」。百カ国以上から約八千人が集まった。
 熱気に包まれた会場の中で、長崎大の舟越耿一教授(53)は一人、いいようもない焦燥感を覚えていた。
 舟越教授も出席した核兵器問題を扱う分科会。海外の発言者から「ヒロシマ」「ナガサキ」の言葉が一言も出なかったのだ。広島、長崎抜きで、今後の反核運動が語られていた。
 「日本人は『広島、長崎が平和の原点』と信じてきたかもしれないが、世界の反核平和運動の中心にはなり得ていなかったのではないか」
 舟越教授は「核廃絶に向けた具体的な行動を示していかないと世界に通用しない。長崎の運動に欠けていた部分だ」とも指摘する。

 ▼市民と政府の間
 反核運動の変化の兆しは、少しずつ見え始めてはいる。
 日本政府の提唱で世界へ向けた核軍縮提言をまとめた「核不拡散・核軍縮に関する東京フォーラム」。
 同フォーラムに「被爆地の声をぶつけよう」と、今年三月、長崎市で約二百人を集めて開かれた「核兵器廃絶を求める広島・長崎市民の集会」で、外務省軍備管理軍縮課の森野泰成・首席事務官が「核兵器廃絶に対する、みなさんと政府の認識の間には違いがある。もう少し深い議論ができれば、協力もできるのでは」と語りかけた。
 米国の核の傘の下での「平和」という現実路線を歩む政府と、全世界的な核廃絶のもとでの「平和」という理想を希求する市民団体。これまで「認識の違い」から対話もほとんどなかった両者の距離が少し縮まった瞬間だった。

 ▼NGOの連携へ
 東京フォーラムは七月二十六日、小渕恵三首相に「米国、ロシアの戦略核弾頭削減」などを盛り込んだ提言を提出。「市民の集会」の実行委も役目を終えたが、長崎、広島などから集まった被爆者ら十人を超える実行委のメンバーは、次の行動を模索中だ。
 舟越教授が「これまでの反核運動は抽象的、概念的。『核廃絶』をただ訴えるだけでなく、国の政策にかかわっていくことが必要」と言うように、メンバーたちは、核拡散防止条約(NPT)の内容を見直す再検討会議が来年、米国・ニューヨークで予定される中、同会議への提言をまとめるなどの行動計画を練る。
 同集会共同代表の一人、土山秀夫・元長崎大学長(74)は「『市民の集会』を足がかりに、国内のNGOネットワークづくりを進め、日本の新たな反核平和の拠点にしたい」と展望を語る。
 同じ代表の一人で、語り部を続ける被爆者の下平作江さん(64)は「被爆体験の風化が言われるが、市民の集会では高校生や大学生が積極的に発言した。核廃絶のテーマがようやく市民のものになった」と感じている。
 二人とも市民の集会に新たな希望を見いだした。

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 「核廃絶の願いは、世界に届かないのか」。被爆地・長崎に大きな衝撃と無力感をもたらしたインド、パキスタンの核実験から一年以上がたつ。両国の核・ミサイル開発競争は続き、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核開発疑惑もぬぐえないままだ。そんな厳しい情勢の中、平和運動の見直しを迫られている長崎で、従来の「運動」の枠を超えようとする機運が芽生えている。市民レベルで核廃絶への国際世論を高め、各国政府を動かそうとの意識だ。「核兵器のない二十一世紀」を訴えて五十四回目の「8・9」を迎える長崎の、新たな模索を追う。





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