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4.地域の活性化・
関連記事

1.魅力ある地域づくりは、どうやればできるんだろう
1 大分県/日蘭交流今昔物語−−「リーフデ号」漂着400年 諭吉の里・中津 文化脈々と 殿様も蘭学びいき 市民グループ「キャラバンなかつ」 伝統生かし活性化
2 ニュース&NEWS99=引き出した「地方の力」 「一村一品」模索の20年 特産品開発で活気 「自立への指針」今後も
3 福岡県/元気もん・地域づくり=佐賀県大町町のフォーラム大町世話人 牛島浩さん
4 福岡県/ネットワーク地域づくり=嘉穂町まちづくり委員会会長〓清さん 町民が町の良さ 再認識するよう
5 グリーンツーリズム=観光じゃなく村の時間を楽しむ。人間らしさを大切…/新年特集
6 九州21世紀委員会・「地域主権を考える」シンポジウム<2>/特集
7 追跡・解説=行動する住民・小国町<1>−連載/九州・山口

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20000101付 朝刊
1.大分県/日蘭交流今昔物語−−「リーフデ号」漂着400年 諭吉の里・中津 文化脈々と 殿様も蘭学びいき 市民グループ「キャラバンなかつ」 伝統生かし活性化

 日蘭交流四百周年を迎えた今年、中津市では、地元に息づく蘭学文化を生かした地域おこしグループが意気込みを新たにしている。開業医や商店主、主婦らさまざまな顔触れが集う「キャラバンなかつ」。会長の上原公一さん(52)を先頭にメンバーたちが口をそろえた。「中津を変えるよ」
 ●「先進地」
 江戸時代、中津のお殿さまは蘭学にご執心だった。三代藩主奥平昌鹿(まさか)は日本初の解剖医学書「解体新書」の編集にかかわった蘭医・前野良沢(りょうたく)をバックアップ。中津の蘭学興隆のきっかけをつくると五代昌高は「蘭語訳撰(やくせん)」「中津バスタード辞典」の和蘭、蘭和辞典の出版事業を手がけ、中津を全国屈指の蘭学先進地に引き上げた。
 その豊かな歴史・文化を広く市民に“伝授”するのが「蘭学の里勉強会」。グループの主要イベントだ。各分野の研究者らを招きこれまでに四回開いた。市民を対象に始めた勉強会には県外からも参加者が訪れ、二百人を超える会へと急成長している。
 ●地域の宝
 「(福沢)諭吉さんのような偉い人を生んだのもこの土壌があったから」。女性メンバーの一人は、勉強会を通して地域に根付く蘭学の底流を知り、地域を学ぶ大切さを痛感したという。
 「勉強会で地域のことを何も知らない自分に気付いた。地元の良さを一番知っとるのは住民じゃないと」。上原さんたちは、こんな思いを抱きながら活動の幅を広げている。
 昨年は、山口県萩市から百五十万円の人力車を共同購入。週末にメンバーが観光客を乗せて車を引く城下町巡りツアーを始めた。現在は、神社で朽ちていた御所車の復元に取り組んでいる。わずかな地域の宝も拾い集めて地域おこしに生かす企画がめじろ押しだ。
 ●逆風から
 順風満帆に見える会だが、一九九五年のスタート当時は逆風の連続だった。
 最初に手掛けた観光マップ。有名・無名を問わず、知る限りの中津の名所・旧跡など見どころを満載した。ところが、マップの備え付けを申し込んだ中津市役所には「公のものではないから」と突っぱねられ、市民から「単なる売名行為では」と冷ややかな視線を浴びた。
 しかし、活動に好意的だったJR中津駅でマップを手にする観光客が増え、改訂を重ねてよりきめ細かな観光ポイントを掲載するうち、商店主から「うちの店も載せてよ」と声が掛かるようになった。市役所も三年前からマップを置くようになり、版は既に六回を数える。
 たった三人で船出した会も、今やメンバーは八十人。行政に頼らず、地元の魅力を住民が引き出す―蘭学の里に生まれた地域づくりグループは、日蘭交流四百周年の年に、どんな航路を描くのか。

県庁マンの一言・・・ 地域おこしには、リーダー的組織が必要だと思うし、住民が中心となって進められるべきと思うが、行政も何らかの形で関わったほうがいいのではないか。

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19991126付 朝刊
2.ニュース&NEWS99=引き出した「地方の力」 「一村一品」模索の20年 特産品開発で活気 「自立への指針」今後も

 大分県の一村一品運動が、一九七九年に平松守彦大分県知事によって提唱されて、二十六日で丸二十年になる。自治体による地域づくりの先駆けとなったこの運動は、人口流出や第一次産業の低迷に直面した地方の振興策として、全国に一大ブームを巻き起こした。「一村一品」が地方にもたらした影響と意義を振り返り、今後を展望した。
     ◇
 ●三つの「理念」
 「地域の住民が自己責任に基づき、活性化を図るという“内発的発展”を促すのが狙いだった」
 平松知事は運動の理念を、こう振り返る。
 一村一品運動が提唱された一九七〇年代後半は、長洲一二神奈川県知事(当時)が「地方の時代」を提唱し「地方分権」という言葉が注目され始めたころ。一方で、現実には、右肩上がりの経済成長によってヒト・モノ・カネの大都市圏への集中が加速していた。
 平松知事は三つの具体的理念を掲げた。
 地域の文化や産品を国際水準まで高める「ローカルにしてグローバル」、地域が自ら実践する「自主自立・創意工夫」、創造力に富む人材を育成する「人づくり」。これに基づき、大分県は市町村に補助金などを出さず、技術支援や宣伝などでバックアップした。
     ◇
 ●都市への反発
 「一村一品運動は、おごりをみせる都市に対し、農山村の存在意義を示すメッセージだった」
 大森彌・東大大学院総合文化研究科教授(行政学)がそう位置づけるように、運動は「決して特産品づくりではなかった」と平松知事は強調する。
 だが、特産品開発による地域経済の活性化に、期待がかかった面も否めない。八〇年代前半、全国で二十を超える都道府県が「一村一品づくり」を取り入れた。
 北海道は、八三年から各市町村の特色や特産品を生かした地域振興策を支援する「一村一品運動」を始め「住民の連携強化につながった」(地域づくり課)という。逆に、広島県は同年から特産品開発に補助金を出す「ふるさと一品運動」を始めたが「収入に見合う産品が生まれなかった」(農業経済課)として昨年、中断した。
     ◇
 ●海外にも波及
 一方、運動はアジアなどの発展途上国の注目も集めた。九八年度には、十九カ国の代表が大分県を視察。今月二十二日にはオマーンやモロッコなど中東五カ国の駐日大使が初めて訪れた。
 アジアの研修生を大分県に招いて「一村一品セミナー」を開催している国際協力事業団(JICA)九州国際センターの中垣長睦所長は、「都市と農村の貧富の格差解消が、各国の最大の課題。自助努力を基本とした運動は農村振興の参考になる」と語る。「地域の潜在的可能性を、住民自らの手で引き出す」(大森教授)運動は、政府などの補助金に頼った地域振興策とは根本的に異なるからだ。
 「地方の時代」の創生期に生まれた運動の理念は、分権型社会づくりの取り組みが本格化する中、「自立する地方」の指針として今後も役割を果たしていくに違いない。 (大分総局・山本敦文)
    ×      ×
 ●一村一品運動 10年の歩み
1979年 平松守彦知事が市町村長懇談会で一村一品運動を提唱
  81年 東京都で大分県の特産品を集めた「大分フェア」を初開催
  83年 地域リーダー養成の豊の国づくり塾を開設
  88年 民間が出資し一村一品の販路開拓を目的に大分一村一品株式会社設立
      「一村一品」が流行語特別大賞に選ばれる
  92年 韓国・ソウル市で日韓国際シンポジウム。
      韓国の地域づくり運動「セマウル運動」との交流事業開始
  94年 運動15周年を記念した交流研究大会が大分県直入町で開かれ、地球と人間の共生、都市とムラの共生などをうたった「新一村一品宣言」を発表
  98年 大分県で国民文化祭が開かれたのを機に、平松知事が地域固有の文化を育てる「一村一文化」を提唱
    ×      ×
 ●大分県・緒方町ルポ 高齢化、後継者も減 「時代に合う運動」に悩み
 一村一品運動の発祥の地、大分県では地域づくり活動が盛んだ。県内の地域おこしグループは約二百団体。特産品による地域経済の活性化や、交流拡大を目指すイベント企画などに取り組む。一方で、地域には過疎・高齢化という時代の波が忍び寄る。「どうすれば誇りある古里を残せるか」をめぐり、リーダーたちの模索は続く。
 大分県南西部の緒方町。町の名所、原尻の滝近くの河原で二十、二十一の両日、恒例の「さといも交流大会」が開かれた。町の特産品、サトイモを使ったなべ料理を振る舞い、都市住民との交流を図ろうと、町の若手グループが企画して十一年目。今年は、大分市や熊本市から約三百人が訪れた。
 「都市から来た人たちが町の素朴な魅力を喜んでくれる。その喜ぶ顔が、ここに住む私たちの誇りになる」。「豊の国づくり塾」の卒塾生で若手グループのリーダーの一人、伊藤健一さん(34)は「都市との交流」の意味をそう考える。
 町でサトイモ栽培が始まったのは、一村一品運動が提唱された翌年の一九八〇年。市場関係者を招いた講習会、先進地視察などの取り組みを続け、生産は拡大。売上高は、交流大会が始まった八八年度に二億円、翌年度には三億円を突破した。
 だが、その後は伸び悩みが続く。安価な輸入品の参入で価格が低迷。生産者の高齢化が進んだ上、長引く消費不況が追い打ちをかけた。地元農協は大型機器の導入などで生産者の負担軽減に努めているが、九八年度の売上高は九千六百万円。生産者数はピーク時(八七年)の約半分の二百四十一人に減った。
 大分県が「一村一品」と認定した産物は、八〇年度の百四十三品目から、現在は三百十二品目に拡大。一方で県内の高齢化率は二十年前に比べ九・四ポイント増の二〇・七パーセントになり、四十七都道府県の十位に位置する。とくに、一村一品生産の中核を担う一次産業従事者の高齢化率は六〇パーセントを超えている。「二十年前に比べ、地域が運動に注ぐエネルギーが失われている」という危機感は強い。
 「さといも交流大会」は五年前から広範囲なPR活動をやめ、参加者を絞り込む方法に変えた。参加者数は減ったが、代わりに常連の“緒方町ファン”は増えたという。
 「時代の変化に合わせて、運動をどう発展させていくか。二十年前に求めた一過性のにぎわいと違う、一人ひとりの心の豊かさを重視した地域づくりを模索したい」。伊藤さんの言葉は、大分県内の多くの運動の担い手たちの思いと重なる。

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19980731付 朝刊
3.福岡県/元気もん・地域づくり=佐賀県大町町のフォーラム大町世話人 牛島浩さん

 ■九州 ひと模様■
 ●佐賀県大町町のフォーラム大町代表世話人 牛島浩(うしじまひろし)さん(35)
 ▼町民全体の祭りにしたい イベント単独主義やめたのは 
 「エッサ、ホイサ」。毎年十一月、佐賀県大町町を東西に走る旧長崎街道に掛け声が響く。江戸時代さながら、かごを担ぎ、往復約三キロの速さを競う「かごかき競争」だ。
 仮面ライダー、大リーグのNOMOなど、時代のヒーローにふんした同県内外の力自慢約六十組(一組約五人)が参加。約二万人の観衆が詰め掛ける。
 イベントは一九八七年にスタートした。旧街道の一部である商店街の道路がカラー舗装されたのを機に、大町町商工会青年部が「旧長崎街道を生かして、町の活性化につなげよう」と発案したのだ。
 翌々年から、杵島農協青年部、町役場の若手職員、青年団OBなども参加。イベントの実行委員会が組織される。この組織が八九年に発足した「フォーラム大町」の母体となった。
 「杵島農協青年部員だった私が加わったのも、三回大会から。友人に誘われたのがきっかけでしたが、年を重ねるほどに、魅力ある町にしたいという強い気持ちがわいてきましてね」
 「町おこしに加わっているんだ、という心地よい疲労感と充実感を感じました」
    ◇    ◇
 フォーラム大町の主催となり「佐賀の秋を彩る」という形容詞がつくほどに定着したイベントに昨年、転機が来た。フォーラム大町が“単独主催”から降りたのだ。この最中に五代目の代表世話人に就任した。
 「七年目ごろから『かごかき競争で張り切っているのはフォーラムの人たちだけ』と揶揄(やゆ)する声が聞こえてきた。これではいけないと反省した」と、四代目の代表世話人だった南川康弘さん(37)は振り返る。「町内一丸となって行うかごかき競争でなければ、継続する意味がない。だから、私の代限りで単独主催をやめることを決断した。彼にとっては一番苦しい時期の就任だっただろう」。
 開催資金となる地元企業からの協賛金が、バブル経済崩壊後の長引く不況の影響で、集まりにくくなったという状況も単独主催を難しくしていた。
 一方、町側は九二年、JR大町駅東側に造ったふれあい広場の時計塔に「かごかきの町」と記し、町のPRを図っていた。「かごかき競争を残さねばならない」。存続のピンチに町関係者も動いた。若手の町職員を抱えるフォーラム大町と町側は知恵を絞り合った。
 町の呼びかけで、フォーラム大町と婦人会、区長会など八団体が大町町P・T・C(人・物・文化)実行委員会を組織。十一回目のかごかき競争が実現した。これまで別々に開かれていた物産展なども同時開催となり、名称も「かごかきフェスタ」と改め、幅広い町民の参加を図るイベントに衣替えされた。
    ◇    ◇
 「フォーラム大町が支えたかごかき競争が、行政を動かし、新たに町ぐるみの団体を生み出した。活性化を目指す町ぐるみの挑戦が、軌道に乗り始めたと考えています」
 かつて大町町は産炭地として栄え、最盛期(一九五八年)には人口二万四千人を超えた。だが、六九年の炭鉱閉山を受け人口は八千七百七十九人(九八年六月三十日現在)に激減。六十五歳以上が二六・一パーセントを占め、過疎と高齢化にあえぐ。
 フォーラム会員は現在、三十人。三十―四十代が中心だが、若い入会者が少なく、世代交代が進まない悩みを抱える。
 「地域づくりは、十年や二十年では終わらない。町の活性化を進めるには、住む人たちの活力の総和が、増大し続ける必要がある。今後もかごかき競争を盛り上げ、まちおこしの情熱を若い世代に伝え、元気な町にしていきたい」。フォーラム大町は、地域づくりへの活動域を広げ、昨年は自治大臣表彰を受けた。が、真価が問われるのは、むしろこれからだ。
    ×      ×
 1963年、佐賀県大町町福母生まれ。東京の大学を中退後、愛知県の養鶏試験場で1年間学び、家業の養鶏業を継いだ。杵島農協青年部に属す傍ら「自分の仕事だけでなく、町おこしにも参加したい」と、フォーラム大町設立時からメンバーに。祖母、両親、妻、娘2人、息子1人、ネコ1匹と暮らす。

県庁マンの一言・・・私は大牟田市の出身なので、旧産炭地の町おこしの大変さが良くわかるだけに、是非がんばってもらいたいと思う。

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19980327付 朝刊
4.福岡県/ネットワーク地域づくり=嘉穂町まちづくり委員会会長〓清さん 町民が町の良さ 再認識するよう

 ●町並みと自然を生かし 嘉穂町まちづくり委員会会長〓清さん(46)=嘉穂町牛隈
 ―「嘉穂町まちづくり委員会」はどんなきっかけで生まれたのですか。
 最初は、一九九五年一月、町の公募で発足したんです。過疎化が進む町の活性化策について翌年、まちづくり報告書をまとめて町に提言しました。
 提言したまちづくりの柱は、「古い町並み」と「豊かな自然」を生かすこと。宅地造成などで人口を増やすのではなく、いま住んでいる人が生き生きすること、そして町外から人が訪れる魅力を作ることが、真の活性化だと考えたのです。
 報告書の提出で町から委嘱された委員会の役目は終わりましたが、メンバーから「せっかくの提言も生かさないと意味がない。行政任せでなく、われわれ住民自身が実践しようじゃないか」と声が上がり、その後は自主的な住民団体として活動を続けてきました。
 町から補助金などは受けていませんが、町職員がボランティアでイベントに協力してくれるなど、委員会の“一員”という感覚でバックアップしてくれています。ちょうどいい関係ではないでしょうか。
 ―具体的にどんな活動をしているのですか。
 最初に取り組んだのは、明治時代に栄えた古い商家を公開するイベントでした。城下町や秋月街道の宿場町があった嘉穂町には、江戸や明治の貴重な建物や町並みが残っています。ところが、地元でもその価値を知らない人が多い。これはもったいない、PRしよう、と考えたのです。一九九六年秋に開催し、町内外から多くの人が訪れました。
 次に、昨年三月に初めてやった植樹イベント「源流の森づくり」。筑豊の“母なる川”遠賀川の再生のために、町内にある源流付近などに植樹して山の保水力を高め、川の水量安定化と浄化につなぐのが目的です。今年から、委員会から独立した「源流の森づくり推進協議会」が運営するようになりました。
 昨年も今年も、地元だけでなく、河口付近の漁業関係者や下流域の住民の方など県内各地から四百人を超える参加があり、広がりをみせています。
 ―町外から芸術家などが相次いで嘉穂町に移住していますね。
 陶芸家や木工作家、家具職人などの方々が次々と移住されています。昨年秋に二丈町から移住された出張そば料理人、進清治さんは、「古いたたずまいを残す落ち着ける雰囲気と、人にひかれた」とおっしゃっていました。嘉穂町のよさを認めて移住してくださるのは本当にうれしいことです。
 進さんは、委員会が昨年夏と秋に開いたイベント「家族そば道場」でそば打ちの講師を務めるなど、活性化にも一役かっていただいています。私たちも移住のための空き家を探すお手伝いをしたり、移住者を招いて交流会を開くなど応援しています。
 また、移住者だけでなく植樹イベントなどで町外から来られる方々から、地元の人間が気付かない町の魅力を教えていただくことも多いのです。それをきっかけに町民が町のよさを再認識し、生かしていけば、活性化の活路が大きく開けると思います。
 ―今後、どのように活動を広げていきますか。
 住民団体として活動を始めて三年目に入るのを機に、これまでのようにイベント中心ではなく、まちづくりの“シンクタンク”的な団体にできないか、と話し合っている最中です。もっと多くの町民が主体的にまちづくりにかかわれるように、委員会は呼びかけ役、提案役になったほうがいいのではないか、と考えています。
 まちづくりの先進地の視察に行くと、どこも十年以上前に活動を始めていたと聞きます。活動を持続させていくのは難しいことですが、十年、二十年後の嘉穂町の姿を思い描きながら、少しずつ歩みを進めていきたいと思っています。
 ▼ゆずりは・きよし 一九五二年、嘉穂町生まれ。山田高校卒業後、七〇年から郵便局に勤務。現在も嘉穂郵便局に勤める。青年団活動をきっかけに地域づくりにかかわり始め、小石原村の民陶祭にあわせて地元の物産を販売する「桑野よろう会」、コイの稚魚放流や川の清掃活動を続ける「嘉麻川愛護会」などの事務局長も務めている。妻と息子二人の四人家族。

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19980101付 その他
5.グリーンツーリズム=観光じゃなく村の時間を楽しむ。人間らしさを大切…/新年特集

 ◇自然の中でのんびりと普段着の旅のもてなし◇観光じゃなく村の時間を楽しむ。人間らしさを大切BRにして
 ▼グリーンツーリズムってなーに。
 直訳すれば「緑の観光(旅行)」だが、キーワードは「自然に帰ろう」「通過型から滞在型へ」つまり「脱観光」だ。
 都会人が失いかけた自然との共生、人々との触れ合いを通して、従来の「見て回る」型の観光では味わえない心の豊かさを求める。「新しい旅文化」といってもいい。
 バブル崩壊、環境破壊をもたらした物質的繁栄への欲望にサヨナラし、余暇を利用して人間らしさを取り戻そう、そんな現代人の悩みが背景にある。
 欧米では物質文明の高揚から覚めた一九六〇年代にツーリズム文化が開花した。日本でも農水省が九二年度から「農山漁村でゆとりある休暇を」事業の一環として推進中。
 「地域活性化の柱に」と、過疎・高齢化で農林業が衰退しつつある九州の中山間地でもグリーンツーリズム事業への取り組みが活発になってきた。
    ◇     ◇
 自然との共生を町憲章にした宮崎県・綾町には、九六年に前年比約六割増の百十四万人が訪れた。県内ではシーガイアに次ぐ集客力で、九七年はさらに増えたという。
 「とんでもない田舎です」のコピーで売り出した佐賀県七山村は、十月の産業祭りで、村の人口の二倍近い五千人を集めた。
 美しい自然が魅力とは言え、直接の吸引力になっているのは、綾町では地ビールなどを飲ませる産業観光テーマパーク、七山村の場合は特産の農作物だ。
 施設やモノを目当てにワッと来てワッと帰る観光客。「このままでいいのだろうか」。綾町も七山村も、グリーンツーリズムを軸にした地域づくりを模索中。
 日本コミュニティ研究所(東京)の金丸三郎社長は「観光は都市からの一方通行だが、ツーリズムが目指すのは地域からの発信を含めた双方向の交流。何が発信できるかが地域自立のカギとなる。九州での実験に注目している」
    ◇     ◇
 森や田園の風景と生活が生み出すすべてのものに、土地の文化、手作りのもてなしなどで味付けしたものが、グリーンツーリズムの資源となる。
 資源を発掘、加工し、都市住民と向き合う中で古里に自信を持ち、若者が定着する契機にしたいと考えている町や村が多い。
 ただ「地域ぐるみの産業化」となると、欧州に比べて余暇制度そのものや、農家民宿開業に際しての政策的支援などが違い過ぎるため、まだ手探り状態だ。
 “仕掛け人”を育成しようと、九七年九月、熊本県小国町の宿泊研修施設「木魂館」に、短期滞在で実践法を学ぶ全国初の「九州ツーリズム大学」(学長・宮崎暢俊小国町長)が開講し、九州各地の行政マンら五十六人が研修中。
 地域おこしの先進地である九州の知恵を生かせば「二十一世紀の基幹産業になる」と予測する学者もいる。

県庁マンの一言・・・ とかくストレスの溜まりがちな現代社会だけに、川のせせらぎ、鳥のさえずりなどを楽しみながら、のんびり過ごす時間を持つことは、肉体的にも精神的にも大変良いことだと思うし、私自身そのような機会を多く持ちたい。

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19971201付 朝刊
6.九州21世紀委員会・「地域主権を考える」シンポジウム<2>/特集

 ▼九州での取り組み例
 ―今度は、地元で皆さんが実際に取り組んでいる地域づくりについて紹介していただきたい。
 宮崎 地域を活性化させるには、地域の中に動きをどうつくるかが課題。そのためには、地域の個性や資源をそだてなければならない。
 小国町を訪れた観光客は「元気を取り戻して帰る」という人が多い。自然が豊かだとか、温泉が多いといったこともあるが、来るたびに催し物があり、人との交わりの場があるからだと思う。そうして生まれた出会いが、町民の心にも風穴を開けた。
 住民が地域づくりに参加する完ぺきなシステムのようなものはない。さまざまな形で町民が政策などで提案したり、実践の場に組み込まれるよう心がけている。例えば、マウンテンバイクのコースづくりには二十代の若者が積極的に参加しているし、地域の自主防災は町民と役場が一緒になって取り組んでいる。
 今里 福岡市東区の筥崎地区では、JR鹿児島本線の連続立体交差事業を契機に、住民が新たな地域づくりに取り組み、古い祭りなどを復活させた。
 必要なのは、地域住民が自分たちの住んでいるところがどんな地域かを知り、地域への愛着心を育てることだ。そのために歴史と商店街の地図を作った。商店などから寄付を集め、一人ひとりが地域を歩き回って調べた。地図を見れば埋もれていた歴史遺産からスナックの情報まで一目で分かる。
 地域の課題を探るにも、データ集めが大切だ。全世帯に調査票を配り、どこでどんな犯罪や事故があったかも書いてもらった。そうすれば、どこに街路灯を置き、防犯ボランティアを配置すればいいのかも分かる。将来予定される九州大学移転についても、跡地利用を住民の側から積極的に提言している。
 大久保 北九州市では、経済浮揚が一番の課題となっている。市内七区の中心の小倉北区では、経済人が中心となって街づくりに取り組んでいる。新空港の建設問題から、紫川の浄化、防犯運動までいろいろやった。また小倉祇園太鼓の日程を多数の人に楽しんでもらえるように変更したり、JR西小倉駅に鹿児島本線の列車を止めることも実現できた。
 次の世代が経済活動でき、暮らしていける街をつくるには、草の根の住民の活動とともに、街について考える組織が必要ではないか。長い時間はかかるが、子孫のためにという意気込みが大切だと思う。
 梁井 実際に地域にへばりついて「暮らしづくり」をしているのは女性なんです。PTA活動から、高齢者の世話、ごみ収集の後始末までやっている女性の意見を、もっと反映させなければならない。
 高齢化、少子化が進む二十一世紀になると、税の負担者となる働き手が減ってしまう。育児支援システムなどを整備し、女性の社会参加を促すとともに、男性も意識改革が必要になる。「男尊女卑」「官尊民卑」の考えでは、もう社会がもたなくなってしまう時代になります。
 地方分権が進めば、地方議員の役割はますます重要になるが、現在の議会での女性の議席数は惨たんたる状況です。議員が男女同率になって初めて地域主権が成り立つ。もう男性が女性に対して「おれについてくるかい」という時代ではない。「一緒につくろう」という姿勢が必要ではないでしょうか。
 ▼受け皿どうつくる
 ―これから地方分権が進み、さまざまな権限が地方へ移譲されるようになると、地域はその「受け皿」としての対応も求められる。地域主権を確立するためには、どのような手だてが必要か。
 宮崎 主体的な地域づくりを進めるには住民参加が基本だ。自治体の職員も新しい分権時代に対応できるように変わらねばならない。従来の国の基準や縦割り行政の枠にとらわれず、住民と一緒に個性ある地域づくりに取り組む実行力と新しい発想が必要になる。
 県庁職員も、住民と直接に接する市町村へどんどん出掛けてもらいたい。
 一方、住民主体の地域づくりを実現するには、住民も人材を育て、積極的に発言し行政に提案していかねばならない。
 分権の受け皿として市町村合併や広域連合などが必要という意見もあるが、そのマイナスの面も考えるべきだと思う。エリアが広がれば地域の個性が失われ、地域づくりを画一化、均一化させる危険性もある。
 個性的な風土や人材は、地域づくりに微妙に反映してくると思う。合併とは違う形の連携を考えるべきではないか。
 ―今川先生は熊本県で市町村合併の可能性を調査されたそうですが……。
 今川 私は熊本県内の自治体を対象に市町村合併を調査したが、総論賛成・各論反対が多かった。ある首長は合併のメリットは認めるが、自分の代には合併したくないと…。
 私個人としては、広域行政を含めてさまざまな交流の仕方があるので、各自治体がもう一度、主体的に広域的な交流の方法を整理する時代ではないか、と感じている。その中で本当に一体性が感じられ、一緒になった方が住民サービス向上につながるという判断が下されれば、合併という選択があると思う。
 また、同じ市や町の中でも文化や歴史が異なり、住民の自治なども多様なものがある。それらを踏まえて、一つの自治体のなかでも行政の在り方や地域づくりを見直し、画一化を避けるための地域内の分権も必要になると思う。
 合併すべきかどうかは、あくまでも自治体が主体的に判断すべきだ。
 ―住民参加型の地域づくりには住民の主体性に加えて行政とのよい関係づくりも要求されると思うが…。
 今里 行政単位が広く大きいと、住民は単なるサービスの消費者になり、地域づくりにかかわれなくなる危険性がある。
 住民が地域づくりに主体的にかかわるには校区単位くらいの人口や広さが地域の自立・自治を進めるのに適正規模だと思う。小国町でも六つの地域に分けた地域づくりをしているのも、こうした観点からだろう。
 福岡市を例にとると、小学校区単位に置かれている公民館を拠点に地域の自立を考えるべきではないか。地域の個性を守り育てないと、二十一世紀の超高齢社会を乗り切れない。
 住民と行政との関係では、校区のことに詳しい優秀な職員を公民館などに配置し、地域の代理人でありながら市の代理人でもあるというようにすれば、分権時代の地域づくりの仕掛け人として重要な役割を担うと思う。
 大久保 地域主権を確立するために、地域の住民も自分たちの住む地域の魅力づくりや未来図を具体的な絵に描いて提案したらいい。地域の人々の関心を呼ぶし、地域がぐっと身近に感じられるはずだ。
 ▼会場の声
 会場の声 住民が主役の都市づくり、地域づくりを進めるには図書館などを増やし、住民が学び、目覚めるような手立てが重要では。
 梁井 図書館などで勉強することも含め、住民の暮らしや生き方を考えることから「街づくり」が始まる。住民は遠慮せずに、街の在り方について行政に発言していったらよいと思う。
 今里 最近、増えてきたボランティアやNPO活動は「街づくり」のエネルギーともなる。そうしたことに関する情報発信機能は、これからは図書館を含めた行政の重要な役割となるだろう。行政がやらないなら、自分たちで「情報の拠点」をつくるくらいの情熱を持つのも、分権時代の市民の生き方の一つではないだろうか。
    ×      ×
 ●5つの提言
◇市民は選挙のときだけでなく、365日主権者になろう
◇地域の隠れた個性を探し出し、独創的な地域づくりやまちづくりを進めよう
◇地域を豊かにし、人の暮らしを楽しくする社会を目指そう
◇住民、行政、企業のパートナーシップによる地域づくりを
◇行政や議会も地域主権型社会へ向けた意識改革を

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19960901付 朝刊
7.追跡・解説=行動する住民・小国町<1>−連載/九州・山口

 この十年、地元産の杉を使った独特なデザインの木造建築物群や芸術家らの定住などで注目を集めてきた熊本県阿蘇郡小国町=宮崎暢俊町長(55)=が十月一日から、「みんなで考えみんなで創(つく)る小国町まちづくり条例」を施行する。その名のとおり、条例は立案段階から町内各地区の住民代表を中心にしてつくった点が最大の特徴。宮崎町長が主導する「悠木(ゆうき)の里づくり」の精神が住民の”自治意識”をはぐくむまでに浸透した表れ、とも言えそうだ。「地域づくりの先進地」とされる小国町の人々の取り組みを報告する。(南里義則編集委員)
 ◇自治意識◇「よそ様の土地」に夢描く、まちづくり条例始動へ…
 ▽お仕着せでなく
 あっ、これは本物だなと思った。「まちづくり」という言葉には行政の”お仕着せ”的なニュアンスがつきまとうが、その会場の雰囲気は違っていた。
 八月二十七日夜、小国町北里地区であった町
の「まちづくり条例」説明会。お仕着せどころか、住民側からこんな発言もあった。
 「住民主導で作った条例だけん、行政に頼ってばかりはおられんな」
 緑豊かな小国での(1)乱開発防止(2)個性あるまちづくり推進―を二本柱とする同条例を作り出した住民レベルのこの強烈な自治意識は、どこから出てきたのだろう。
 地区住民として出席していた研修宿泊施設「木魂館」の館長、江藤訓重さん(42)は「地域で”認知”された住民組織が内部から、自分たちの地域を考え始めたのがきっかけ」と言う。
 ▽意識改革を促す
 「地域での認知」とはつまり、こういうことだ。
 小国町では「悠木の里づくり」を打ち出した昭和六十年から、「ゆうステーション」や「小国ドーム」など木造建築物群を次々に建設。イベントや他地域との交流、人材育成の「おぐにみらい塾」も展開した。
 しかし、二代目のみらい塾長だった江藤さんによると「世間の注目は集めたけど、あくまで行政主導で、地域で認知され住民の意識改革を促すまでは至らなかった」。
 その反省を踏まえて平成三年、町内六地区でそれぞれ組織されたのが「土地利用計画チーム(現在は『コミュニティプラン推進チーム』と改称)」である。
 乱開発の波が押し寄せる時代背景もあった。三、四十代を中心とする二十人前後の住民で構成し、地域の認知を受けて「よそ様の土地に夢を描こう」と、内部から地域の将来像を考え始めた。今回のまちづくり条例はその延長上にある。
 ▽神風が吹いた!
 もちろん、地元住民による土地利用計画チームができたから即、地域づくりがスムーズにいったというわけではなかったようだ。
 「ひと雨降れば(杉が生長し)ウン百万円」とも言われた土地柄。土地(杉)への住民の思いは信仰に近いものがある。同チームが「地区全体の財産」と評価した土地をめぐって、「勝手なことば言うな」と怒った地権者と口論になったこともあった、という。
 そこへ襲来したのが台風19号(平成三年九月)。バタバタと杉が倒れたことで「先祖伝来の土地の価値は不変」と考えていた住民の意識が変わり始めた。
 「『19号は神風やった!』ちゅう声もあるとです。土地へのこだわりを弱めさせ、地域づくりに協力する機運を促進したから」と北里地区のリーダー、原山勝さん(76)は証言する。
 ▽この町長にして
 実は五年前、当時の細川護煕・熊本県知事退任の際に、宮崎町長に会ったことがある。小国町が、細川前知事の提唱した「日本一づくり運動」の最優等生と評価されていたからだ。この時、町長は率直にこう言ったものだ。
 「(小国ドーム建設など)ハード事業もハードそのものじゃなく、事業過程やその後の住民参加の『物語』が大事だと分かった…」
 そして五年後、住民参加による「まちづくり条例」が実現した。山間地での農林業の低迷や過疎・高齢化という大きな時代の流れの中で、「魅力あふれる地域づくり」に長い目で取り組みリーダーシップを発揮してきた宮崎町長のまっすぐな行政姿勢がうかがえる。
 本人は「可能性に挑む意欲的な住民が増えてきたから」とさりげないが、新たな「住民自治」のほう芽を示す今回の条例はこの町長にして実現した、と言ってよさそうである。
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 ◆悠木の里づくり
 小国町は、年間2000ミリを超える雨量と肥よくな土壌が杉の生育に適し、樹齢30―60年の小国杉の山林が広がる林業の町(人口9855人=平成8年7月1日現在)だが、安価な外材の輸入による国内産木材の不況と、後継者不足が深刻な問題になっている。そこで”杉の復権”から地域活性化を図ろうと「悠木の里づくり」が始められた。「悠」は「悠久」「悠然」などという小国の自然を示す。
 具体的には、廃止となった国鉄宮原線駅跡地の再生からスタート。葉祥栄氏が設計した木造立体トラスト構法によるバスセンター「ゆうステーション」が建てられた。それ以降、「木魂館」などさまざまな木造建築群が登場。木魂館は地域づくりの中心施設として、全国から地域づくりのリーダーらが集まる。
 ◆みんなで考えみんなで創る小国町まちづくり条例
 町や事業者、町民、滞在者のそれぞれが果たすべき責務を定めているが、一般的には(1)開発事業における手続き(2)まちづくり促進区域の指定―が中心。
 平成元年度から施行された「小国町環境保全要綱」が住民の学習の中で発展的に条例になった面と、町内6地区で取り組んでいる個性的な「まちづくり活動」の推進を図るという面がある。
 (1)に関しては、一定規模以上の開発計画(例えば開発区域が1000平方メートル以上の事業)を持つ業者は必要な法手続きの前に、町との事前協議または事前届け出が必要。町では「大字ごとのまちづくり協議会(町内6地区の住民組織)」の意見を聴いたり、「まちづくり審議会」(議会代表、地区住民代表、学識者などで構成)への諮問などを経て、協議終了通知書を発行する。町長の勧告に従わない事業者に対しては「道路の占用許可や水道供給などの行政サービスに協力せず、事業者らの氏名公表などができる」と定めている。
 (2)に関しては、地区住民から意欲的な住環境などの整備推進について要望がある場合、その区域をまちづくり促進地域として指定し、総合的かつ優先的に整備を促進していく、としている。

県庁マンの一言・・・ 私は、町づくりに条例は必ずしも必要ではないと思うが、条例が立案段階から住民を中心として作成されたことは、非常にすばらしいことだと思う。

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