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経験 柔道女子 田村亮子 大声援を味方に 「最高でも最低でも金メダルです」 壁を越え強さ本物
2000年8月15日 朝刊掲載
あれから四年。田村亮子が再び五輪に挑む。「過去二回は銀メダル。今回は最高でも最低でも金メダルです」。YAWARAスマイルでそう言えるようになるまでには、やはり時間がかかった。「これからの四年間は長い…」。アトランタ五輪決勝でケー・スンヒ(朝鮮民主主義人民共和国)に敗れた直後につぶやいた言葉通り、シドニーまでの道のりは長く険しかった。何よりも、その一歩を踏み出すのには勇気が必要だった。 柔道をやめようかなとも思った。「次の五輪を目指すのなら金メダルしかない。そのための厳しい練習に耐えることができるだろうか。次の試合に負ければ負け癖もついてしまう」。不安に襲われ、柔道着にそでを通すまで二カ月以上かかった。 その田村にシドニーへの道筋をしっかりと照らしてくれたのも試合場だった。アトランタから五カ月後の十二月の福岡国際。十五歳Vの衝撃デビューを飾った故郷での思い出の大会で自分との闘いに打ち勝ち、七連覇を達成した田村の目にシドニーの青畳が初めて映った。そして「連覇」を自身の「励み」に変えるすべを知った。以後、世界選手権四連覇など、出場する大会での優勝回数を増やし、記録を五輪に立ち向かうエネルギーにした。バルセロナからアトランタまでの80連勝と同じように負けなしで49の白星を積み重ねた。 その過程では、けがも味方にした。「五輪ではどんな状態でも勝たなければならない」。両手の指を痛めて試合ができる状態ではなかった今年四月の全日本選抜体重別にも強行出場、V10を達成した。 九月には二十五歳になる。柔道を始めて十七年、福岡から世界へ羽ばたいて十年がたつ。「まだまだ自分は成長している。プレッシャー、けがの中でも勝ち、若いときにはなかった経験が今の自分にはある」。すべてはまだ手にしていない五輪金メダルのために。この四年間は決して回り道ではなかった。(手島 基)
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無敵 柔道男子 井上康生 「自信が確信に変わった」
2000年8月15日 朝刊掲載
まぶたを閉じ、神経を集中させた。あと一カ月に迫った九月二十一日、100キロ級決勝戦。五輪柔道会場の静寂に包まれた雰囲気が大歓声に変わった。得意の内またが決まり、主審が右手を挙げ「一本」。こみ上げる気持ちを抑えることができず、ひとみから大粒の涙がこぼれ落ちた。 シドニー五輪柔道男子100キロ級代表の井上康生。日課としているメンタルトレーニングで彼の脳裏をよぎるのは必ず金メダル奪取のシーンだ。 「負けることなんかまったく考えたことがない。勝つことしか頭にはない」 実績が自信を生んでいる。昨年十月の世界選手権で初出場で優勝。今年二月のフランス国際、四月の全日本体重別ではすべて一本勝ちで国内外に無敵を証明してみせた。 「自分の力を出せば怖いものはない。世界選手権以降、自信が確信に変わりました」 攻めの柔道。それが井上の柔道である。五歳で柔道を始め、小学校四年から、父親の明さん(53)の指導の下、鍛え抜かれた。あれから父と子の関係が師匠と弟子に。昨年四月の全日本体重別では一本負け。会場となった福岡市民会館の路上で明さんから正座をさせられたこともあった。 「私の柔道は父から教えてもらったもの。その信条は『守っていては勝てない』という父の言葉が礎になっている」。井上が一本勝ちにこだわりを持つ理由でもある。 世界王者となった世界選手権の四カ月前に母かず子さんが「くも膜下出血」で亡くなった。そして今、明さんが病床に伏している。井上は心に誓っている。「世界選手権の優勝は母からプレゼントされたものだった。今度は自分のために戦う。そして母、父に金メダルをプレゼントしたい」。五輪の開会式では日本選手団の旗手を務める。世界の頂点へ。日本を代表するホープにスキはない。(田中 耕)
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自然体 マラソン男子 川嶋伸次、佐藤信之 「結果はおのずと」 「可能性にかける」
2000年8月15日 朝刊掲載
キーワードは自然体だ。「力を出し切れる状態をつくれば結果はついてくる」(川嶋伸次=写真下)「疲労を残さず、いい練習を積み重ねていく」(佐藤信之=同上)。男子マラソン代表の旭化成コンビは「長距離王国」で培った自信と誇りを胸に、シドニーに挑む。三十四歳、川嶋にとっては、集大成となるレースだ。前回アトランタでは代表補欠。その悔しさをバネに、三月のびわ湖毎日で2位、日本選手トップの2時間9分4秒と自身初めて10分を切り、切符をつかんだ。「自分には経験がある。さらに後輩のいいところを学べば負けない」。遅咲きランナーはすべてを糧にして、晴れ舞台をにらむ。 佐藤はこの五輪を「最高の通過点」にするつもりだ。昨年の世界選手権3位。一時は“独走”しながら終盤、逆転を許したが「引き離しきらなかった。力の入れ具合が分からなかったんです」。二十八歳。「まだマラソン経験が少ない」と自認しながら、「その分、可能性がある。そこにかけてます」。挑戦者の目を輝かす。 起伏が激しく「過酷」と評される今回の本番コース。試走した二人は「後半のアップダウンまでいかに余力を残せるか」が勝負のカギとみる。六月末から約一カ月のオーストラリア合宿、帰国後の北海道と地元・宮崎での調整でその準備も仕上げ段階。堅実に「目標は入賞」と口をそろえる二人ながら「一番上を目指して練習している」(佐藤)と胸の内は熱い。注目度では「史上最強」といわれる女子マラソン代表組の後じんを拝するが「男子も世界は見えてきている」。宗茂監督の目に二人は頼もしく映っている。(諸隈光俊)
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上昇 トライアスロン 平尾明子 「今は五輪だけ。完全燃焼したい」
2000年8月15日 朝刊掲載
四年前、背を向けていた五輪が目の前に近づいた。「あのときはオリンピックに特別な思いはなかった。それを考えれば今は信じられない」。陸上選手。それが以前の平尾明子の“肩書”だった。九国大付高からダイハツに入社。しかし高校三年で痛めた左足首の故障が影響し満足な競技生活は送れなかった。加えて日常生活まで規制する実業団の管理主義。日に日に反発心が増幅した。一九九八年七月、わずか四カ月余りで退社。 しかし「陸上が嫌いではない」。不完全燃焼が次の競技へとかき立てた。後に結婚することになるトレーナーの関根陽一さんの知り合いにトライアスロン関係者がいたことが、転身へとつながった。 トライアスロンは水泳、自転車、長距離走で争う。飯島健二郎日本トライアスロン連合強化副本部長(日本代表監督)の指導で、猛特訓が始まった。自転車は未経験でも走ることには自信があった。 デビュー後わずか一年、昨年の国内ランキングで堂々のトップタイに躍り出た。今年の世界選手権では日本勢最高の9位に入った。 昨年五月に結婚した陽一さんは全レース同行する。「彼は緊張をほぐしてくれる」。体だけでなく心のケアもしてくれる最高のパートナーだ。五輪後には「結婚式」を挙げることも約束している。「この四年間ほど環境が変わったことはなかった。今は五輪のことだけ意識している。完全燃焼したい」。陸上から転向して二年。ミセスシンデレラが南半球で大輪の花を咲かせる。(田中 耕)
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