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| 男子マラソン |
| 川嶋伸次選手 |
妻と抜け出た「迷い道」 |
| 今世紀最後の五輪が十五日、幕を開ける。選手たちの華やかな戦いの陰には、栄冠への夢と苦悩をともにしてきた父母や兄弟、姉妹、妻や子どもたちがいる。その家族の日誌にも新たなページが書き加えられる。 |
「もうやめるしかない」。結婚二年目の一九九一年秋。宮崎県延岡市のバーのカウンターで川嶋伸次は、妻ちはる(33)の前でうめくようにつぶやいた。 伸次はこの日、九州一周駅伝で大ブレーキを演じ、最後尾を走った。常勝軍団・旭化成の選手にとって屈辱だった。 「もういい、延岡に帰れ」。監督の一言でチームを一人離れた伸次は、遠征用バッグの「旭化成」の文字を隠すようにしながら、自宅に帰ってきた。 見かねたちはるが誘った夜の街。ちはるは、伸次と同じ小、中学校に通った幼なじみだ。「やめて埼玉に帰りたいなら、それでいい。私も実家が近くなっていいんだから」。ちはるは、頑張れと、あえて言わなかった。 どん底だった。人一倍練習しても、伸次は思うように走れない。 故郷の大学の陸上部から「コーチに来ないか」と誘いの電話が入った。 九三年春、翌春移籍する話がまとまった。迷いが吹っ切れたのか、秋の九州一周駅伝で伸次は区間賞3回の快走を見せた。年末の福岡国際マラソンは日本人トップの5位で駆け抜けた。 「まだまだやれるわ」とちはるはハッパをかけた。監督の励ましもあり、伸次は旭化成で走り続けた。
今年三月、びわ湖毎日マラソン。伸次は自己新記録で五輪代表に名乗りを上げた。ちはるは、正直、ここまで頑張ってくれるとは思っていなかった。昨年二月、自転車に乗った伸次は車にはねられた。打撲で済んだが、世界選手権を断念。その夏には左足首がはれ上がり、痛みで全く走れなくなった。 「手術すればいいじゃない。ダメもとよ。切っちゃえばいいよ」。ちはるは伸次に、あっけらかんと言った。手術して迎えた「びわ湖」だった。 八月二日の結婚記念日が近い日、合宿先から伸次の手紙が届いた。「スイートテン(結婚十周年)の年にオリンピックだね。口に出して言えないけど、本当はすごく感謝している」 長女の希(のぞみ)(7つ)、二女の葵(あおい)(5つ)は、オリンピックと聞いてもピンとこない。ちはるは娘たちに語りかけている。「パパはすごいのよ。優しくて、強いんだから」 (敬称略) =おわり (この連載は社会部シドニー五輪取材班が担当しました) 写真は、遊園地で家族と一緒の川嶋選手 =1998年夏 |
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