
【1】売り上げ5万円余ナリ
三発の花火が合図だった。一九三六(昭和十一)年十月七日午前九時。福岡市天神町で百貨店・岩田屋の歴史が幕を開けた。早朝から買い物客が集まった。開店セールの目玉商品は、一足五銭の福助足袋。道路にあふれた人々が、われ先と入り口に殺到した。
「群衆がどっと店内に流れ込み、押し倒される者、そでを引きちぎられる者、帽子やげたを失う者などが続出した」
岩田屋の開店初日。大勢の客が入り口に殺到しパニック状態になる盛況ぶりだった =1936年10月7日
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「岩田屋経営史」は開店日の盛況をこう伝える。慶事というより、混乱に近かった。
「初日の来店客数は十万人を超えた」とも。しかし、当時の福岡市の人口は三十万人。市民の三人に一人が訪れたとはちょっと考えにくい。
たった一人、初日の数字を正確に記憶していたのが、初代社長中牟田喜兵衛氏。「売り上げは五万二千五百二十五円四十九銭だった」。一九八〇年に世を去るまで、ことあるごとに、この金額をそらんじた。
うどん一杯五十銭、米十キロが二円五十銭の時代。現在の貨幣価値で五千万円程度か。現在の岩田屋はセールがなくても一日で億単位の売り上げは当たり前。初日の売り上げとしては、当時としても厳しい額だ。苦い記憶が忘れられなかったに違いない。
そのころの天神は、官庁や学校が集まる静かな町だった。既に開業していた百貨店の玉屋をはじめ、主な商店や銀行はほとんど博多部に集中していた。博多部の呉服店から天神の百貨店への転進を決めた喜兵衛氏に親族はこぞって反対した。
喜兵衛氏は言った。「百貨店の競争は郡部の購買力を吸収する。佐賀、長崎や南九州から婚礼衣装などの大口注文も得られるようになる…」。親族を説得した言葉が、今の天神につながった。
(2003.12.11付 夕刊)
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