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一気に自己記録を更新しアテネの切符をつかんだシンデレラボーイ、旭化成・大野龍二
<8>>陸上男子一万メートル 大野龍二 “小学生”鮮烈デビュー 「楽しく走る」原点に


 ■アテネ五輪 郷土から翔ぶ■

 ライバルたちの目にはとんでもない“小学生”と映ったようだ。陸上のアテネ五輪代表選考会を兼ねた日本選手権の男子一万メートルが行われた6月5日。レース後、会場の鳥取・布勢陸上競技場のロッカー室で飛び交っていた会話を、優勝した大野龍二は、旭化成の先輩佐藤智之から聞かされた。

 「優勝したあの小学生は誰かって、いわれていたぞ」。社会人2年目の19歳、身長160センチと小柄な大野は、日本選手権初出場で全国的には無名の存在だから、佐藤の冷やかしも仕方がなかった。ただ、レース中の心境は陸上を始めた小学生のころに戻っていた。

 「(僕は)“大穴”ですから。でも、高岡(寿成=カネボウ)さん、佐藤(敦之=中国電力)さん、徳本(一善=日清食品)さん、坪田(智夫=コニカミノルタ)さん…。有名なランナーと一緒に走ることができるんで、うれしくて」

 名だたる長距離ランナーに交じり、サブグラウンドでウオーミングアップをするときから心が躍った。

 「先頭集団につき、8000メートル手前の揺さぶりで、前にいた3人のペースが上がってつらかったけど、ここまできてあきらめるのはもったいないと思った。苦しみながらも楽しまないと。ラスト200メートル(からのスパート)は体が自然に動いた。楽しく走れた」

 楽しく走る―。大野の原点だ。鹿児島・谷山小5年の冬。学校行事の持久走にどうしても勝ちたかった。担任の山本繁孝が、大会前の早朝練習に付き合ってくれた。まだ薄暗いグラウンドを5周しては、山本から手渡されたプリントの丸印に色を塗り、励みにした。結局、小学校の6年間では2、3位ばかりだったが、走る楽しさを学んだ。

 当時の山本の言葉が今も耳に残る。「努力が実ったときにいい結果が出る。ただ、1位は取れなくても、それまでの努力、過程が大切なんだ。それは走ることだけじゃなく、何についても同じだよ」。この恩師の教えを胸に谷山中、転校した桜島中の陸上部で着実に記録を伸ばし、日本選手権でも見せた、持ち味のラストのキレを磨いていく。2000年の全国都道府県対抗男子駅伝では中学生区間の2区で区間15位。鹿児島の一員として初優勝の感激に浸った。進学した鹿児島実高でも怠けることはなかった。

 練習でひたすら汗を流し、レースでは必ず勝負する。常に全力で走る姿は、やがて旭化成男子監督(当時は副監督)の宗猛の目に留まる。3年時の全国高校総体の県大会。五千メートルでスタート直後から飛び出し、最後はフラフラの状態で逃げ切った。無謀ともいえる積極果敢な走りに、宗猛は将来性を感じたという。続く南九州大会では、風邪による発熱で五千メートルでの全国高校総体出場を逃した大野を、宗猛はマッサージを施して慰めた。

 本命不在だった日本選手権男子一万メートル。大野はあこがれの選手たちより先に、ゴールに駆け込む。それまでの自己ベストを約30秒も短縮する27分59秒32。ジュニア日本記録を打ち立て、アテネ五輪一万メートル代表の座をつかんだ。1976年のモントリオール大会から続く旭化成の五輪代表輩出を「8大会」に伸ばし、宗猛を「シンデレラボーイがうちの危機を救ってくれた」と喜ばせた。

 日本陸連がアテネ五輪マラソン代表を発表した3月中旬、旭化成の男女での同種目代表輩出が7大会で途切れた。当のシンデレラボーイはそのとき、練習から離れていた。貧血に襲われ、宮崎県延岡市の寮で食事による体質改善を図った。その間、高校時代からのライバルで仲のいい同年の三津谷祐(香川・尽誠学園高―トヨタ自動車九州)は、五輪代表争いをリードする存在に成長。大野は寮の自室で、焦る気持ちを抑えて省みた。

 「旭化成に入って、きつい、きついでやってきた。それがストレスになっていた。楽しんでやらないと陸上をしている意味がないじゃないか」

 4月末の復帰後は快進撃。走ることができるうれしさをかみしめてはスタートラインに立った。自己ベストを次々と塗り替えついには夢の五輪への扉をこじ開けた。アテネには、今年の目標だった世界ジュニア選手権(13―18日・イタリア)をステップレースに挑む。

 「旭化成の、九州の陸上長距離の灯を守れてうれしい。とにかく楽しんできたい」

 五千メートルと一万メートルの世界記録保持者で昨年の世界選手権一万メートルの覇者、ケネニサ・ベケレ(エチオピア)ら、世界のスーパースターとの勝負を心待ちしている。 (敬称略)
 (文・手島 基、写真・伊東昌一郎)


日本陸上選手権男子一万メートル決勝で、カネボウ・高岡寿成らを破りジュニア日本新で優勝した
 ◇アラカルト◇

 ●足の速さで転校先でも有名人

 【生年月日】1985年1月27日、鹿児島市出身の19歳

 【サイズ】160センチ、47キロ。持久走は「体の大きさが関係なく1番でゴールすれば強いところが好きだった」

 【経歴】鹿児島市・桜島中―鹿児島実高―旭化成

 【競技歴】鹿児島・谷山小5年のときの校内持久走を前に練習を重ね、谷山中から陸上部。父の繁さんの仕事の都合で引っ越しを何度かしたが、転校先では足が速くてすぐ有名になった。桜島中3年で全国都道府県対抗男子駅伝に出場し、2区を区間15位でつないで鹿児島の初優勝に貢献。このとき1区の元田幸祐(鹿児島実高)と3区の永田宏一郎(鹿屋体大)は現在旭化成でチームメート。全国高校駅伝には3年連続出場も、全国高校総体は2、3年時に千五百メートルで予選落ち

 【趣味】カーペンターズなど昔の歌が好きで、息抜きは仲間とのカラオケ


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