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「五輪では全力で頑張ってほしい」と語る吉井氏

女子ソフトボール・上野由岐子 負けん気強い“女松坂”

 衝撃的な出会いだった。吉井が指導する柏原中(福岡市南区)の女子ソフトボール部が地元小学生のクラブチームと練習試合をしたときのことだ。相手投手は背は高いが、きゃしゃな女の子。

 ところが、中学生は手も足も出ず、ヒット1本で完封負けを喫した。その投手は、一昨年の世界選手権に準優勝しアテネ五輪出場権を手にした日本代表のエース上野。いま21歳の彼女が小学6年の時の出来事だった。

 「言葉は悪いが“化け物”と思った。あんな選手は見たことがなく、体が震えた」

 柏原中に入学した上野は、傑出した身体能力を示す。グラウンドで部員たちの遠投力を測ったところ、上野の投げたボールは50メートル先の土手を越えていった。

 「土手まで投げる生徒はこれまでいなかった。私も野球経験はあるが、そこまで届く程度。上野は測定不能な所まで投げた。しかも、1年生で」

 小学校時代は校内マラソン大会で優勝。サッカーのリフティングも器用にこなした。体の強さ、しなやかさの証明と言える。それらを土台に、右腕からの球速は当時100キロ。体感速度は、野球なら150キロ近い。中学生ではバットにかするのが精いっぱいだった。

 「それでも、全力で投げてはいなかった。捕手が指をけがする危険があったから、手加減していたのだろう」

 ハートも強かった。1年秋の新人戦南区大会直前。右手の指を骨折しながらも、自分でギプスを外して試合に強行出場して完封勝利を果たし、そのまま九州大会へチームを導いてみせた。

 「闘争心と負けん気はすごかった。当時から『五輪が夢』と言っていた」

 転任のため、吉井が指導したのは2年時まで。卒業後、地元の九州女子高に進んだ上野は、故平島広昭(昨年12月に急逝)の下で全国制覇。実業団の日立&ルネサス高崎に入り、一昨年の世界選手権では五輪切符がかかった中国戦で完全試合を達成するなど、いまでは西武のエースになぞらえ、“女松坂”の異名を持つまでになった。

 「故障しないでほしい。金メダルの期待がかかるが、全力でやってくれればいい」

 夢だった五輪のマウンドに立つ日を無事に迎え、持てる力を出し切ること。吉井はそう願っている。
 (敬称略)


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