夏の甲子園で古里を考えてみよう。ちょうど終戦記念日とお盆が重なるころです。私たち日本人の郷愁を誘う特別なころだと思い、この企画を始めました。関西にはたくさんの九州出身者がいました。楽しかった思い出、つらかった日々…いろんなことがあっても古里はいつまでも色褪(あ)せないものだと、つくづく感じています。連載の最後に、沖縄出身のお笑い芸人宮川たま子さんに、遠く離れた沖縄への思いを語ってもらいました。
沖縄で、農漁業のときに使われる防暑用の「クバガサ」をかぶって応援した宮川さん
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「宮川たま子」というのは芸名で、本名は玉城(たまき)悠子、沖縄県浦添市出身の二十四歳です。一年半、めおと漫才の宮川大助・花子師匠の付き人として洗濯や食事、身の回りのお世話をさせていただきましたが、今年三月に正式に弟子入りしました。えっ、大助師匠の下着? 大型のトランクスです。ゾウや阪神タイガースの柄付きの。花子師匠は…秘密です。
付き人時代の芸名は「マングースたま子」。昨年十月に亡くなったミスターボールド師匠にいただきました。みんなビックリしますけど、覚えてもらいやすく重宝しましたよ。昨年、舞台で一緒になったスター・錦野旦さんにも、すぐ覚えてもらいました。
大阪に来て四年目。沖縄を出るとき、近所のおばあちゃんたちから「大阪には怖い人がいっぱいいる」と聞いていたので不安でしたが、言葉が荒いだけで実は心優しい人たちでした。
最初は大変でした。方言が分からず、歩くペースも断然速いし…。早く帰りたい、なんてホームシックにもかかりました。そんなとき、大阪市大正区に多く住んでいる沖縄県人のみんなに助けてもらいました。
大阪で迎えた初めての夏のことです。大正区から、県人会がチャーターしたバス三台に分乗して甲子園に駆けつけました。スタンドは関西一円の沖縄県人や本土からの応援団で埋め尽くされ、指笛や三線(さんしん)の音色が響き、琉球舞踊のエイサーを踊る人もいて、「沖縄みたいだぁ〜」と、うれしくなりました。あの団結力は、ヤマトンチュ(本土の人)に負けたくないというウチナンチュ(沖縄の人)の強い気持ちの表れだと思います。郷土の空気に触れて、私も息を吹き返しました。
沖縄勢の甲子園での優勝は、春夏通じて一九九九年センバツの一度だけ。後押しするため今年も応援に行きましたが、代表の中部商は十二日の二回戦で敗れました。
同じヤマトンチュでも、九州に対する思いは特別です。本州から離れているハンディがありながら、ひた向きに打ち込む姿と自分たちの境遇が重なるんです。今年はみんな負けて残念でした。
スタンドを離れるとき、郷土のみんなと別れるのはさみしかったけれど、大阪で芸の道を志す限り、私が帰る場所は沖縄ではありません。みんなが聞いたらさみしがるかもしれないけれど、それが事実。
古里を忘れたわけではありません。海人(ウミンチュ)(漁師)の父、大阪に行くときそっと背中を押してくれた母が暮らす沖縄は、私の出発点。失敗をしてつらいとき、原点に立ち返ろうとしたとき、時折空を見上げて勇気づけます。「この空は、沖縄とつながっているんだ」
来年の夏、暑さと一緒に古里からみんなが来るのを待ってるよ。それまで私も頑張るさぁ。
=おわり
(社会部・山本敦文、中川博之、重川英介)