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<11>90歳まで焼くつもりや 大阪のたこ焼き屋のおっちゃんとおばちゃん
社会部・伊藤完司(
'04/10/29
朝刊掲載)
味にこだわり、たこ焼きを焼き続ける沼口さん夫婦 =大阪市城東区
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生まれてから大学卒業までの二十三年を大阪で過ごした私にとって「たこ焼き」は、今も最高のおやつだ。幼いころから週に二十個は口にしてきたから、一年で千六十個。それが二十年だから、今までに二万千二百個は食べた計算になる。
大学生のころ「日本一うまい」と思っていた近所のたこ焼き屋が突然閉店し、行方が分からなくなった。以来、いろんなたこ焼きを食べたが、あれを上回るたこ焼きは食べたことがない。受験に失敗し、落ち込んでいたとき、同級生が差し入れてくれた記憶もある。
たこ焼き屋のおっちゃん、おばちゃんにもう一度会いたい。まだどこかで焼いているだろうか。
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私の故郷は大阪市の東の端、住宅地に工場が点在する下町だ。そのたこ焼き屋「田幸八」は味も抜群だが、焼いている夫婦もひと味違った。
初めて買いに来たお客とは、必ず、こんなやりとりが始まる。「にいちゃん、ソースかけとこか?」と、おばちゃんは尋ねる。そこで客が「かけて」と答えると、おばちゃんの表情が急に曇る。そして続ける。
「うちのたこ焼きはな、生地に味がついてるからそのまま食べてもおいしいんやで。ソースをかけてもええけど」
「ソースはいらん」と答えれば、おばちゃんは「うちのたこ焼き分かってくれてはるわ。おおきに」と満面の笑みでたこ焼きを手渡してくれる。要するにソースなしで食べてもらいたいのだ。
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自転車で、かつて店のあった辺りに向かった。街並みに昔の面影がある。あのたこ焼きの生地はしょうゆ味。大きく切ったタコから出るだしと溶け合い、中はとろっと、皮はかりっとしていた。
付近を聞き回ること三十分。店は予想以上に簡単に見つかった。前の店から二百メートル離れた商店街の一角。大通りに面した手狭な店で沼口勝さん(66)と妻ツヤミさん(62)がたこ焼きを焼いていた。
早速、一皿買い、ほおばった。もちろんソースはなし。「昔のままやん」。うれしくなって声をかけた。意外な返事が返ってきた。
「そう言わはるけど、この十年、ほんまにひどい目に遭うたんやで」
かつて、おっちゃんの店は毎日行列ができ、関東から買いに来る人がいるほど繁盛していた。しかし、店の家主の事情で立ち退きを余儀なくされた。近くに店を借りて営業を再開したものの、大通りから奥まっていたため、「店がつぶれた」と思いこんだ人も多かった。私もそうだった。三年前に大通り沿いの現在の場所に再移転したがお客を取り戻すのは難しく「客は昔の半分以下になった」そうだ。
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デニムのエプロン姿。おっちゃんは「わしは職人で、銭もうけは下手やから、おばちゃんにええ思いをさせられへん」と笑った。そういえば、値段も八個二百円と、昔と全く変わっていない。
おばちゃんは熊本県・天草の出身。大阪生まれのおっちゃんが旅行先の九州で出会って結婚。三十五年前に二人でたこ焼き屋を始め、以来、この道一筋だという。
「今は、食べていくのがやっとやけど、たこ焼きに感謝してることもあるんや」とおっちゃんは打ち明けた。「夫婦げんかをすると、うまいたこ焼きが焼けん。だから、夫婦、毎日一緒にいても一回もけんかはなしや」。おばちゃんは、照れくさそうにしていた。
人は、誰しも忘れ得ぬ味がある。私が、このたこ焼きを忘れられないのは、飾らず一徹で、どこか温かい、この夫婦が焼いているからだと感じた。
おっちゃんは別れ際「九十歳まで焼くつもりやで」と笑顔で言った。これからは帰省する度、おっちゃんの味に会えそうだ。
(社会部・伊藤完司)
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▽いとう・かんじ
1975年生まれ。大阪市出身。98年入社。社会部、佐賀総局を経て昨年5月から社会部勤務。現在は福岡県警担当で、汚職や暴力団関連事件などの取材をしている。「おいしいたこ焼き屋を探してます」
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